自作の遊び
私の家ではマンガを読むのも禁止で、ゲームも禁止で、テレビはニュースだけでした。でも木のバットを作った時から少し変わりました。遊びは自分で作ればいいと思うようになりました。
この頃よくしたのが、一週間かかってもゴール出来ないスゴロクを作っていました。広告の裏の白紙を使って作っていましたが、最初は簡単にゴールしてしまっていました。紙のスペースに限りがあるので、マス目を小さくしたりしましたが結果は同じでした。どうしてもなかなかゴールが出来ないスゴロクを作りたかったのでグルグルスゴロクを作り出しました。紙の端を一周マスを作り、その中に小さい円のマスを作り、またその中に小さい円を作りという感じで作りました。外周からスタートである一カ所だけ内に入れるマスを作り、それを繰り返すことでなかなかゴール出来ないスゴロクになりました。もちろん外周に転落するマスをたくさん作っていたのでなかなか中心に近づくことができませんでした。このスゴロクは弟と毎日のように遊びました。
その次は家の中でバスケットボールをすることを考えました。友達の家には外にバスケットゴールがあったのが羨ましく思っていましたが、もちろん私の家にはありませんでしたし、買ってくれることもありませんでした。
まず針金ハンガーで枠を作り、荷造り用のビニールヒモでネットを作りました。ボールはスゴロクで使っていた広告を丸めてテープで止めただけのボールでした。もちろんドリブルは出来ないし、部屋の中なので派手な運動にはなりませんでしたが、ルールを決めて遊びました。ドリブルはボールを片手で持って転がるのがドリブルで、両手で持ったり、持ち替えたりしたらドリブル終了、そんな感じでバスケットボールの真似をしていました。特に雨の日は外で野球が出来なかったので、雨が降るとバスケットボールをしていました。
広告を使った遊びでは、折り紙もよくしていました。でも難しい折り紙の折り方はわからないので箱を作っていました。ただの箱では面白くないので箱の中に箱を作って何個作れるかを弟と競っていました。まるでマトーショリカのようになっていました。これもよくやった遊びでした。この遊びは箱が小さくなるほど作るのが難しく、指先の細かさがポイントでした。
指先を使った遊びは針金でもよくしました。ただしりとりをするのでは面白くないので、しりとりで答えるものを針金で作るという遊びをしました。針金も一本の針金で、一筆書きのようにしていました。この時の一番の傑作品は一本の針金で自転車を作った物でした。この自転車は母の知り合いからも頼まれて何個も作ってあげていました。リビングや玄関に飾られてるのを見た時は本当に嬉しかったのでたくさん作りました。
一番よくやった遊びでは、紙ヒコーキでした。いろんな紙ヒコーキを作っていました。真っ直ぐ飛ぶヒコーキ、ふわふわ飛ぶヒコーキ、くるくる周りながら飛ぶヒコーキ、でも一番のお気に入りは宙返りして滞空時間の長いヒコーキでした。ヒコーキを使っていた時に気をつけていたことはバランスでした。前に進む力、羽で空気を掴み浮き上がる力、空気の流れ、左右のバランス、全てのバランスが取れたヒコーキは本当にキレイにスマートに飛んでくれました。今でも同じヒコーキを作れますが、おそらく他では作っている人はいないヒコーキだと思います。
その他にも、小さいおもちゃをたくさん作っていました。遊びの中でルールを考え、作り方も考えていたのが楽しかったのでした。
失敗を繰り返し、作り直しの連続で、手先も器用になって、完成させるということを学んだのはこの時でした。今の私の物作りの意欲の元になっているのだと思います。
苦しみの中の小さな幸せを探していた時が一番幸せだったのかもしれない。