始まりの時
お付き合いいただければ幸いです
太古からの巨木が林立する森の中。
身長10メートルを超える巨大な甲冑兵が数十、倒れていた。
ある甲冑は胴体を叩き潰され、またある甲冑は上半身と下半身を分断され、ある甲冑は自分の持つ槍に体を貫かれ……どれもが惨殺、としか言いようのない酷い有様だった。
甲冑の傷口からは血の代わりの黒い油がにじみ出てている。
そんな残骸が散らばる中に、まだ立っている巨大甲冑が十ほどあった。
『隊長、もう無理です、撤退しましょう』
10ある甲冑のどれかから、怯えた声が響く。
『諦めるな! やつも限界のはずだ。次の攻撃に成功すれば勝てる!』
隊長が叫ぶ。まだ若い女の声だった。
『ここで逃げても、死ぬのが少し遅くなるだけだ。それならせめて、名誉を残せ!』
『うううっ』
生き残りの巨大甲冑たちは、一つの敵を囲んでいた。
決して、甲冑を操る物達が臆病なわけではない。ただ、相手が強すぎるのだ。
邪竜 《ヘルミータ》
吐き気を催すドロドロでボコボコした皮膚。
爬虫類を巨大化させたような外見で、頭から尻尾までは五十メートルはある。
背中から二本の腕が生えていて、その先端は鎌のようになっている。
周囲に倒れ伏す数十の巨大甲冑は、皆その鎌にやられた。
だが《ヘルミータ》も無傷ではない。
全身に無数の刺し傷があり、いくつかの傷は太い血管にまで達したのか、壊れた雨どいのように血が噴き出している。
そして背中の腕の付け根あたりに、槍が何本か突き刺さっていた。
鎌はもう自由には振れない。
『これで最後だ、突撃!』
『うぉぉぉぉぉっ!』
巨大甲冑の一つが大音量で号令を放ち、生き残り達が追従する。
十の巨大甲冑は一塊となって、《ヘルミータ》に突撃した。
作戦も何もない。
ヘルミータの背中の鎌が振り下ろされ、巨大甲冑の一つが吹き飛ぶ。
だが残りの九体は、ヘルミータの頭部へとたどり着いていた。
ヘルミータの頭部に首に口内に、何本もの槍が突き刺さる。
『アグァァァァァァァァァァァァッ!』
《ヘルミータ》が最後の咆哮を上げた。
衝撃波で世界が揺れ、生き残った巨大甲冑たちは吹き飛ばされる。
《ヘルミータ》は頭を何度も地面に叩きつけながら転げまわった後、支えを失ったかのように、地面に腹をつけた。
森の中では動く物がいなくなった。
**
その戦いから一ヵ月が過ぎた頃。
森からずっと離れた所にある石造りの神殿に、ヘルミータの遺骸は運び込まれていた。
神殿の一室。
天井は高く、床から十五メートル近くの距離ある。
クレーンの類が何本も垂れ下がり、床には工具や何かの材料が所狭しと置かれ……
もはや神と向き合う場所と言うよりは、機械を整備する格納庫に見えた。
というか、そのものだった。
今ここで、新しい巨大甲冑が、組み立てられようとしている。
ヘルミータの遺骸はバラバラに解体され、そこから使える部分を剥ぎ取り……再構築されていた。
「本当に、強いのだろうな?」
「当然だ。何しろ材料はヘルミータだからな」
格納庫の内側、三階ほどの高さに作られたバルコニー。
そこに二人の男がいた。
二人とも、老人だ。
一人はオレンジ色のローブを着ている。これは元老院を示す色だ。要するに政治家である。
もう一人は紫色のローブを着ている。これは魔法使いを示す色。彼はこの場で巨大甲冑を組み立てている魔法使い達の最高責任者にあたる。
竜骨機関。
それは、竜の遺骸を材料に作られる、巨大戦闘兵器。
人間達は、国を脅かす悪い竜と戦うために、生身で弱い竜を倒し、その遺骸を魔法によって組み立てなおして巨大甲冑を作った。
その甲冑は、乗り込んだ人の意思によって操られ、サイズに合わせて作られた剣や槍を振り回し、竜と戦う。
そうやって巨大甲冑で強い竜を倒し、その竜の遺骸でさらに強い巨大甲冑を組み立て……
それを繰り返した末、ついに邪竜の一匹、ヘルミータの討伐を成し遂げたのだった。
あとは、ヘルミータの遺骸を使って巨大甲冑を作れば、残りの邪竜を討伐するのも、そう難しくはないはず。そういう状況だったのだ。
ヘルミータの討伐に成功した時点では、誰もがそう考えていた。
だが。
オレンジ色ローブの男は、ほぼ組みあがっている甲冑を指差す、小ばかにしたような表情で。
「で? いつになったら使えるようになるのかね?」
「完成は間近だ。もう少しお待ちいただきたい……」
「そう言って、本当はもう完成しているのではないかね? 完成したのに、動かないから、それをごまかすために時間稼ぎをしているのではないかと、皆疑っているのだが」
「……」
紫ローブの男は言い返さない。
ある意味、その指摘は的を得ているからだ。
「ヘルミータを倒すのに五十の甲冑を出し、その全てが大破または中波した。乗っていた騎士の多くも死亡または大怪我、現役復帰できそうなのは十人もいない」
「知っているとも」
「我々は大きな損害を出したのだ。それに見合った成果が出ないのであれば……」
「そのヘルミータの強さこそが、この巨大甲冑の強さを保障するのだ」
「動かなければ、ガラクタだろう?」
二人は黙ってにらみ合う。
先に口を開いたのは、オレンジローブの男だ。
「強力な竜は、高い魔力を持つ。優れた素養を持つ者でなければ操るどころか暴走してしまう。そう言ったのはおまえだ」
「言ったとも」
「その優れた素質を持つ者、というのを、ヘルミータ討伐で大量に使い潰してしまった事。よもや忘れたわけではあるまいな?」
「……」
「私は、この国に、これを動かせる者など残っていないと考えている……」
「それはおまえの思い込みだろう?」
「そう思うなら、元老院に呼び出された時に、同じ事を言ってみろ。タダではすまないだろうよ?」
「……」
どうにも、紫ローブの男にとっては旗色が悪かった。
「はっきり言おう。こいつの進捗具合などどうでもいい。どうせ遅かれ早かれ完成するのだから。だがそれを動かす者はどうやって用立てる? まさか今から育てるなどと言うつもりはないだろうな?」
「……アテなら、ある」
「ほう?」
オレンジ色のローブの男は、疑わしげにだった。紫ローブの男はやけくそ気味に言う。
「一週間ほど、待っていろ。必ず成し遂げてみせる」
「ふん。いいんだな? 元老院にもそう伝えるぞ?」
オレンジローブの男が去った後も、紫ローブの男はバルコニーから巨大甲冑を見下ろしていた。
腹立たしいが、言っている事は何一つ間違っていないのだ。
誰がこれを動かすのか。それが大問題だった。
バルコニーに、紫色のローブを着た少女が出てくる。金色の髪に青い花飾りをつけた、可憐な少女だった。
「おじい様」
「おお、フィリアか」
フィリアと呼ばれた少女は、申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんなさい。私が適合できなかったばかりにこんな事に……」
「いいのだ。これが人の身に扱える物ではないのは、始めから解っていた事。お前が責任を感じる必要はない」
紫ローブの男はさも当然のように言う。
「それで、どうするのですか? あの、なんというか……」
少女は遠慮がちに言葉を選んだ後、黙り込む。
「今更取り繕っても仕方ない。正直に言ってみろ」
「その、なんというか……本当にアテがないように思えるのですが」
「難しいのは確かだな」
「それなら私がもう一度挑戦します。少し結合率を落とす必要があるかもしれませんが……きっと動かして見せます」
「いいや。その必要はない」
紫ローブの男は言う。
「悔しいが、あの男のいう事は真実だ。この世界の人間ではとても動かせまい。この世界の人間ではな」
「それでは、諦めるのですか?」
少女が聞くと、男は大げさに肩をすくめてみせる。
「何を言っておる。この世界には、と言っただけだ。それなら別の世界から呼び出せばいいだけの事ではないか」
さも当然のように、言ってのけた。
少女は首をかしげる。
「おじい様……。そんな事が、本当に可能なのでしょうか?」
「準備は整えてある。明日にでも決行できるだろう。おまえにも立ち会ってもらう」
「解りました」
少女は頷き、しかし不安そうな顔になる。
「あの、おじい様」
「なんじゃ?」
「呼び出すという事は、相手が必要ですよね?」
「そうじゃの」
「具体的には誰を?」
「うむ……」
紫ローブの男はしばし黙考し、気楽に言う。
「……それは適当でいいんじゃないか? とにかく、あれを動かせる素質さえあるなら、誰でも構わん。だが、できれば剣の心得があって、気立ての良いやつであってくれると嬉しいかな」
**
現代、日本。
都内を走るマイクロバスがあった。
乗っているのは、ある高校の剣道部の部員と顧問。
大会を終えて母校に帰還する所なのだ。
そのバスの最後尾に座る少年と少女がいる。
少年の名は、時田祐一。大柄で威圧感のある感じ。剣道部の主将を勤めている。
少女の名は、佐原香奈。小柄で幸薄そうな感じ。剣道部のマネージャーを勤めている。
祐一は、窓を見ながら試合の様子を思い出し、ぽつりと言う。
「……勝ったね」
「そうだね」
佐原は膝の上で手をもじもじさせながら、恥ずかしそうに微笑んだ。
佐原は体力がない。引っ込み思案だ。性格的に勝負事に向かない。
いつも具合が悪いかのように(もしかすると実際に具合が悪いのかもしれないけど)浮かない表情でうつむいている。
だが、顔立ちは整っているし、ごくまれに見せる笑顔は雲間から照らす太陽のような輝きを持っている(と祐一は思っている)。
そして佐原はとてもけなげな少女である。
例えば、前期の大会で祐一たちは惨敗を帰した。楽に勝てると思っていた相手に手も足も出なかったのだ。
その時落ち込んでいた祐一を、佐原はつたない言葉で励まし、それでも足りないと解ると家に誘ってくれた。
戸惑う祐一に、佐原は手料理を振舞って励ましてくれた。
その料理があまりにもおいしかったので、祐一はつい言ってしまった。
「この料理はまた食べたい。次は勝った時のお祝いとして!」
佐原は頬を染めながらも、それを了承した。
そして今日、祐一は約束どおり勝ったのだ。
部員達も、その辺りの事情を知っているので、空気を呼んで二人を後部座席に押し込んだのだった。
二人は少し頬を染めながらも、小声で話す。
「約束、覚えてるか」
「う、うん。ちゃんと覚えてるよ」
「今度の日曜日あたり、どうだろう?」
「うん……。おいしいの、つくるから」
「楽しみにしてるよ」
「ふふふ」
そんな劇甘空間をぶちこわしたのはショベルカーだった。
より厳密には、ショベルカーを運搬していたトレーラーのブレーキが、何かの拍子に故障して、交差点に突っ込んできたのだ。
トレーラーはマイクロバスを掠めるように避けたが、牽引していた荷台がマイクロバスの後部を叩いた。
さらに倒れてきたショベルカーが、バスの後部を押しつぶし、トドメをさした。
なんの前触れもなく、体が浮き上がるような衝撃が走った。
浮き上がったの二人の体だけではない、バスその物が一瞬浮き上がったのだ。
祐一は、反射的に香奈を抱きしめて庇った。
だが、焼け石に水だった。