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7.図鑑と嫉妬と幼馴染

【アムネシア】の冬のメインデザインが決まった。

 腰から大きく膨らんだ独特な形を基本デザインとしたドレスは、ボリュームの強弱や装飾によって夜会用にもデイドレスにも展開する事が出来る。そこは母のデザインの賜物だ。


 そして今回のドレスラインにはわたしの作る立体刺繍をふんだんに使う事になっている──となると、張り切ってしまうのも仕方のない事だろう。

 作業量も増えて忙しくなる事は分かっているのに、胸が沸き立つのはどうしようもない。この仕事が本当に好きなのだと、自分も改めて実感するばかりだ。


 それにあたって、今までに作ってきた花以外の図案も起こしたいと思ったわたしは、花の図鑑を借りに国立図書館にやってきていた。小説、文献、図鑑、歴史書……様々な分野の本が収蔵されている大きな図書館は、休息日だからか非常に人が多かった。


 受付業務をしている司書さんに図鑑の場所を聞いたわたしは、教えて貰った場所へと歩みを進めた。

 すれ違う人も多いけれど、図書館という場所柄だからか騒がしくはない。時折聞こえる潜めた声は不快にならない程度の大きさで、皆がこの場所を、この雰囲気を大切にしているのが伝わってくるようだった。


「……これなんていいかもしれない」


 わたしが選んだのは、両手で抱えてもまだずっしりと重い大判の図鑑だった。この国以外の花も沢山載っていて、何よりも目を引くのは美しい挿画。質感まで伝わりそうな繊細なタッチはいまにも香り立ちそうな程に生々しい。


 借りる前に、少し見ていこうか。

 そう思って机や椅子が用意されている場所に行くと、ちらほらと人の姿はあるものの席は空いている。

 端の机を選び、二人掛けの椅子の真ん中に座って、そっと図鑑を開いた。


 よく目にする花、他国固有で見たことのない花、今はもう咲かない幻の花。

 こんなにも気持ちが昂る図鑑なんて初めてだ。


 どの花も刺繍で作ってみたいけれど、ドレスの飾りになるような華やかなものを選んで、ノートにイラストを描いていく。これを元に図案を起こすのだけど……この色合いを表わすには何色の糸にしようか。

 思い浮かべるだけで胸がどきどきと高鳴ってくる。

 あっという間にわたしのノートには花が咲き乱れていた。



「フィーネちゃん?」


 掛けられた声に顔を上げる。今の声は……ジル?

 そう思って周囲に目を向けると、本の並ぶ通路の向こうからジルがやってくるところだった──その腕には女の人が抱き着いている。


「……ジル」

「フィーネちゃんも来てたんだ。誘えばよかった」

「ええ、そう……ね?」


 誘うとは。

 ジルの腕に抱き着く女の人は、にこにこと笑みを浮かべているけれど……その視線が鋭いような気がするのは、わたしの気のせいではないと思う。

 ジルもジルだ。女の人と一緒に居るのに、わたしに声を掛けるのは宜しくないのでは無かろうか。この男はそういう無神経なところは、ないと思っていたのだけど……。


 小柄な女の人は非常に可愛らしい顔をしている。肩につく位の黒髪は緩く波打って、紺色リボンの髪飾りが良く似合っていた。


「ジル先輩、この人は……?」


 甘さを含んだ声。

 やっぱりこの女の人は、ジルの事が好きなんだ。それだもの、わたしへ向ける敵意を含んだ眼差しにも頷ける。このぴりぴりとした敵意は、学生時代によく感じた嫉妬の色と全く同じだもの。


「彼女はフィーネ・レングナーさん。フィーネちゃん、こちらは僕の研究所での同僚で、ナンシー・バルシュさん」

「ナンシーです。ジル先輩にはとっても(・・・・)良くして頂いています」

「どうも……レングナーです」


 ずっとジルの腕に抱き着いたままで、ナンシーさんはにっこりと笑って見せる。それが牽制に見えるのは、わたしの心が歪んでいるんだろうか。


「バルシュさん、本も見つかったし僕は帰るよ」

「ナンシーも一緒に帰ります! 帰りにお茶を飲んでいきましょうよ」

「いや、僕はフィーネちゃんと一緒に帰るから」


 なんでもないように紡がれた言葉に、わたしと、そしてナンシーさんが固まった。


「え、でも……レングナーさんは忙しそうですし、お邪魔になっちゃいますよ。ナンシーと一緒に帰りましょ?」

「それは僕とフィーネちゃんが決める事だよ。さよなら、バルシュさん。また研究所で」


 わたしは一体どうしたらいいのか。

 ここで『バルシュさんと帰ったら』なんて言ったって、ジルが引かないのは分かっている。でもこのままだと……ナンシーさんの敵意は増すばかりだ。


 そんな事を内心で考えていたら、ナンシーさんがゆっくりとジルの腕から離れていった。

 ぽってりとした色気を醸す唇に笑みを浮かべ、ジルの事を熱っぽく見つめている。


「……分かりました。ジル先輩、今度はお茶に付き合って下さいね。レングナーさんもさようなら」

「さようなら、バルシュさん」


 温和な声で挨拶をしてくれるけれど、その緑の瞳は鋭い光を宿している。背中に冷たいものが這う事を感じながら、わたしも笑みを浮かべて挨拶をした。

 こういうのは久し振りだけど、学生時代にもよくあった事だ。


 背筋を伸ばしたバルシュさんは持っていた本を胸に抱きかかえるようにしながら、通路の向こうへ消えていった。


「……良かったの? 一緒に来ていたんでしょう?」

「いや、別に。僕は仕事をしていたんだけど、ちょっと行き詰っちゃってさ。休憩がてら本を借りに来たらバルシュさんも居たって、それだけだよ」

「そう……」

「嫌な思いをさせちゃった?」

「あんたの物言いにハラハラしただけよ」


 意識しないと声がいつものような大きさになってしまいそうで、わたしは小声で言葉を紡いだ。

 肩を竦めたジルは本を片手にわたしの隣に座ってくるものだから、真ん中に座っていたわたしは端の方へ避ける事になってしまった。


「僕は嫌われたっていいからね」

「その嫌いって気持ちは、どうしてかわたしに向いてくるのよね」

「あはは、いつもごめんね」

「分かっているなら改善しなさいよね」

「それは無理かな」


 ジルはわたしのノートを覗き込むと、大きく描かれていた白い百合を指でなぞった。その手つきに目が引き寄せられてしまって、ジルの手をまじまじを見つめてしまう。骨張って、長い指。短く整えられた爪。綺麗な手……なんて、わたしは何を考えているのかしら。


「無理って」

「余計な事に気を配りたくない。もちろん、あの子が僕の事を好きなのは分かっているよ? でもそれに応えるつもりもないし、優しくする義理もない。彼女は職場の同僚。僕にとってはただそれだけだよ」

「いつか刺されるんじゃないかしら、わたし」

「その時には僕が盾になるから安心して」


 ──ズキン、と胸の奥が痛んだ。

 わたしを庇って死んでしまった、前々世の恋人が頭をよぎる。


「バカね、そんなの求めてないわ」


 敢えて軽い調子で笑ってから、わたしはノートを閉じた。広げていた色鉛筆も片付けていく。

 やっぱり恋なんていらない。

 なんて思っていたのに……もしかしたらわたしは、幼馴染の刃傷沙汰に巻き込まれてしまうかもしれない。それだけは勘弁して貰いたい。


 そんな思いを持ちながらジルを見つめるも、相変わらずの穏やかな笑みに毒気も抜けてしまう。

 ジルは机の上にある分厚い図鑑に目を向けて、合点がいったように頷いた。


「刺繍の図案を起こしてた?」

「ええ。色んなお花を作りたいと思って」

「じゃあさ、これから植物園に行こうよ。やっぱり実際に見た方がいいんじゃない?」

「それはそうだけど……あんた、もう帰るんじゃなかったの?」

「そんな事言ったっけ」


 笑っているけれど、つい先程の言葉だ。忘れているわけではないだろうに。

 とぼけるジルを追及する気にもなれず、わたしはバッグの中にノートや色鉛筆を片付けた。


「でも植物園か……いいかもしれない」

「でしょ。本は重いだろうから、一度フィーネちゃん()に寄ってこうか」

「そうするわ」


 図鑑はジルが持ってくれて、わたしは何となく周囲を伺いながら本を借りる為に貸出カウンターへと向かったのだった。

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