母を殺したこの国に復讐するため婚約者の聖女を冤罪で追い出したら隣国の皇女となった彼女が嫁いできた件
「はじめまして、わたくしの未来の旦那さま」
豪奢なドレスを摘み、美しい礼を披露する少女は青年に柔らかな微笑みを向けた。夜空に星の輝きを散らしたような不思議な光沢のある黒髪、月のような金色の瞳。整いすぎて人形のように見える顔。華奢で握れば潰れてしまいそうな手足。静謐の湖を思わせる淡々とした透き通った美声。
あまりにも見覚えのありすぎる容姿。そして、聞き覚えのある、その挨拶。
それはまるで、かつての焼き直しのような。昔、青年の婚約者として選ばれたちいさな女の子が年齢だけを足してそこに経っているような--その懐かしくもうつくしい光景に、青年は泡を拭いて卒倒した。
*
『かあさま! めを、さまして……!』
暗い、昏い、夜だった。最も夜の長い日。月もなく太陽も遠い、聖なる力が弱まるその日。
聖女は死んだ。眠るように綺麗な顔で。彼女を揺さぶる幼子を置いてけぼりにして。
聖女の死により、幼子と亡骸を囲う聖なる結界が緩やかにほどける。結界の周りを歩き回って、柔らかそうな女子供をどうにか食えないかと考えていた魔物たちが涎を垂らして近寄ってくる。
魔物に目をくれず母を求める幼子にその牙が届く寸前、振り抜かれた刃が魔物を切り捨てた。
幼子の耳に届くのは、ざわざわと幾人もの人間の声と足音と鎧の擦れる音。静かな森が穢れた血に染まり魔物は息絶える。それを成した人間たちが近寄ってくるのを恐れ、母の亡骸にしがみついた。その、もう冷え切った体を横から掻っ攫う男に幼子は悲鳴を上げる。
『駄目ですよ。コレはまだ使い道がありますから、坊っちゃんには差し上げるわけには参りません』
その人間の嘲笑に似た嗜めの意味に、その言葉のおぞましさに幼子が気づく前に意識は暗転した。
つまり、生贄だったのだ。
その日は冬至と新月が重なるという厄災の年で。反比例するように活発化する魔物を弱り切った聖なる力で鎮めるには、餌を置いて魔物を集めて一網打尽にするのが一番だった。
そして使い古した聖女が餌にちょうどよかった。
その聖女は夫である王の執政に口出しをすることが多く煩わしい存在で、新しい女ができた王にはもう要らなかった。国民からの人気だって王より高まってきていて、聖女の後見である神殿もそろそろ調子に乗っていた。
だからもう、その女は――母は、捨てられた。騎士団に捕らえられて王都郊外の森に置き去りにされた。
彼女の高い神聖力は魔物にとって天敵であると同時に力を得るには良い餌であり、守るもののいない聖女にはすべての魔物を浄化することなどできなかった。
特に、彼女には守らなければならない命がいたから。
その日、聖女と王の間に生まれた幼い王子は母を探していた。ようやく見つけたと思えば無表情の騎士たちに連行されるところで、密かについていけばそこは魔物の巣屈。彼に気づいた母は結界を張るも、弱まった聖なる力では自らの寿命を削ったところで、魔物たちに叶わず。
そして長じるにつれ、母の死の真相を知った王子は決意したのだ。
王も、騎士も、貴族も、民も……母の死の原因となった全てのものを、殺してやると。
*
「あ、旦那さま! よかった、お目覚めになりましたのね」
だがこれは一体どういうことなのだろう、と王子は思った。
目の前にあるのはかつて婚約者だった今代聖女の麗しい顔。あまりに近い美貌にくらくらしつつ、どうやら自分は膝枕されているらしいと知る。
頭の下の柔らかな感触と優しい手つきがどうしようもなく幼い頃の記憶を呼び起こす。
聖女とはみんなこんな、毒のように甘く惹きつけられる女ばかりなのか。あっさりと彼の懐に入って、愛しくてたまらないと笑う顔に底知れない恐怖を抱いた。
母と似て異なるこのやさしい女を殺すには何故か、気が咎めて。きっと聖女を二代続けて国の犠牲にしたくないだけだと言い聞かせて、冤罪を被せた。
『聖女リリアーナ、貴様に婚約破棄と国外追放を言い渡す!』
まるで愚者のような宣言をして、かつて母を殺した騎士団長の娘を搔き抱き。無様な恋に酔った男を演じた。二度と戻ってくることのないように、身分の剥奪と国外追放を命じて、こっそり隣国に逃した。
それなのに、何故。
「何故おまえがここにいる!?」
ようやく現在に思考が至った王子は飛び起きた。膝枕の体制のままで彼を見上げる今代聖女はこてんと首を傾げた。
「嫁ぎに参りました」
「嫁いでくるのは第一皇女のはずだ! 元聖女のおまえではなく!」
「わたくし、実は聖女ではなく第一皇女ですの」
「下らん冗談を聞いている暇はない!」
「冗談でしたらわたくしがここにいるはずないでしょう?」
怒鳴り声に動じることなくにこやかに受け答えをする聖女に先程とは違った意味で視界がくらくらした。
彼女がさっと手を振ると、控えていた侍女が恭しく羊皮紙を差し出した。
「こちら、わたくしの出生証明ですわ。ご確認くださいませ」
奪い取るようにそれを見れば、確かに第一皇女リリアーナと書いてある。だが、この国に聖女として存在していたときは辺境の孤児院出身と言っていたはず。それに、隣国の第一皇女は病弱ゆえに療養中だと聞いていた。それが快方に向かい、健康になったので政略結婚という流れだったのだが。
「そうそう、実は第一皇女は幼い頃に誘拐されていましたの。この間隣国に訪れたところ、第一皇女であることが発覚して嫁ぐことになったというわけです」
「訪れたのではなく追放したのだ! そもそも、おまえは永久に国外追放であり、この国に足を踏み入れることは許可していない!」
「国外追放に処されましたのは聖女リリアーナでしてよ? 第一皇女リリアーナは国外追放なんてされていませんもの」
屁理屈ではあったが、権力でゴリ押ししてここまで辿り着いたのであろうことは、数年来の仲である王子には手に取るようにわかった。いつもは控えめで権力なぞ要らないとでもいう雰囲気を漂わせているくせに、ここぞという時は躊躇わずガンガン使う、そういう女だった。
そして、
「だから――逃がそうとしても無駄ですわ」
無駄に聡い女だということを、彼はよく知っていた。
「……なんのことだ」
「ふふ、わたくし、いっぱい手土産を持って参りましたの。きっと旦那さまのお役に立ちますから、おそばにおいてくださいませ」
リリアーナは立ち上がった。ぎゅっと唇を噛み締める彼を抱きしめて、うっそりと笑う。
「ずーっと、死ぬまで一緒にいましょうね、旦那さま」
こんな話が読みたいなーと思って二時間くらいで書きました。誰か書いて〜あるいは似たような話があったら教えてください〜




