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口裂け乙女《上》

 文芸部の部誌に寄稿したものの転載です。毎日「締切まであと○○日!」というメールを送ってくださる優しい部長様の許可は、もちろん頂いております。

 なお、三話目には後書きを含みます。その際、後書きは原文ままですので、少し視点が違いますが、お気になさらないでくださいませ。……三話目の文字数が足りなかったんだよ!


 それでは、一時間おきに予約投稿でございます「口裂け乙女」、どうぞお楽しみ頂きたく――



 橋口達也を説明するのに言葉を尽くす必要は無い。

 ――女性至上主義。

 その一言で十分だ。


     ★


 オフの日だった。女性が好きだからホストクラブで働いているのか、またはその逆か、とにかく彼はホストクラブで働いていた。

 オフの日は月に二日しかない。彼は女性との会話の引き出しを少しでも増やすためにと自炊する人間であったため、休日は買い出しだけで潰れる、などということもしばしばであった。

 すぐ隣を黄色の帽子を被った小学生が駆けていって、今が平日の、下校時間であることを知る。やれ校長の話が長いだの、口裂け女がこの近くに出るだの、小学生の話題はいつの時代も変わらないものだと達也は思う。


 そんなことを考えていると、ふと、通っていた小学校への懐古の念が頭をもたげた。

 そういえばその小学校は、ここからすぐそこだ。道を一本ずれれば懐かしいレンガの門が見えてくる。

 手に持つ二週間分の昼食の素材――冷凍食品や生肉は傷まないだろうか。九月になってもまだ残暑が厳しいものの、今日は急に冷え込んでいる。きっと大丈夫だろう――。


 卒業は一二歳のころであったから、つい八年前まで通っていたことになる。記憶の中の小学校とほとんど変化がなくて、なぜかホッとした。変わったところといえば、せいぜい正門のペンキが塗りなおされていることくらいだろうか。


 校長室へと歩く。夏休みに育てていたのであろう朝顔が萎れて茶色くなったものが散見される。きっと彼らが持ち帰られることはないのだろう。現に、鉢植えはひび割れ、地面は乾いている。忘れられていることは明白だった。

 校長室は正門のちょうど正面のところにある。なぜわざわざ校長室などというところに来たかといえば――もちろん部外者であるから肩身が狭いというのもあったが――。

 がら、という軽い音を立ててはちみつ色の扉をスライドする。校長室の扉はいつも光るまで磨きこまれていたのまで変わらない。


「ん? あれ? 達也君かね? ……久しぶりじゃないか!」


 ――今の校長先生が、八年前、達也の担任であったことも理由の一つであった。年の割に矍鑠(かくしゃく)とし、ロマンスグレーの髪はきれいに後ろに撫でつけられている。ピンとアイロンのかけられたシャツの上から、いつ見てもなぜか折り目正しくまっすぐの白衣を羽織っている。そんなところまで昔と同じで、少し笑ってしまった。


「お久しぶりです、先生」

「なんだね、君。そのへらへらした笑いは。そんなところまで変わらないっていうのはね、成長してないというのだよ」

「そういう先生こそ、あまり成長してないように思いますが」

「当たり前だよ、達也君。この年になっての変化はね、成長じゃなくて退化というんだ」


 ――この人にはいつになっても敵わない。

 別に小学生の時分からそう思っていたわけではない。初めて思ったのは高校生になってからである。達也が中学校に通っていた三年間と高校の一年間はこの学校から転勤していたらしいが、高校二年生の時分にこの小学校に帰ってきて以来、ずっと校長を務めている彼に、一度だけ会いに来たことがある。そのときだ。そう思ったのは。小学生の時からそのような先生であったのだろうが、いかんせん幼すぎた、よく覚えていない。


「それで、先生は何をしているんですか」

「校長だよ。君こそまだ水商売をしているのだろう? それも経営だ。いくら仕事が大事でも、休みはちゃんと取りたまえよ? 君のことだから、どうせ月休二日とかだろう? 水商売――ホストだのなんだのというのはね、あまり感心しないな」


 図星であって何も言えないのだが、そんなことを聞きたかったわけじゃない。いや、これでこそ先生だ、とも思うが、結局葛藤は不思議な温かさとなって体に吸収される。

 懐かしい。このやり取りすら、懐かしい。


「先生、今は何の作業中だったのですか」


 言い直して疑問を伝える。この、人を食ったような、どころかむしろ積極的に喰いにくる先生には、よりストレートな質問をぶつけなければ話が前に進まない。

 ここは校長室だ。

 場違い極まりないビーカーやアルコールランプをいったん脇に退けて、椅子に腰掛けなおした校長の担当科目は理科である。小学校であるから特にこれと決まった教科を教えるわけではないので、得意科目は、に言いかえても良いかもしれない。


「ああ、べっこう飴を作っていたんだ」

「懐かしいですね。僕も作りましたよ、昔」

「ああ、そうだったね。君が砂糖とベーキングパウダーを間違えるから大変なことになったんだったか」

「ちょっと先生、どうしてそんなことまで覚えてるんですか」

「そりゃあ覚えているさ。なにせ、君は僕の受け持った中で一番のおっちょこちょいだったんだからね。っと、べっこう飴の話だったね。君、口裂け女の話は聞いたことがあるだろう」


 聞いたも何も、達也だって小学生の時には信じていたのである。その恐怖はかすかな苦みを伴って思い出すことができた。それを飲み下して、新たな問いを発する。


「それとべっこう飴にどのような関係が?」

「ああ、君、つい八年前まで信じていたというのに、忘れてしまったのかね?」


 その言い方だとまるで小学校六年生、卒業するまでずっと信じていたみたいではないか――。

 そのとおりであるため達也は何も言い返せなかった。それほどまでに口裂け女の噂は小学生に恐怖を与え続けるのだ。特にこの辺りは口裂け女の目撃証言が多かったのもそれに一役買っているのかもしれない。実際、達也の五つ上の先輩は口裂け女に攫われて行方不明なんだとか。


「口裂け女はべっこう飴が好物なのだそうだよ。ゆえに、もし襲われても、べっこう飴を与えれば逃げることができるんだとか。子供はそういう話が好きでね、口裂け女が怖いから、と、毎年不登校の児童が一人はいるものだ。……ああ、すまない、話が脱線したね。……つまりだ、べっこう飴さえ配ってしまえば子供たちは安心して登下校できるようになる、というわけだよ」


 まったく、単純な生き物だよ、子供というものは、と言外に語り、今の話はオフレコで頼むよ、といったニュアンスの笑みを、唇を釣り上げただけという簡単なもので済ませる。もちろん達也にはこれで伝わることを承知の上での行動だ。


「なるほど、大変ですね、教職も」

「ああ、ああ、その通りだよ達也君。やっとわかってくれたのかい。それなら、今まで迷惑をかけたことを謝罪するといい」


 思わず笑みがこぼれる。


「なんだね。こちらが欲しいのはへらへらした笑みじゃない、謝罪だぞ」

「いえ、すいません、やっぱり何にも変わってないなあ、って」

「……なんだね、君は。もう帰りたまえ」


 フン、と尊大に鼻を鳴らして校長はビーカーを手に取った。またべっこう飴づくりに(いそ)しむのだろう。

 退室しようとドアを開けた達也に、背から声がかけられる。


「ああ、これを持って行きたまえ」


 そう言って何やら袋のようなものを放り投げてくる。それを危うく受け止めた頃合を見計らって、校長は言葉を投げた。


「それさえあれば口裂け女も怖くないだろう? 怖くて登校拒否になった、た、つ、や君」


 どうやら仕返しのつもりらしかった。やっぱり口では敵わないなあ、と頭を掻きながら校長室を後にする。


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