04
落ち人様は女の子でした。
十歳前後の身長に黒髪に黒い瞳、この国の者より色素が濃い肌ですが、肌理は細かく滑らかです。
この世界に落ちてきた時にケガをしたようで、身体中に細かい傷跡がありました。
治癒術師が治療に当たりましたが、治癒術の効きが非常に悪く、命に関わるケガではないことから、自然治癒となったとのことです。
細かい判定はこれからになりますが、落ち人様にはどうやら魔力が微塵も無いようです。魔術は魔力を元にしているので、治癒術など身体の魔力に働きかける魔術は効かないのだと予想されました。何せ、魔力が低い人はたくさんいても、今まで魔力が無い人はいなかったので、事例がありません。それも併せて探ることになりました。
さて、他にもたくさん困ったことがありましたが、一番の困難は意志の疎通が出来ているのか確認できないことでした。
落ち人様の話す言葉も書く文字も理解できる者はいなかったからです。
落ち人様も同様に、こちらの言葉も文字も理解できませんでした。
とはいえ、目を見て手振りで話せば、おおむねは伝わります。
それが正しく伝わっているか、落ち人様の言いたいことが「これ」か、確認する術がないので、そこが困難ですが後は想像力で。
「ビルケ」
自分を指さし、何度かゆっくり名乗ります。
「びりゅ、びりゅ、け」
発音が怪しいですが、私は手を挙げます。
本来指さしはマナー上良くありませんが、手のひらを向けたらグーの手を重ねられてしまったので(領地の牧羊犬を思い出してしまいました)、落ち人様を指さします。
落ち人様は最初「きょとん」とされていましたが、やがて名乗っているのだと察し、笑顔で答えてくださいました。
『かやのゆい』
「カヤニュイイ、様」
苦虫を噛んだような落ち人様の顔は、絶対「違う」と言っていました。私と違って器用ですね。
彼も名乗りに参加します。
「ジーク・ファーレンハイト」
「じいくはーれんはーれん?」
落ち人様は「合ってる? 合ってる?」って聞いている顔をしています。本当に器用ですね。
「……ジーク」
「じーく」
私は彼を見て驚愕しました。
え、なに? 怖い。
……彼がはにかんで手を挙げたのです。
『かやのゆい!』
落ち人様が元気良く自分を指さして名乗ってくださいます。
「カヤーニョイ」
またも落ち人様は「違うわい」という顔をされます。
それを見て、彼ががっかりしています。
……え、本当に何この人、いつもの「ザ・貴族の子息」な微笑みを張り付けた能面と違いすぎて怖い。
『かやの』
「「カヤニョ」」
むう、と何かを我慢している顔をしながら落ち人様は続けます。
はいはい、発音が違うんですね。
『ゆい』
「「ユウィ」」
落ち人様が大爆笑されました。『ユウィって、ウィて! 綺麗なお人形みたいな二人が無表情でウィって!』あはあは笑っています。
周りにこんな笑い方をする人がいない環境の私たちは、唖然としてしまいました。
ひいひい笑っている落ち人様は私を指さし「びるけ!」と、彼を指さし「じーく!」と言い、自分を指さし「かや!」と言いました。
カヤ様。
この方の望むように。
溢れ出る思いは天恵か、ただの私の感情か。
横を伺い見れば、眩しい物を見るように目を細め微笑む彼が。
男性が仕留められた瞬間を初めて見ました。
そこから私は毎日驚きの連続でした。
カヤ様は砂が水を吸うように言葉を覚えていきました。
絵本を見ながら読み聞かせ、指をさして物の名前を教え、歌を歌い、繰り返し繰り返し、毎日確実にカヤ様は覚えていきました。
その傍らにはトイレと風呂以外、無言でついて回る彼の姿がありました。
彼は己の内の気持ちを認めたくないようでした。
ええ、相手は見るからに子どもですから。
大人どもが勝手に邪な気持ちを向けてくることへの嫌悪感を、彼は誰よりも知っているでしょうから。
彼自身が向ける方になるという皮肉に、全身全霊で抗っているようでした。
でも目が離せない。
それが無言でひっつき回るという奇行となっているようでした。
この姿を他の者がもし見たら、魂を飛ばすほど驚くことでしょう。
というか、教育係は彼なんですが。私ばかり教えているような気がします。別途手当を要求したいと思います。
カヤ様に与えられたこの屋敷には、私たち二人の他、料理人、掃除洗濯を主に行う侍女と庭師が住んでいます。最低限の人数しかいませんが、彼により敷地の境界には非常に強い守りの術が張られているので、守りは十分です。
カヤ様に接するのは私と彼のみ。もしもカヤ様が「悪いもの」であった時の被害を最小限にするためです。
今後の様子を見て関わる者を選定していきます。
カヤ様はよく笑いました。笑い方が独特で「うふふ」とも「あははは」とも「うけけけ」とも「でぅふふ」とも笑います。
カヤ様の世界では皆そのように笑うのでしょうか。……中々想像できませんが。
カヤ様は彼が側にいることを好ましく思っているようです。恐れ多くも私が側にいることも。
『無表情万能美女メイド! キター!』
『ジークの尻は本当に引き締まった良いお尻だと思う! 細マッチョ最高! きゅっとしたお尻眼福~』
良い笑顔で私たちを誉めてくださっているようですが、「ジーク」以外は何を言っているのか分かりません。いまいち誉め切れていないというか、どこか不穏な気配がするのは私だけでしょうか。
ちなみに笑い方は、前者が「うふふ」で後者が「でぅふふ」です。
靴が脱げただけで笑い転げる笑い上戸のカヤ様ですが、寝る前、部屋に一人になると窓辺に寄り、星に見知った形がないかを探しているのか、空を見上げ、私たちには意味の分からない歌詞を口ずさみ、か細い声で歌いながら泣いています。
あんなに騒がしく笑うのに、泣く時は一人静かに。
なんで知っているかというと、カヤ様は純粋に一人になることはありません。保護観察中なので、そういうことです。
よく笑うのは、不安定な身の上を、肌身で感じているからでしょう。
言葉も分からず、人種も違い、文化も魔力という世界の理も違う未知の地で、ケガを負い、保護された身であることを、しっかり認識しているのでしょう。
聡い子です。
その落差がまた彼の心を捉えて離さないようでした。
泣いているカヤ様の部屋に突撃しようとする彼に電撃を落としたのは私ですが何か?
子どもに夜這いなど許すはずがありません。頭を冷やしなさい。……いや、焦げていましたが。次は彼ほど得意ではありませんが、凍らせてやりましょう。
後日、私の得意魔術が雷だと知ったカヤ様から『だっちゃ! って言って! 虎ビキニ着て!』と大興奮されましたが、意味は分かりませんでした。