生きてることに対する失望
私は小学校に入り苦痛の三年の月日がながれた。小学三年にもなると子供ながらにいろんなことを思い、考え、また大人じみてくるころでもあります。周りのみんなはテレビ番組の話しに盛り上がり幽霊の話しに怖がっていた時期です。学校のトイレに出るらしいと言えばみんなトイレに行くのを怖がったものでした。でも私は全然怖いと感じたことはありませんでした。幽霊よりも怖い父がいて、一晩中放り出されることもよくあったので暗いのにも孤独にも慣れてしまっていました。子供ながらに考え、もし幽霊がいるなら友達になろう、とか思った時もあったがやはり幽霊はいないという結論を出したのもそのころのことでした。
毎日生きることに必死で怖いとか怖くないとか考える時間もなかったのも一つの理由でした。それよりも自分が隣りの家に生まれてきたら良かったのにとか、どうして生まれてきたのか、生きて行く自信がないのは自分のせいだ、そんなことをずっと毎日考えていたのです。毎日考えても答えは見つかることはなくただただ自分に対する失望、生きてることに対する失望、それだけが頭に残っていくだけでした。
今日を生き抜く為に自分の中に3人の自分がいるのにも違和感がなくなり出したのにも、精神的には大きな負担になって来ていたのもこの頃だったのだろうと思います。
1人は家の中の自分、もう1人は友達といる時の自分、最後の1人は独りきりになった時の自分。世間的には内と外の使い分けで片付いてしまうことでしょう。でも余りに極端に使い分けるには子供には負担があり過ぎることで凄く精神的に疲れていました。
自分のことや人が生きている意味、家族環境のことを考える時は決まってマンションの屋上でした。三階建てのマンションの屋上に上がり、屋上の端に足をぶらぶらさせ道を走る車や歩いてる人を見ながら考えるのが一番でした。
小学校3年生の春のある日、ふと思いました。自分がこの世の中から居なくなれば家族が喜ぶだろう…自分はこの世の中に必要ない…死のう。
小学3年生が考えることには余りに突発的だと思われるかもしれません。でもその時は広い視野も持ち合わせていなかったので、そこにたどり着いてしまったのです。
「よし、今この屋上から飛び降りよう。そしたら全てが終わる。今の苦痛も終わる。家族は喜ぶ。」いつの間にか遠くを見て声に出していました。
自分サヨナラ…そう思い、屋上の端で座ってたそのままの状態で下に向かって落ちていきました。
「痛ったぁ」…て、生きてる…。運が良かったのが悪かったのか下は砂場でキレイに足から着地していました。もちろん無傷ではなく膝が剥離骨折したのですが…。親にも言えずパンパンに腫れた足を引きずりながら家に帰り次の日から痛いのを我慢しながら学校に行き、痛いのを我慢しながら走っていました。何故死ねない…。死なせてほしいのに…。最初で最後のワガママだったのに…。
その後トラックに飛び込んでみたけど足が折れただけでした。
もちろん交通事故として警察が来て父にも死ぬぐらい怒られ殴られ病院送りになりました。
まだ終わらないのか…。どうすればこの苦痛の毎日から逃れる方法はその時には万策が尽きてしまいました。