番外編 ~ ジョンより愛を込めて ~
更に番外編です。
ジョンのお話です。
僕が僕になったのは、酷い雷雪の夜だった。
吹雪の後に咲く月光雪花は、希少性とその美しさから、とても高値で売れる。
危険は承知で、僕は何度も花が咲く吹雪の森へ足を踏み入れていた。
山と言ってもいい位の高さにある森。これ以上高くなると、もう樹は生えていない。
雪洞に身を潜め、只管、吹雪をやり過ごす。
吹雪が去ると、森の中の開けた雪原一面に、月の光を受け、魔力を帯びた氷の花が咲くのだ。
誰の足跡も無い雪原に咲く姿は、この世のものとは思えない程美しい。
実際、この世ではないと思う。
雪の精霊と森を守る主様に祈りを捧げると、一輪だけ淡く光る。まるで「それならばいい」と許されるように。
優しく手折り、維持の魔術をかけた布でくるんで懐にしまってから、雪に叩頭き礼をする。
ここで欲を出すといけない。
この森は、雪で閉ざされると人ではない存在の世界となる。そこに侵入しているのは自分なのだ。
許されなくなれば、命はない。
いつ、そうなるとも分からないのに、僕がこの花を採りに来るのには理由がある。
この花一輪で娘の薬代一月分になるのだ。
妻が命をかけてこの世に送り出した下の娘は、とても虚弱だった。とても大人にはなれないだろうと、悲しくも納得してしまう位、虚弱だった。
だが、妻が今際に僕にこの子を託し、「守って」と望んだ。
僕はそれを叶えたかったんだ。
上の娘も、同じ思いだった。
それからは父娘で下の娘にかかりっきりになった。
うちは自然は豊かだが、金があるわけではない。薬代を捻出するために、上の娘の婚礼用に貯めておいた金や屋敷内で売れる物は売って、何とかしてきた。
上の娘や乳母の献身もあって、下の娘は床につきながらも、六歳になった。
上の娘は十四歳。あと一年足らずで成人する。
祝ってやりたかった。
祝うにも、金がなかった。
ある夜、欲をかき、引き際を見誤った。
空の色に違和感を感じていたのに。
いつものように雪洞で息を潜めて吹雪をやり過ごしていたが、吹雪は止むどころか竜巻と雷を伴う雷雪となり、雪洞ごと吹き飛ばされた。
瞬間で悟った。
これは死ぬ。
無防備に吹雪に晒された身体は一瞬で凍え、指先すら動かせない。
朦朧とする意識の中、歯の根も合わない程の寒さは薄れ、神経が研ぎ澄まされる。
最期、残された意識はあと僅か。
……感謝を。
恵みをいただいて生きてきたことに感謝を。
主様、森の主様、どうかこの地を、娘たちをお守りください。
霞む視界に映ったのは、宝石のように綺麗な紅。
そして、僕になった。
なんとなくは覚えている。
空と大地と羊たちの群。この地に生まれ、弟と草原を転げ、恋をして、小さな命を腕に抱き、最愛を失って、消えそうな命を繋ぎ止めるため、必死に生きてきたことを。
それよりも、自分の存在が一体何なのか、鮮明に認識していた。
僕は、森の主様の一部。
慣れない四つ足で身体を起こして、ぎこちなく歩き出し、やがて駆け出す。
人の足と違い、軽やかに雪原を走る。
これは楽しい。
しばらく駆け回っていると、ふと、眼差しを受けた。
顔を上げると、白い存在がいた。
大きな犬のような狼のような、白い毛が雪と同化し、紅い眼だけが存在を主張していた。
森の主様。
僕の本体!
駆け寄ってその腹に突進し、じゃれ合う。と言っても、僕が主様の身体をよじ登ろうとして、ぺいっとされているだけだけど。
主様が駆け出した。僕も一緒に駆ける。
主様と一緒に、三つの夜を越えて駆けた。
その間に、森のこと、魔力のこと、僕のことをより知っていく。
やがて山を下りて、森の境で主様は止まった。
ここは、人間から見たら森の始まりで、主様から見たら森の終わりだ。
<自分で守りなさい>
頭に言葉が響き、主様は森に消えて行った。
子離れが早すぎないだろうか。
僕になってまだ四日だよ?
まあ、中身子どもじゃないからいいけど。
僕が僕になった山を仰ぎ見る。
人の身体は春になれば土に還るだろう。
うん、行こうかな。あの子たちを守りに。
僕はトテテテと駆け出した。
僕の家に帰るために。
町に着いた。気配を消してはいるけど、あまり人目につかないように路地を歩く。ほぼ全ての建物の家の前や窓には黒い布が掲げられていた。
町全体が弔意を示している。
領主が死んだことが、正しく汲まれたようで安心した。
僕はいつも一人で月光雪花を採りに行っていた。本当にいつ死ぬか分からなかったから。
書斎の机には、予め用意しておいた遺言状もある。無事に帰れたら、遺言状は回収して、また次に使う。
遺言状には、僕が一人で月光雪花を採りに行くこと。二日経っても戻らなければ、死んだものとし、二次遭難を避けるため、決して捜索してはならないことが書いてある。
速やかに弟が領地を継ぎ、その他の物事は、自然と領民を尊重し、親族でよく話し合い決めること。
残していく方が残される方に細かく指示しても仕方ない。
後は弟と娘たち宛の手紙を入れておいた。
残していく詫びと、しかし、自らが選んできた人生に、悔いはないこと。
禍福は己によること。どうか忘れないで欲しい。
僕の大切。
羊たちの家が見下ろせる丘に代々の墓所がある。
皆の手によって墓周りは地面まで雪がよけられ、土も掘られていた。
親族たちが棺を掲げて進む列の先頭は弟、上の娘と続いている。下の娘は従者に抱えられて列にいた。
僕が入っていない棺には、皆が入れた縁の品が詰まっているのだろう。
妻の隣に入れてくれるようだ。嬉しいな。本当に僕がそこで眠るのは大分先になるけれど、必ずそこに行くよ。
朧気に墓石の前に佇む妻が微笑んでくれた。
待っていないで先にいっててもいいのにな。……でも、ありがとう。眠って待ってて、僕が愛した人。
納棺され、皆各々戻っていく。一月程、喪に服してくれるが、これで日常に戻っていく。
上の娘だけ、墓の前に残っていた。
そっと近づいてみると、墓に向かって話しかけていた。
無表情だけど、祈るように頭を垂れ、何かを言っていた。
何を言っているか聞いてみたいと、聞こえる所までもっと近づいてみると、流石に気が付かれた。
「あら……あなたどこから来たの?」
娘が近づいて来たので、僕はお座りをして待った。
「お利口なのね。……飼い犬、には見えないけど、どこの子かしら」
声は聞こえるけど、飛びかかられても避けられる距離。
うん、相変わらず賢い子だね。
でも、僕は君たちの傍で守るために来たから、僕を連れて帰って欲しいんだ。
僕は尻尾をブンブン振りながら、ゆっくりと近づいてみた。
「あら、なあに?」
無表情に警戒してるな。停まって顔を見上げてみる。
「お家に帰りなさい。私ももう行くわ」
歩き出した娘との距離を詰めずに付いて行く。
テトテトテトテテテ……。
「……お家、ないの?」
振り返らずに尋ねられたその言葉に「わふぅっ!」と答える。
少し考えた娘は、振り返ってじっと僕を見て、更に尋ねた。
「ちゃんと働かないと、ご飯ないからね?」
うん! それは当たり前のことだもんね!
僕と目が合う。
「お父様と……同じ目の色なのね。光を透かした雪の色。とても綺麗な青」
ああ、よく言っていたね。
僕と下の娘は同じような目の色をしているから、よく羨ましがっていたっけ。
僕からしたら、妻と同じ目の色の君がとても素敵なんだけどな。
「お父様の名前をつけたら流石に引かれるかしら……」
え、僕に僕の名を付けようとしているの?
「ハンス……じゃバレバレね」
ヨハネスの愛称だからね! え、本当に僕に僕の名前付ける気?
「ジョン。あなた、ジョン、よ」
僕の中で光が弾けた。
僕は僕のことをちゃんと覚えてはいた。
でも、名を得たことで、僕という存在が、はっきりと世界に定着したのが分かった。
君はビルケ。
前の僕の「上の娘」という曖昧さがなくなった。愛しい僕の娘だ。
僕は僕だって意識が鮮明になった。
「ふふ、どう? 父の名って、異国ではそう呼ぶらしいわ。ジョン」
本当に、君の天恵は侮れないね、ビルケ。君は意識下で僕のことを認識したんだね。
「おいで、ジョン。……お家に帰りましょう。シルヴィアに紹介するわ」
僕の愛しい「下の娘」シルヴィア。
うん、帰ろう。
君たちを守るよ。
君たちが繋ぐ生命が尽きるまで、この美しいシェレファを守るよ。
「わあああ」
「またお父さん、ジョンに遊んでもらってる」
「テオぉ」
「ほら、ジョンおいで!」
僕は追いかけ回し、前足でつつき倒していた男から離れ、孫のテオの元へ行く。
あれから、ビルケは金を稼ぐため王都へ行き、なんと十年以上帰らず、帰って来たと思ったら、この男の子どもをポコポコ産んだ。弟と同い年だぞ? 許せん。
それに、どうやら僕が何なのか、正確に分かっているようだ。
テシテシ前足で構っていたら、「やめてください義父上どの」て言ってたからな。涙声で。
だって気に入らないじゃないか。あまり表情の動かない僕の可愛いビルケが、こんなおっさんにウットリしているなんて。
シルヴィアが甥と一緒になって、年頃の似合う二人が幸せそうにしているのを見ているから、余計に気に入らない。
シルヴィアが、「お姉様は枯れ専じゃありません。六人も子どもを作っておいて、お義兄様のどこが枯れてるんですか。お姉様は只の老け専です」って言っていたな。
大人になったな……シルヴィア。
子どもの頃の虚弱が嘘のように丈夫になって、元気に家政を取り仕切っている。
子どもには恵まれていないが、シルヴィアは……まあ、甥が幸せにするだろう。
ビルケは……うん、やっぱりあの男気に入らない。気に入らないったら気に入らない。
でも、仕方ないから丸ごと守ってやろう。
仕方ないからな。
……この先、ビルケ夫婦に更に女の子が生まれ、シルヴィアも一人息子に恵まれ、僕の孫が八人、曾孫が三十三人(内、ビルケの孫三十人!)、玄孫が百二十二人(内、ビルケの曾孫百二十人!!)、来孫が五百人(内、ビルケの……)を超えるとか、一体誰が想像できた?
子孫とこの地を守るけど……随分増えて……守りきれるかな……。
僕が眠るのは、うんと先になりそうだよ。
読んでくださりありがとうございました!
ジャンル別日間一位をいただきました!ヾ(o゜ω゜o)ノ゛
たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しく思います。
この先もジョンに守られたシェレファの地は、穏やかに時を重ねます。
多産の家系として、親族が少ない家から縁談がひっきりなしに来るようになります。皆望まれて婿に嫁になり、各地に散らばります。
ジョン君大変! 頑張って!