朝の訓練
これは単なるたとえ話であって、本筋とは全く関係ない事なのだが。
人は朝、どのように起こされるのが幸せなのだろう。
「おにいちゃーん、あさでしゅよー」
と、妹(血の繋がっていない)に優しく揺さぶられるのと……
「先輩、もう起きてください。遅刻してしまいますよ、ちゅ」
と、迎えにやってきた後輩にキスされるのと……
「もう、あんたいつまで寝てるわけ? えい」
と、屋根伝いに窓から侵入して来た幼馴染にピコピコハンマーで叩かれるのと……
どれが最も幸せであろう?
さて。
……上記のような腑抜けた非現実的シチュエーションに対して羨望を欠片も抱いていない人間であったとしても、ある程度の最低ラインは求めているし、それを裏切られれば怒るはずだ。
より具体的に言うと、ベッドから蹴落とされるような起こされ方をして不満を抱かない人間などいない。
というような妄言を全て吹き飛ばすような勢いで、ベッドから蹴落とされた。
「起きろ、いつまで寝ている気だ!」
「……」
祐一は床に倒れたまま上を見上げる。ブレアが立っていた。
「朝だぞ」
しいて言うなら、ピコハンが一番近いかもしれないが、特に嬉しい情報でもない。
確かにブレアは女性であるが、幼馴染ではない。……というか昨日の夜、三十分ぐらい顔を合わせたぐらいだ。
「……どっちにしてもピコハンはありえないと思うんだよな」
「何を寝ぼけているんだ?」
ブレアの氷のように詰めたい視線を受けながら、祐一は起き上がる。
もちろんその部屋は、現代日本などではない。
ファラなんとか王国のラーなんとか神殿の、祐一に与えられた部屋だった。
「ああ、夢じゃなかったんだ……」
「馬鹿な事を言っている場合ではない。さっさと着替えろ。訓練の時間だ」
急にそんな事を言われても困る。昨日はそんな事、一言も言われていない。
「訓練? 何の?」
祐一が何とか返事をすると、ブレアは舌打ちする。
「腑抜けている。貴様は自分の置かれた立場を全く理解していないようだな。巨大甲冑を預かる身になったという事、その意味を体に叩き込んでやる」
「いや、無理やり呼び出しておいて何を……」
祐一の反論は、投げつけられた何かに防がれた。
どうやら着替えの服らしい。
「つべこべ言わずに今すぐ着替えろ。部屋の外で待っている」
よく解らないが、モタモタしているとまた蹴られそうな雰囲気だったので、祐一はおとなしく従った。
着替えを終えて廊下に出る。
ブレアは木の棒を二本、持っていた。
「……木刀?」
「そうだ。厳密には木剣だがな」
二本あるという事は……ブレアが二刀流の使い手でもない限り、一本は祐一のためのものだろう。
ブレアは行き先もつげずに歩き出す。祐一はよく解らないまま後についていった。
神殿の裏庭。
神殿を囲む森が途切れて、広場のようになっている。
訓練でよく使っているのか、草はなく土がむき出しになっていた。
昨夜も一度、川に水浴びに行くときに通ったのだが、その時はよく見ていなかった。
祐一が辺りを見回していると、ブレアは木剣の一本を差し出してくる。
「……おまえは、剣の心得はあるか?」
「剣道ならやってたぞ」
剣道とは言うが、これ、名前こそ「剣」道だが、正確に分類するなら「刀」術である。
ちなみに、両側が刃になっているのが剣、峰打ちができるのが刀だ。似たような物だと言ってしまえばそれまでの事だが。
「剣で人を殺した事は?」
「あるわけないだろ!」
祐一が言い返すと、ブレアは不思議そうな顔になる。
「一般市民に対する殺人が禁忌なのは解る。だが、戦争は例外だろう?」
「いや。俺がいた国は戦争禁止だし、他の国だって戦争するなら銃とかの遠距離武器を使う。そういう時代になってるんだよ」
「戦争禁止……?」
ブレアは関係ない方に気を取られたようだが、すぐに首を振って話を戻す。
「遠距離武器を使うと言ったな? マスケットや大砲が発達しているのか?」
「マスケット? ああ、そんな所だ。一秒に何十発も撃てたりな」
「ほう? それは一度見てみたいな……だが今は剣の話だ」
ブレアは、まるで信じた様子もなくそう言う。
「つまり、おまえの世界では、剣術は廃れているというのだな?」
「そうとも言えるけど……」
「で? 剣で野生動物と戦った事は?」
「そんなん勝てるわけないだろ……」
剣では、熊やイノシシを相手にするには火力不足だし、リスやウサギが相手なら逃げられてしまうだろう。
「ふむ。ではその剣道とやらは、何の役に立つのだ?」
「何の役にって……え? ……スポーツ?」
役には立たない。しかも他のスポーツと違って、日本から一歩でたら競技人口がほぼゼロだから、オリンピックもない。
「……」
微妙な沈黙を挟んで、ブレアは諦めたように言う。
「念のために聞くが、それがおまえのいた世界の常識という事でいいんだな?」
「ああ。そうだけど、それが?」
「お前が全く使えないという事がはっきりした」
「えー……」
酷い言いがかりだった。
だが、ドラゴンと戦えるかと聞かれたら、確かに無理かもしれない。
「アロドめ……剣の才能がある奴を選ぶと言っていたが、やはり魔力制御を優先したか」
「俺じゃダメだって言うのか?」
「いや。アレを動かせるなら、誰でもいい。そこから先を何とかするのは私の仕事だ」
そしてブレアは木剣を差し出す。
「とりあえず、構えてみろ」
祐一は受け取った木剣を構えてみてから、眉をひそめた。
剣の真ん中あたりに、妙な重りが紐でぶら下がっているのだ。紐の長さは数センチ。かといって、密着しているわけでもない。
何かのイタズラかと思ったが、ブレアが持っているもう一本にも同じ物がついている。
「……」
「少し振ってみろ」
祐一は木剣を振ってみるが、実に振りにくい。
重さはまだいいのだが、中途半端な位置にぶら下がっている重りが揺れて、剣筋が安定しない。
振り上げる時はやたら重い。
振り下ろす時はワンテンポ遅れた抵抗が生じる。
斜めに振ると変な方向に剣が持っていかれる。
剣道部では、筋トレで重い木刀を振らされた事はあったが、それと同じような物なのだろうか。
困惑しながらも、祐一は木剣を振る。
ブレアは横から太刀筋と足運びとを見ていたが、感心したように頷く。
「王国騎士団とは違う流派のようだが、洗練されている。……おまえ、国で一番の剣士に戦いを挑んだ事はあるか?」
ない。というか、そもそも日本で一番の剣士がどこの誰か知らない。
「剣道なら、全国大会を目指しているつもりだったけど、楽に優勝できるとは思っちゃいないよ」
「十分だ。おまえに対する認識を改めよう」
「それはどうも」
とりあえず及第点という所らしい。
「……それはいいんだけどさ。この剣の真ん中についてる重り、何?」
祐一が聞いてみると、ブレアはさも当然のように言う。
「それは訓練用の重りだ」
「この国の剣は、全部この重りがついてるのか?」
もしそうだとすると祐一は、剣に対する考え方を根元から改めなければならないかもしれない。
ブレアは首を振る。
「まさか。これは巨大甲冑を動かすための訓練だ」
「変な剣を振り回す事が?」
「どう説明すればいいかな……」
ブレアは考えるようにあごに指を当てる。
「一度巨大甲冑を動かしてみなければ解らないかもしれないが、巨大甲冑の使う剣は重いのだ」
「そりゃ、あれだけデカイからな」
人間の身長の五、六倍。単純に拡大したなら体積や重さは二百倍を超える。
「そうではなくだな……何も考えずに剣を振り回すと、動きが遅れる事になる」
「はあ……」
祐一自身はまだ動かした事がないので、そういう物なのか、としか思えない。
「重い物を動かすには大きな力が必要だ。だが、一度動き出した物を止めるのにも、大きな力が必要になる」
「ああ」
「その感覚を体に覚えさせるのがこの訓練なのだ」
「……」
今一つピンと来ない。
「とにかく、一度やってみれば解るのだが……ううむ。昨日、動かさずに降ろしてしまったのが悔やまれるな」
「それはもしかすると……慣性の法則って奴か?」
「慣性?」
ブレアは通じなかったのか困った顔になる。
どうもこちらの世界では呼び方が違うらしい。
あるいは、巨大甲冑乗りが感じている経験則でしかなく、名前などついていないのか。
「よく解らないが、たぶん、それの事だろう。知っているなら話は早い」
「で、その慣性と、この剣にぶら下がっている重りが、どう関係あるんだ?」
「ぶら下がっている重りが剣を振りにくくする。その具合が巨大甲冑で剣を振り回すときの感覚に近い、と言われている」
ブレアは教科書か何かを読み上げるような口調で言う。
「そういうもんなのか?」
「……」
やや後ろめたそうだった。
あくまで代理訓練であって、その物を再現するには至っていないらしい。
「本来、この訓練を先にやるのは良くないのだ。間違った癖がついてしまう事があるからな」
「なら俺にやらせなきゃいいじゃないか」
「そうしたい所だが……、最近では、そこらの子どもまで真似してやっているらしい。……というか、私も昔やった」
「……」
祐一は、幼女ブレアが棒切れを振り回して駆け回っている所を想像してみようとしたが、うまくいかなかった。
ブレアはこほんと咳払い一つ。
「いいか、これはあくまで巨大甲冑に乗った時のための訓練だ。この訓練がうまくなっても意味がない。巨大甲冑に乗った時に、上手に剣を扱えるかどうかが大事なんだ」
「解った」
そしてブレアも、木剣を構える。
「とりあえず、何度か打ち合いをしてみよう」
「ああ」
「念のために言っておくが……剣についている重りを利用した斬新な戦法を思いついたりしないように。調子に乗った新兵がよくやるのだが、それでは訓練の意味がないし、今日はそんな物に付き合っている時間がない」
「……それは解ってるよ」
**
打ち合う事、小一時間。
フィリアが朝食に呼びに来て訓練はお開きとなった。
ちなみにその訓練の間、祐一はブレアから一本も取れなかった。
朝食の席に着く。
ちなみに、祐一にとっては、この世界に来てから初めての食事だった。
老人アロドが同席する。
「ブレア女史と訓練しておったようじゃの。若いのはいい、朝から元気で」
「あ、すみません」
「別に謝ることではなかろう。だが体力は温存してくれよ? 今日は仕事が多いからな」
「仕事?」
祐一は聞き返しながらバターを塗った丸パンを齧る。少し硬かったが、味は現代日本とあまり変わらない。
疑問には、フィリアが答えてくれる。
「異世界人の召喚に成功したと言う情報が、元老院に伝わってしまったらしくて、今日にも、見に来るそうなのです」
「元老院て何?」
「えっと……政治家の集まりみたいなものです」
国会議員みたいな物か。
いや、この世界観だと貴族の集団かもしれない。
どちらにしても、国の運命を左右できる人達であろうことは予測できる。
「そんな奴らが、俺に何を?」
「……あの竜骨機関は、ちょっと特殊な物で、人間には動かせないのですよ」
「俺は普通に動かせそうだったけど?」
昨夜は固定具があったので、途中でやめたが、実際には本気を出しても動かなかった可能性があるという事だろうか?
「動かせて当然だ。そのために呼んだのだからな」
アロドが自慢げに言う。
呼ばれた祐一にとっては迷惑な話だった。
「俺ってそんなにレアな人材なのか?」
「数千万人に一人の才能らしいのですよ」
「そんなバカな……」
と言ってから思ったが、比率を三千万人に一人としても、日本には四人。地球中では二百人ぐらいいる事になる。
祐一がその一人である事は、確率的にはゼロではない。
「ちなみに、この国の人口って何人ぐらいなんだ?」
「さあ。そういう情報は一般人には伝わってこないので」
フィリアは首を傾げる。
人口とは国力であり、国力とは戦力でもある。
要するに、人口に関する情報は、軍事機密として扱われているのだ。
「三百万人ぐらいじゃよ」
アロドがこともなげに言った。
たぶん、パイロットの選定作業の中でそういう情報にも関わっているのだろう。
この国の人間を全員集めても、動かせる人間がいる確率は十分の一程度。諦めて異世界にすがるのも仕方のない事……なのだろうか?
「で? 俺は何を期待されているんだ?」
「それはもう、巨大甲冑を動かすことでしょう」
「やつらは、もうそれしか言ってこないからな」
「……やっぱりか」
昨日の感覚なら動かせそうな気はするが、逆にまずそうな気もする。
例えば、生まれたばかりの赤ん坊でも、全身を動かす事はできるはずだ。少なくとも骨と筋肉があり、神経が通っているのだからそういう事になる。
だが、立って歩いたり、手先の器用さを求められるような動作をこなせるかというと、話は別になる。
「歩いてみせるだけでも、十分だとは思うのだが。もうちょっと要求されるかもしれないなあ……」
「要求って……具体的には?」
「模擬戦とかだろうな。一応用意はしてあるのだが」
「ちょっ、無理ですよそれは。歩くのでさえ出来るかどうかわからないのに……」
祐一は慌てて否定するが、アロドは
「私だって無理だと思うがね……元老院の奴らを納得させるのは、もっと無理だろう」
「そんな……」
「だが、ブレア女史は、その辺まで見据えているのではないかね? そうでもなけりゃ、君を朝っぱらから叩き起こして棒を振り回させたりはすまい?」
「……」
アロドの言う通りだった。
どうやら祐一は、覚悟を決めなければいけないらしい。
フェンシングなら、オリンピックあるんですけどね
剣道、地味だなぁ……と、中学の時に体育の授業でやっただけの人が言ってみる