第2章 福笑い
この章から人の苦しむ描写が出てきます。閲覧ご注意願います。
ユキちゃんが家の蔵で見つけた「福笑い」には、まず私が自分のハンカチで目隠しをして挑戦しました。おなじみのアンバランスな変顔になって、二人で大笑いしましたよ。私たちのよく似た声が部屋に響いて、本当に楽しかった。
ユキちゃんの番になると、彼女はバラの刺繍が縫ってある白いハンカチで、その大きな二つの瞳をすっぽりと覆いました。あの日、彼女が長袖の白いワンピースを着ていたのが、今でも忘れられません。まるで古い絵画に描かれた貴族の娘のように神々しくて、私にはない輝きを放っていたからです。
お金持ちでハキハキと明るいユキちゃんとは違って、私は学校の男子にもからかわれるほど器量に恵まれず、そのうえ家も貧乏でしたから、余計に気圧されたのかもしれません。
ユキちゃんは、紙に描かれた眉や目の部位を一つ一つ手に取ると、次々と顔の輪郭の中に置いていきます。その手際の良さに、私は最初の方こそ舌を巻いたものの、だんだんと「コレは怪しい」と思い始めました。
部位を置く所があまりにも正確すぎて、かえって不自然でしたもの。
私はユキちゃんのハンカチに目を凝らすと、思わずアッと声を上げそうになりました。
じっくり見ないと分からないほどの大きさでしたが、ちょうど黒目のあたりを覆っているバラの刺繍に、小さな穴が開いているのを発見しましてね。ユキちゃんのズルをしてでも勝ちたいという考えに、私は呆れるのを通り越して感嘆さえ覚えました。
でも、そのときに何となく、いや~な気持ちが胸の中に広がりました。ユキちゃんの綺麗な顔の下に隠された醜い本音に、あのとき初めて触れてしまったのでしょうね。彼女にとって、私はいつも「負けていて当然」の存在なのだと。
ユキちゃんはやがて出来上がった福笑いを見て喜ぶと、その紙を誇らしげに持ち上げました。そこで私は、奇妙なことに気づいたのです。
福笑いの紙から、目や鼻などの部位がまったくズレることなく、ずっと紙面にピタッと貼りついたままなのです。いくら湿気があるとは言っても、糊でくっついたように動かないだなんて、おかしいでしょう。
私がそれを指摘すると、ユキちゃんは持ち前の好奇心をくすぐられたのか、福笑いの紙をいろいろといじり始めました。
逆さまに振っても紙同士は剥がれないどころか、指で剥がそうとしても隙間なくくっついてしまったことに、私はなんとなく背筋がゾワリとしました。
「もう触らないで捨てよう」と私が言うと、ユキちゃんは面白がってさらに触り続けました。私をもっと怖がらせたいと思ったのでしょう、不意に福笑いの紙を彼女自身の顔にピッタリと重ね合わせたのです。それはまるで薄い仮面を一枚かぶるような仕草でした。
「ちょっと、気持ち悪いからやめて」
私のおびえた様子を見て、ユキちゃんはくぐもった笑い声を立てました。
畳の上に寝転がり足までバタつかせて、そんなにおかしいのかしらと、私が苛立ち始めたときのことです。
「フガ! フガ! グアアア!」
ユキちゃんが急に低い声で唸りだして、私は思わず後ずさりをしました。それまでの陽気な調子から一転して、檻に捕まった獣のように彼女は暴れ出したのですから。
「どうしたの?」と呼びかけてみても、ユキちゃんは両足で畳を蹴ってもがき続けます。ときおり「ヒュー」という呼吸音と共に大きくエビぞりになる姿を見て、私は彼女が呼吸困難に陥っていることに気づきました。そうか、紙が目と鼻に貼りついて息ができないのかと思い当たりました。
そこで私は福笑いの紙を剥がそうとして、ユキちゃんの顔と紙の境目を指でなぞって探したのです。彼女の顎の下に指を沿わせたとき、頸動脈がドクドクと早鐘を打っているのが分かりました。緊急の合図のように、それは激しく私の指先に打ち伝わってきました。
とにかく紙を剥がさないとーー。そんな思いでユキちゃんの顔に手を這わせていると、私の心臓も急速に高鳴っていきました。
「あれ? ない!? なんで!?」
あることに気づいた私は、半狂乱になって叫びました。
そう、いくら探しても見つからないのですよ。
ユキちゃんの顔を覆った紙と、彼女の顔の「境目」が。
まるで福笑いの紙そのものが、ユキちゃんの顔に溶け込んでしまったかのように、「紙」という存在自体が消えてしまいましてね。
紙が無くなったことに恐怖を感じた上に、ユキちゃんが両手両足を折れんばかりに四方八方に打ちつけて苦しむ姿を見た私は、電話で救急車を呼ぶことにしました。彼女は一人っ子だった上に、ご両親とも出かけていて留守だったからです。
当時はスマホやパソコンなんて便利なものはありません。私はユキちゃんの家の廊下にあった旧式の黒電話の受話器を取ると、大慌ててでダイヤルの穴を回して119番に電話をしました。
ほどなくして電話に出た消防署の人を説得するのに、思った以上に時間がかかりました。ユキちゃんの家の番地をすぐに言えなかった上に、「福笑いの紙が、友達の顔と一つになって取れなくなった」などと子どもが言えば、いたずら電話だと疑われても無理はありません。
最終的には救急隊員が駆けつけてくれることになりましたが、私が電話を切って部屋に戻る頃には、彼女の体はすでに動かなくなっていました。
白いワンピースを着て横たわるその姿は、棺桶に入れられる前の白装束の死人のようにも見えました。
ユキちゃんの顔は元に戻っていましたが、ズルをして完成させた福笑いのように、完璧に整った表情のまま微動だにしませんでした。あれだけ苦しんでいたのに、今は蠟人形のように感情のない顔を浮かべています。それまで確かに存在していた、「魂」の抜け殻として。
ユキちゃんが私と遊んで笑うことはもう二度とないと、私は静かになった部屋で、ひとり悟ったのです。
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お読みくださり、誠にありがとうございます。第3章は明日投稿の予定です。