56「魔神対女神」
「我の邪魔をしていたのが、歌の女神だったとはな。ハハハハ」
ニホバル王子たちの世界と神界を跨いで二柱の神が対峙している。
ミューズ神ポリュヒュムニアと魔神ツヴァパアドだ。
二つの世界を跨いだ空間の歪みは油膜のような虹色の光が捻れ、歪み、湾曲する。
広大な景色と虹色の光が被さり、視界の先はこの世の世界とは思えない様相だ。
ニホバル王子達の耳にも、空間の歪みの音が木霊して距離感覚を失っている。
魔神ツヴァパアドは禍々しい神だった。
長い歴史の中で戦争によって、人々の血肉や怨嗟の念を喰らい続けて来た神だ。
筋骨隆々とした体躯に大きな黒い腕、巨大で凶暴な形をした剣を構えている。
何者をも見下した歪んだ口で暴悪な笑いを堪えながら、女神と対峙するのだった。
「我は戦神なるぞ。その我に立ち向かうのが歌の女神とは大笑いだ。武力に歌でどうやって対抗するつもりか」
武力や暴力に対抗するのが歌。
笑いを堪えるのに苦労する様子。
「ツヴァパアド、お前は歌が武力や暴力に勝てぬとお思いか?」
そりゃあ勝てないだろう。
今までにも反戦歌という物が在る事位は、ツヴァパアドだって知っている。
それでも反戦歌が歌われて、戦争が止められた歴史は無い。
だからこそ、ツヴァパアドは歌の女神を軽んじる。
女神の歌でツヴァパアドが改心するとでも思っているのだろうか。
本気でそう思っているなら、チョロイ女神だ。
「ツヴァパアド、お前は聖書という物を知っているか?」
聖書くらい、どの神も知っている。
世界的なベストセラー本なのだから。
「聖書の最初の方に「先ず言葉在り」と有るが、誰の言葉かご存知か?」
万物より先にあった言葉なら、万物を創造した神の言葉だろう。
神聖四文字 YHWHで語られる神の名は……ヤハウェの筈だ。
しかし、YHWHをヤハウェと読むのか、本当にそれは神の名前なのか?
「声とは波動、ミューズは歌や芸術を司る神。ここまで言えば誰の声かお解かりか?」
「宇宙開闢の声の神、それはどの神より永く生きてきたという事」
「たかが数千年生きた魔神など赤ん坊に等しい」
「歌の力が武力や暴力に勝てない? そんな事は無い」
「歌とは波動、声とは波動、そして物は全て波動で出来ている」
「波動が高密度で押し固まった物が物質」
「歌は言霊、故に人の魂に共鳴する」
「我等ミューズは九神いる」
「いざ受けてみるが良い、女神ミューズ九神の歌を」
カリオペ、クレイオ、メルポネペ、エウテルペ、エラト、テルプシコラ、ウラニア、タレイア達が顕現していた。
ニホバルのいる世界には、歌の文化が広まり女神の力が増強されている。
最近弱体化したとはいえ、魔神ツヴァパアドは数千年生きた魔神だ。
魔神ツヴァパアドが周りを見回すと、いつの間にか九柱の女神が取り囲んでいる。
魔神ツヴァパアドを中心に九芒星形が形成され、星形の外側には結界が張られている。
九柱の女神たちの神の歌が始まった。
単に歌と言うが、歌と言う波動の極大エネルギーの暴力的放射だろう。
超低周波音はアポカリプスサウンドとなり、大地を揺らす。
1306368000000ジュールの超高周波の歌、それは
太陽温度の10倍のエネルギー波動が、九芒星形の中心に爆縮する。
超膨大な熱量、光量を伴う超高エネルギーの奔流は、次元震すら引き起こし、
九芒星形の中心に激動の渦を巻く。
結界内で起こった事にきのこ雲は上がらないし、周囲に被害は無い。
もはや魔神ツヴァパアドに逃げる術も場所も抗う術も無い。
巨大で凶暴な形をした剣も、強靭な肉体も、魔神も能力も一切が役に立たなかった。
九芒星形を形成する女神達の、包囲網の外の神の結界から逃れ得る者はいない。
太陽温度の10倍のエネルギー波動の全方位集中砲火で生き延びる事が出来る者はいないだろう。
例えそれが数千年生きてきた魔神であろうとも。
超巨大な圧縮されたエネルギーの奔流の中、断末魔の声すら飲み込まれた。
魔神ツヴァパアドは体も分子や原子、電子・陽子・霊子・中性子の一つも残す事はミューズ達が許さなかった。
「愚か者めが」
ミューズ神ポリュヒュムニアは冷ややかな目で事の収束を宣言する。
◇
魔神ツヴァパアドは完全に消滅し、バウソナから加護は消え去った。
「母上様、すごい光と地震でした。世紀末が来そうです」
女神達の結界で世紀末と言うほど世界は荒れてはいない。
次元震の影響が少しくらいは有るかも知れないけど。
ナサラトット魔道研究所長も、神話級の戦いの一端の目撃者になった。
「あれはもう魔術がどうのとか、魔道がどうのと言うレベルじゃなかった………」
人智を越えた神々の戦いに、人の身の矮小さを思い知らされた思いで蹲るしかなかった様子。
……ここら辺で納得してジロクアント王国に帰ってくれないかな。
それでも学究の徒である彼は、神話やオカルトに頼らず、ニホバルの研究に付いて来るようだ。
……もう、勝手にしてと言いたい。
あ、勝手にしてるから付いて来るのか。
「ニホバル王子様、山賊共は残らず殲滅しました」
火の精霊ウラークルが報告に来た。
正確には、隠れていたバウソナとヘンモレドスは生き延びているのだが、
もはや手下となる100名弱の手勢は、全て討ち倒されて無力になっている。
バウソナを加護する魔神はもういない。
そんな事情を知らないニホバル王子達一行は、ザウィハーへの帰途に戻って行った。




