打ち上げ花火と夕立の君
夏だ。
梅雨も開け、終業式も終え、本格的な夏休みだ。
……なのになんで、わたし達は学校まで来て勉強してないといけないの?
「仕方ないでしょ、期末テストの結果がみんなして悪かったんだから」
友達のみゆきが言った。
「そりゃそうだけど……」
そう、みゆきの言う通り。期末テストで惨憺たる点数を取ってしまったわたし達は、夏休み中に補修を受けなくてはならなくなったのだ。でもさ、慣れないリモート授業で、こっちも苦労してたんだよ?
「ぐだぐだ言っても仕方ないだろ、補習が終わるまでの我慢我慢」
裕太が能天気な感じで言う。こいつはいつもこんな感じだ。
「そーそー、これさえ済めば夏休みだよ」
尚弥も、机に頭を乗っけて言った。態度だけはとっくに夏休みだ。
教室にいるのは五人。よりによってテストの時に盲腸になってしまったみゆき、サッカーバカの裕太、居眠り常習犯の尚弥、おとなしそうな詩織、そしてわたしこと真由。みゆきと裕太の二人は幼なじみで、最近何となくいい感じ。尚弥はいつもどこかマイペースで、何考えてるかわからないとこがある奴。詩織は……あまり話したことがないから、どんな子かいまいちよく知らない。
「でもさー、夏休みったって、楽しいこと何もないじゃん」
世はコロナ禍の真っ最中。この教室だって、それぞれ机は離されてるし、みんなマスクつけてるし、換気のために窓は開けっ放しだし。おかげで外の蝉の声がよく聞こえるし、冷房があっても効きやしない。ぶっちゃけ暑い。
こんな感じなので、夏休みになっても不要不急の外出は控えるように言われてるし、海水浴場も開かれないし、プールも休みだし、大っぴらに遊ぶことも出来やしない。
「何より! 今年は花火大会がない!」
「え、真由、そんなに花火大会行きたかったの?」
「楽しみにしてたんだよ、これでも! 去年買った浴衣、このために取っといたのに、ぜんっぜん着れないし!」
めっちゃかわいい朝顔柄の浴衣。これを着て誘ったら、サッカー部のエースの聡志くんだって絶対わたしに一目惚れしちゃうんだから。聡志くんと一緒に金魚すくいしたり、射的してるの応援したり、打ち上げ花火を見て「キレイだねー」って言ったりする予定だったのにー!
「聡志くんって、彼女いなかった?」
「いた。真由の奴、何か勘違いしてね?」
「真由、思い込み激しいから……」
みゆきと裕太が何かコソコソ言ってるけど、わたしの耳には入って来なかった。
「とにかく! この町の花火大会は、幸せを呼ぶ花火大会って評判なの! それなのに、その花火大会が今年はやらないの! これは由々しき問題じゃない?」
「幸せを呼ぶとか、そんな話聞いたことないけど……」
尚弥がぼそり、と言った。
「いいなあ……」
その時、今まで黙っていた詩織が口を開いた。
「わたし、花火大会って行ったことがないから」
えっ? わたし達は思わず詩織を見た。詩織は嘘をついているようには見えないし、冗談を言っているようにも見えない。
「行ったことないの? 一度も? どうして?」
わたしは思わず、矢継ぎ早に質問していた。
「真由、詩織困ってるよ」
みゆきが言う通り、詩織は困ったように微笑んでいる。
「……わたしね、すっごい雨女なの」
わたし達の視線にうながされたのか、それとも圧に負けたのか、詩織は語り始めた。
「遠足の時も、運動会の時も、みんなで遊びに行く時も。わたしが参加すると、絶対雨が降るの。だから、みんなが楽しみにしてるイベントは行かないようにしてるの。花火大会もそう」
「そんな……じゃ、花火って一回も見たことない?」
「テレビとか動画とかで見たことはあるけど、実物はないわね」
詩織の答えにわたしが最初に頭に浮かんだのは、「もったいない」という言葉だった。だってそうでしょ? 十代の夏なんて今しかないんだよ? 楽しいことを自分から避けてどうすんの?
「わかった! じゃ、このメンバーで花火大会やらない?」
「高校生に本格的な打ち上げ花火は無理だよ?」
尚弥のツッコミに、わたしはますますヒートアップした。反対されると思わず反発しちゃうじゃん。
「この際おもちゃの花火でもいいよ。雰囲気だけでも味わって欲しいの。わたしも浴衣着れるし!」
「目的そっちじゃねーのか……?」
こそっと裕太が言ったけど、わたしが鋭い視線を送ると首をすくめた。
「とにかく! この補習が終わったら、花火大会の計画立てるよ! いいわね!?」
わたしの勢いに押され、全員がこくこくうなずいた。
「また真由の暴走が始まった……」
小さく、みゆきがつぶやいた。
翌日、わたしはさっそくみゆき達を呼び出した。ソーシャルディスタンスを保つために、SNS越しに。集まれないのも歯がゆいけど、仕方ない。
「真由、本気だったんだね……」
「あったり前でしょ。わたしはいつだって本気よ」
「あの、ホントに雨降っちゃうよ。いいの……?」
詩織の言葉は文字すら内気そうで、本人の顔が見えるような気さえする。
「大丈夫! わたしのおばあちゃんは、詩織と逆でスーパー晴れ女なの。例え天気予報が雨でも、おばあちゃんが来たら絶対晴れるの。その血を引くわたしも晴れ女だから」
「対消滅しそうだな……」
尚弥、昨日から思ってたけど、あんた結構ツッコミ体質なのね。
「ま、それを信じるしかねーな。花火やるのはいいけど、どこでやるんだ?」
裕太、普段はなんにも考えてなさそうだけど、割と言うことは真っ当。
「そうね、おもちゃとは言え打ち上げ花火をやるんだったら、ある程度開けたところの方がいいよね」
「ディスタンスも必要だもんな。そんなとこあるか?」
「海浜公園はどうだろ? あそこなら広いし」
尚弥の提案に、みんなが賛成した。海浜公園は海沿いにある公園だけど、公園と言うより単なる埋め立て地だ。
そこから先は割とスムーズに進んだ。花火はめいめいが持ち込み、消火用のバケツも用意する。感染対策として、それぞれ2メートル程離れた位置にいる。何かあった時のために、誰か一人大人に付き添ってもらう。これはわたしの社会人やってるお兄ちゃんに頼むことにした。
決行日時は、裕太の強い希望により一週間後の夜7時45分。……てか、なんでこんな半端な時間?
「まーいいじゃんよ」
訊いてみても、その一言で終わった。
ともあれ! 花火大会、やってやるわよ!
「いーよ」
付き添いを頼んだら、お兄ちゃんはあっさり承諾してくれた。最近はテレワークで、時間の融通が利きやすいらしい。
「ただ、いくらおもちゃの打ち上げ花火でも、公園を使うなら許可がいると思うよ。役所で訊いてみたらどう?」
「なんか、めんどそう……」
「本気でやるんだったら、それくらいしないとな」
お兄ちゃんの言う通りだ。いっぺんやるって決めたなら、それくらいしないと。そっちもお兄ちゃんがついて行ってくれると言うので、お言葉に甘えることにする。
「頑張ってるねー、真由」
大学生のお姉ちゃんが混ぜっ返して来た。
「でもさー、どうしてそんなに花火したいの?」
それは……わたしにもわからない。でも、詩織の話を聞いてて、何が何でも花火をやりたくなったんだ。
わたしは戸棚の上に飾ってある写真に目を向けた。家族の写真と一緒に、去年亡くなったおばあちゃんの写真も飾ってある。あの時、何故かおばあちゃんのことが頭によぎったんだ。
「おばあちゃんって、すっごい晴れ女だったよね」
「だったねー」
お兄ちゃんとお姉ちゃんもうなずいた。
「学校行事も家族の予定も、おばあちゃんが来たら必ず晴れてたし」
「いとこのしーちゃんの結婚式の時なんて、すごかったよね」
「そうそう。前日まで大雨注意報出てたのに」
「当日おばあちゃんが来た途端に、まっさらに晴れちゃって」
「でも、おばあちゃんそういうの全然自慢したりしなかったよね」
そうだ。おばあちゃんは晴れになることを、自分が原因だって全く言わなかった。むしろ否定してた。
でも、おばあちゃん。今回だけは、どうか力を貸してください。
その日が近づくに連れ、わたしは何だか不安になって来た。天気は最近不安定で、日本のあちこちでゲリラ豪雨になってたりする。
「みゆき、占い得意だったよね? 当日晴れないか、占えない?」
「それはダメ」
SNSからは、無情な答えが返って来る。
「わたしの占いはね、悪い結果に限ってすごい的中率になっちゃうの。もし雨の結果が出たら、ホントに大雨になっちゃうよ。だから、占いは出来ないよ」
そうだった。みゆきの占いって、悪い結果ばかり百発百中レベルで当てる。だからもう占いをやめてるんだった……。
わたしはがっくりと肩を落とした。
当日。昼前から重苦しい雲に覆われた空からは、2時を回った頃ついに雨粒が落ち始めた。ポツポツと降って来た雨は、あっという間に本降りになった。
SNSから新着通知。詩織からだ。
「ごめんね」
「やっぱりわたし、雨女だった」
「せっかく真由やみんなが色々用意してくれたのに」
「本当に、ごめんね」
……何となく、腹が立って来た。
わたしはスマホをひっつかみ、マスクをつけて傘をさし外に飛び出した。濡れるのも構わず、早足で詩織の家まで急ぐ。ネット越しじゃなく、顔を合わせないといけない気がした。
雨の中をどしどし進みながら、おばあちゃんの思い出が頭の中によみがえった。
――わたしが晴れ女なんて、そんな力を持ってるわけないでしょ。
おばあちゃんは、晴れ女だと言われるとそう言っていた。
――全部偶然。たまたま晴れているだけよ。
――晴れが続くのも偶然。偶然に偶然が重なっているだけ。
――ただの人間一人が、お天気なんて自然界のものをどうにか出来るわけがないでしょう。
そう、ただの偶然だ。晴れになるのも、雨になるのも、感染症が流行って行事やイベントが中止になるのも、たまたまそのタイミングに行き当たってしまっただけだ。だけど、どんなに不運な偶然が続いても、ささやかな楽しさをあきらめたくはないし、あきらめて欲しくないんだ。
だってさ、詩織。わたしが花火大会やろうって言い出した時、あんた一瞬だけど嬉しそうに笑ったじゃん。わたし、あの笑顔を見て絶対やるって決めたんだよ。
気がつけば、わたしは詩織の家の前に来ていた。インターホンのボタンを押す。
「詩織、いますか? わたし、真由だよ」
玄関のドアがガチャ、と開いて、詩織が顔を出す。
「真由……?」
「詩織。花火大会、やるよ!」
「え、あの……」
雨が、なんて言わせない。
「こんなのただの夕立だよ。そのうち止むよ。それに……」
わたしはスマホを取り出して見せた。ここへ来る間に、SNSの新着が3件。
みゆきから。てるてる坊主をいくつも持った自撮り。
「見て見て、こんなにてるてる坊主作っちゃった」
裕太から。ヘンテコな踊りの動画つき。
「ネットで晴れ乞いの踊りを見つけたんで、踊ってみた!」
尚弥から。天気予報サイトのスクショ。
「今の雨雲レーダーの画像。多分もう少しで雨雲は東に抜けると思う」
「ほら、みんなだってやろうとしてる。詩織を待ってるんだよ。だから、絶対来てね」
「真由……」
詩織は、くす、と笑った。
「もう、雨、止んでる」
気がつけばとっくに雨は上がっていた。雲が切れ、そこから太陽の光が差している。本当にただの夕立だったようだ。
「ありがとう、真由。花火大会、絶対行くね」
詩織は笑顔でそう言った。
夜になる頃には雲もすっかりなくなって、星がキラキラ輝いていた。
わたし達は打ち合わせ通り、花火を持ち寄って海浜公園に集まった。距離を保ちながら輪になって、その真ん中に花火をセットする。点火係は男性陣を中心にかわりばんこ。終わった花火の始末も忘れずに。
ふと、裕太がやたらと時間を気にしているのに気づいた。スマホの時計を何度も見ている。
「裕太、何してんの?」
「ん、いや、もうそろそろかなーって」
「そろそろ? 何が?」
と。ボン、と海の方から音がした。ヒューッと音を立てて、何かが飛んで行く。次の瞬間、夜空に大輪の花が咲いた。遅れてパァン、と破裂音。
花火だ。
本式の打ち上げ花火だ。
わたし達はそろって裕太を見た。
「裕太! これって……」
「ゲリラ花火?」
裕太はドヤ顔をしている。
「親父の知り合いに花火職人のおっちゃんがいてさ、今日ゲリラ花火やるって聞いてたんだよ。ゲリラ花火だから、誰にも言うなって言われてたけど、見れるようなセッティングくらいはしてもいいよな」
「だから今日この時間にしようって主張したんだな」
「もちろんあちこちに話は通した上で、人を集めないために告知なしのゲリラ花火だけどさ。でも誰も見ないとそれはそれで張り合いないから、前もって知り合いにさりげなく情報流してたみたいだ」
もう一発、花火。
わたしは詩織を振り返った。
「きれい……」
初めて花火を見る詩織の表情は、夕立が上がった後の空のように晴れやかだった。
みゆきと裕太の二人は、「カサンドラにはぴったりの君」にも出演しております。