記憶喪失
あたしが事態を把握できず呆然としていると、けたたましい音を響かせたなにかが近づいてくる。
そのなにかはあたしの近くに止まると中から大量の人が飛び出してきて、独楽鼠のように忙しなく動き始めた。
ある者は現場一帯に黄色いテープを張り巡らせ、またある者は横たわる人になにかし始めていた。
その様子をあたしは興味のないテレビでも見るかのように現実感なく眺める。
すると突然毛布のような物が掛けられた。
振り返ると薄青い服にマスクとヘルメットという妙ちくりんな格好をした男性が立っていた。
あたしになにか話しかけているようだが意味が分からない……。
声が雑音として処理され頭の中を駆け抜けていく。
ぼーっと男の人の顔を眺めていると突然抱きかかえられ、どうやらどこかに運ばれたらしい……。
あたしがなおも放心していると黒い服に身を包んだ女性が話しかけてきた。
なんとなく聞き取れたことを処理するとどうやら交通事故に巻き込まれてあたしは助かったらしい……。
何とか思い出そうと努めると誰かに背中を押された映像が頭に浮かんだ。
その時のことをもっと思い出そうとした瞬間あたしの意識は暗転した。
◇
気が付くとあたしはベッドの上に寝かせれていた。
あたしの視界には見たことのない天井が広がっている。
自分の部屋じゃない……。
なんでベットに寝かされているかわからない……。
ベッドの横に置いてあったスマホを立ち上げると親から通知欄を埋め尽くすほどの着信が来ていた。
早く家に帰られないとお母さんに叱られる……。
窓の外を見るにもう夕方だ……。
そう思い身体中に繋がっていた管を一本残らず引き抜くとあたしは白い大きな引き戸を開けて外に出た……。
さっきいた部屋の中でピーという謎の高音がなっているが構うものか。
おぼつかない足取りで廊下の進んでいると突然前から走ってきた白い服の人達に取り押さえられた。
抵抗しようとするが全く歯が立たない……。
数分ほど彼らと格闘して前いた部屋に戻されるとあたしはリーダー格の女性から説明を受けた。
「貴女は交通事故に巻き込まれ、その場で突然意識を失ったのでこの病院に運び込まれました。幸いにも強いストレスによる一過性の失神なので問題がなければ明日には退院することができます。なにか覚えていることはありますか?」
「え~っと……」
たぶん看護師と思しき女性に尋ねられてあたしは必死に記憶を引っ張りだした。
「名前は……、たぶん水原陽奈、高校一年です。交通事故にあったかはわかりませんが、買い物をしにおねーちゃんと外に出て、いきなり突き飛ばされて後はわからないです……、ごめんねなさい」
人間思い出そうとすると結構な情報が出てくるのである。
「はい大丈夫です。CTでも問題はないそうですし、そこまで記憶が戻っているのであれば退院して大丈夫そうですね。もしスマホが使いたいようでしたらエントランスでお願いします」
そう言うと看護師さんは去っていった。
――お母さんに電話しなきゃ。
なんとかエントランスにたどり着くとスマホに表示されたリダイヤルをタップした。
呼び出し音が何度かなった後に突然母の怒声が響いた。
「いまどこなの!」
「えーっと……、病院……」
「なにしてるの!」
「入院かな……?」
「は?」
「だから入院……」
ここから先は心のスイッチを切ったので何を言われたか覚えていないがめっちゃ怒鳴られていた気がする……。
あとおねーちゃんがどうとか……。
確かによくよく考えると突き飛ばされたあとおねーちゃんがどうなったか知らないななんて思いながら消毒液の臭いのするベッドで眠りについた。
◇
「おはようございます」
看護師さんのさわやか挨拶と共にあたしは目を覚ました。
部屋の中を見渡すが、部屋の隅に黒いまがまがしものがある以外なにも変化がない。
なんだ?と思い注視するとそれはコンクリートのようにがちがちに固まった怒気をまとった母だった。
あ……、嫌な予感がする……。
そう思っても時すでに遅し……、病室で二人きりになってしまった以上あたしに逃げるすべは何一つなかった……。
何度目かの母の説教を一通り聞き終わった後母はようやく本題に入った。
「陽奈は葵がどうなったか聞いた?」
え?
おねーちゃんがどうなったか?
「ううん、なにも聞いてないよ……」
「そう……、じゃあ説明しないとね……」
そう言うと母は車に乗るように言ってきた。
あんな変なところで切られると気になるがどうやら長くなるらしいのであたしは黙って従った。
と言っても母が退院手続きをしている間あたしは一人で悶々としていたが……。
「ごめん、おまたせ」
そう言うとあたしの返事も待たずにエンジンをかけた。
「ねえおねーちゃんになにがあったの?」
母が神妙な面持ちのまま運転を続けるので、痺れを切らして聞いてしまった……。
まあ大体予想はついてる、少なくとも死んではないだろう。
死んでたら、葬式などのごたごたで悠長にあたしのことなんか迎えに来られないはずだ。
「葵は陽奈を突き飛ばした後、車に轢かれた」
母は自分の感情を押さえるためだろう、極力冷静な感じで淡々と事実だけを話した。
やっぱりそうか……。
予想内だが最悪だ……。
「葵のいる病院に着いたら起こすから寝てていいよ」
「ありがとう」
母の言葉に甘えてあたしはシートを倒した。
ただ姉が事故に巻き込まれたという重大事項を聞いた後そんな簡単に寝れるわけもなく、あたしは母に背を向け助手席で独り音を立てず泣いた。
◇
「陽奈っ」
母に声をかけられるといつの間にか車は静まり返り、立体駐車場のようなところにいることに気が付いた。
「着いた?」
「うん行くよ……」
背後でオートロックの無機質な音を聞きながらあたしたちは病院に入った。
おねーちゃんの入院している病院も消毒液の香りで満ちていた。
母は姉の部屋を知っているのが病院に入ると脇目も降らず進んでいく。
あたしはそれについて行くのが精一杯だった。
「ここだよ」
母がそう言う部屋の前には水原葵というネームプレートがかかっていた。
ほんとに入院してるのか……。
「お母さんやることがあるからエントランスいるね」
そう言うと母はあたしを置いて去ってしまった。
開けなきゃいけないよな……。
そう思い何度もドアノブを握ったり放したりしていると看護師さんが来てしまった……。
「お見舞いの方ですか?」
よほど挙動が怪しかったのだろう不審者を見るような目で見られてしまった……。
「はいっ……、妹です……」
「まだ目覚めてないけど、どうぞ」
そう言うと看護師さんは静かに扉を開けるとあたしを手招いてくれた。
入らないわけにはいかない……。
覚悟を決めて入るとそこには痛々しく包帯を巻かれ、機械の一部のように管まみれになった姉がいた……。
「葵おねーちゃん……」
あたしはあまりの光景に現実を受け入れることが出来なかった……。
ついこの間まで一緒に暮らしていた姉がこんな姿になるだなんて……。
包帯と管を除けば昼寝をしてる姉となんら変わらない。
それだけ包帯と管の印象が強すぎた……。
「外部からの刺激で目を覚ますかも知れないので、話しかけてあがてください」
あたしが姉を見て固まっていると看護師さんが話しかけてくれた。
「わかりました……」
そう言ってとりあえず姉の手を握ったが、事故に遭う前と何ら変わらず姉の手は暖かかった。