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ならば、私もきちんと話をしなければなりません。カヤ様のために、カヤ様がどう思っていたかということを。
「そう。カヤ様にとっては、それが別れの言葉でした」
事情を話してあるから。そう思っていたのに、それが伝わっていなかったとしたら、彼の取った行動は……ただの、心変わりです。
「伝わっていなかった? 魔術をかけて話したこと、魔術をかけた手紙、カヤには、魔力のないカヤには聞こえずに読めなかった? ……じゃあカヤは、カヤは、俺が、他の女に心を移して消えたと、そう思った? だから呼ばないのか? だから俺を呼んでくれないのか?」
そう言って彼の目から大量の涙が溢れ出ました。
見て、いられません。
王太子殿下が私に問います。
「本当に落ち人の向かう先を知らないか? 商隊は魔物によって襲われたが、彼女は生きているのは分かっている。たった一言ジークを呼べば迎えに行けるのに」
生きているのは分かっている?
なのに居場所は分からないとは、一体どういうことでしょうか。
その疑問を受け取った王太子殿下は、横たわり泣いている彼のガウンを開きました。
上半身裸です。
え、何を……と目を逸らす前に目に入ったものに、息を呑みました。
彼の左鎖骨の下に咲く、白いバラの紋。
「誓約の紋……婚姻の誓約?」
豊穣の女神の祝福。
婚姻の誓約をした男女は、誓約をした時点で刻まれる紋が身体を重ねることで咲き誇ります。
婚姻の誓約の紋は花。どの花が咲くかは女神の気まぐれです。
この誓約をすると、男性は他の女性と子作りができなくなり、女性は他の男性を受け入れなくなります。男性は浮気防止、女性は凌辱防止で、もしも誓約した相手以外にそういうことになれば、いずれにせよ、殿方の方が腐り落ちるそうです……。
一種の呪いのような祝福で有名な誓約ですが、一番有名なのは、術を解く方法がないことです。一度誓約をすると相手が亡くなるまで解けることはありません。誓約の片方が亡くなると紋の花が枯れ、誓約は解かれます。
彼の花が未だに咲き誇っているということは、カヤ様は生きているということに違いありません。
え、相手はカヤ様ですよね? でも、カヤ様に白バラの紋など……。
「……カヤの紋はへその下だ。誰にも言うな見せるなと言ってある。ビルケ、頼む、カヤはどこに行くと言っていた? 何でもいいから思い出してくれ」
首を捻った私の疑問に彼が答えます。へその下、それはさすがに気がつきませんね。カヤ様はご自分で入浴されていましたし、着替えの時も下着を脱がせることもありませんから。
「でないと……」
また彼の魔力が膨れ上がります。
王太子殿下がまた魔術で抑えます。
「もうやめろ、ジーク」
彼のこの魔力の暴走は、カヤ様を捜すために、探索の魔術をあり得ない範囲で展開して起こることだそうです。
そのため、命が危ういことも。
バルトロメウスや王宮の治癒術師が何とか回復しているだけで、本当はいつ死んでもおかしくない魔力の使い方をしていると。その度に王太子殿下に抑えられ、昏倒する……を繰り返していると。
婚姻の誓約を結んだ相手に名を呼ばれれば、居場所が分かるものだそうで、彼はずっとカヤ様を呼んでいます。
でもきっと、魔力のないカヤ様には分からない。一度でもカヤ様が彼の名を呼べば、彼には分かり、魔術で転移してカヤ様の元へ行けるのだそう。
でも、カヤ様は、きっと、呼ばない。
「カヤ様からの手紙は読みましたか?」
私に手紙をくれた時、小さな声で、最後に手紙を書いて真っ白なあの手紙と一緒に置いたと言っていました。
「いつのだ? 毎日三通届いていたのは全て読んでいる。……あれは、事情を話した時、あっさり別れるのではなく、駄々をこねてくれと言ってあったから、その通りにしてくれたのかと。会いたい。ちゃんと話がしたい。そう綴られた辿々しい文字の手紙がずっと届いていた。一生懸命な文字を見て、ただ愛しいと思っていたのに」
「いえ、カヤ様が屋敷を出て行かれる時、ずっと届いていた白紙の手紙の束と一緒に置いて行かれた手紙は?」
「どこだ!? 読んでいない!」
バルトロメウスが白い手紙の束なら屋敷から回収していると言って、侍従に持って来させました。
それは、束になった白い封筒に紛れ、同じように宛名のない白い封筒の中に入った一枚だけの短い手紙でした。
彼宛かもしれない白い手紙と一緒にしておけば、読んでもらえるかもしれないと思ったのでしょうか。
ジークへ
たくさんの大好き、ありがとう。
追いかける、たくさん、迷惑、ごめんなさい。
私とさようなら、けっこんしない、わかりました。
私はこの国に来る、もうしない。
もう呼ぶ、しない。
もう会う、しない。
だから安心する、幸せに生きる、してください。
カヤ
彼は、静かでした。
ただ、静かに、カヤ様の最後の手紙を何度も何度も読んでいました。一字一句、噛みしめるように。ただ、静かに。