09
バルトロメウスに抱えられ、屋敷に帰ってもカヤ様は泣き続けました。
食事をしては吐き戻し、泣き疲れては眠り、何かの夢を見ては魘され飛び起き、また泣いていました。
翌日、侍女長が屋敷に訪れました。
この屋敷は王宮の敷地内でもあるので、本宮からは離れていますが、徒歩で行き来できる距離です。
カヤ様の状況を報告していたので、侍女長は治癒術師を伴っていました。
カヤ様に治癒術は効きませんが、侍女長が連れてきた治癒術師は人間の自然治癒能力を引き出す医術にも長けた者です。
治癒術師はバルトロメウスとともにカヤ様の診察に向かいます。
当然のように私も同行しようとしましたが、侍女長に引き留められました。
「こちらを王太子殿下から落ち人様にお預かりしています。診察後、落ち人様が落ち着いている時にお渡ししなさい」
「落ち着いている時、でございましょうか」
王太子殿下からの親書をすぐさま渡さないなど、通常は考えられません。
「左様です」
短い返事が、却って内容の深刻さを物語っているようでした。
「侍女長様は、内容をご存じでいらっしゃるのですね」
「ええ。王太子殿下から伺っております」
侍女長の様子がおかしいです。煮え切らないような、何かを迷っているような。このような侍女長は見たことがありません。
まもなく保護期間を終了する落ち人様へ、王太子殿下が一体何を。
「あなたは、落ち人様の専属侍女。侍女たるもの、仕える主人のために最後まで職務を全うしなさい」
……意味深です。侍女長は一体何を懸念しているのでしょうか。
職務を全うすること。それは当然のことです。
私は釈然としませんでしたが、頷きました。
侍女長はほっと一息ついて、いつもの厳しいお顔に戻りました。
カヤ様を診た治癒術師からは「心的負担が大きすぎたのでしょう」と、数日は安静にし、吐き戻しても少しでも食べること、水分を少しずつでも必ず取るよう指示されました。
カヤ様の部屋に行くと、眠ってしまったカヤ様はやはり魘されていました。
かすれる声で『どうして』『誰も』『私を選んでくれないの』。
「じいく」
力なく彼を呼んで伸ばすその手を、私は握ることが出来ませんでした。
やがて目覚められたカヤ様は、泣きすぎて開かない目を私に向け驚いていました。
「ビルケ、泣く、どうしたの? 誰か意地悪? 何か悲しい?」
カヤ様の手が私の頬に伸ばされます。
自分が辛いのに、私のことなど……今度はカヤ様の手を取りました。
「……いいえ、私は泣いていませんよ」
カヤ様は不思議そうに『ええ? 目から鼻水だからって言うタイプなの?』と呟いた後、少し困ったように「そっか」と微笑まれました。
少しの果物とたくさんの白湯を召し上がった後、カヤ様は王太子からの手紙を読まれました。
カヤ様はしばらく唸った後「出て行けは、分かった。あと分からない」と言って私に手紙を寄越しました。
出て行け?
私は急いで手紙に目を通します。
それは、とても丁寧に回りくどく書かれた、王太子殿下からの、王家からの命令でした。
カヤ様に彼をつけたのは「落ち人」を尊重したからであること。
騎士としても有能で、ファーレンハイト侯爵家子息で地位もある彼が「落ち人」の護衛と教育をすることで、国としての義務を果たしただけのこと。
彼は職務上「落ち人」の側にいる時間が多かったので誤解を生じたようであるが、本来であれば、庶民は話すことも叶わない人物であり、勘違いの恋情を持って追いかけ回されることで、彼が迷惑を被っていることは国として甚だ遺憾であること。
彼の妹で王太子の婚約者であるイザベル・ファーレンハイト様も、この事態を大変不快に感じており、二度と彼と接触することがないように望まれていること。
よって、迷惑はかかったが不敬や罪とまでは言えないので、罰することはしないが、保護期間終了後もこの国に残ることは許さないこと。
以上のことが王太子名で書かれていました。
なんてこと、なんてこと!
私が動揺してカヤ様に内容を告げられずにいると、カヤ様が「だいじょうぶ。言って?」と静かに言いました。
声が震えてしまいます。
許せない。許さない。あいつ、絶対許さない。カヤ様をどこまで蔑ろにするのか!
私に向かって「本気」だと頭を下げたではないのですか!
どんな事情があろうとも、絶対に、許さない。
カヤ様は、王太子殿下からの手紙を読んでから落ち着きを取り戻しました。
「ジーク、私に言った。婚約者と帰るって。白いバラ渡す……こんやくしゃ、きれいな人と一緒に行った。……ちゃんとジークから聞いた。つらい。悲しい。でも、これから困るから、探す、しないと」
何を探すのか尋ねると、保護期間が終わった後は彼の所で世話になるつもり満々だったので、住むところも職も探していなかったこと。ましてや、国を出なければならないので、どの国に向かうか、お金はどうするのか考えないといけないと言うのです。
その通りなのですが、私は釈然としませんでした。
カヤ様をシェレファ領に連れて帰れないか考えを巡らせます。
王都から遠い国境の地なので、領主が責任を持つ形であれば、国外でなくても許される可能性があります。
しかし、今から叔父に手紙を送っても保護期間終了までには返事は難しいでしょう。
シェレファ領に行けるようになるまで、カヤ様と旅行がてらどこかの国へ行くのも良いかと思います。それくらいの蓄えはあります。
私はもうこの王宮勤めを辞するつもりです。
腸が煮え繰り返っているので。