表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

生きてることに対する失望

私は小学校に入り苦痛の三年の月日がながれた。小学三年にもなると子供ながらにいろんなことを思い、考え、また大人じみてくるころでもあります。周りのみんなはテレビ番組の話しに盛り上がり幽霊の話しに怖がっていた時期です。学校のトイレに出るらしいと言えばみんなトイレに行くのを怖がったものでした。でも私は全然怖いと感じたことはありませんでした。幽霊よりも怖い父がいて、一晩中放り出されることもよくあったので暗いのにも孤独にも慣れてしまっていました。子供ながらに考え、もし幽霊がいるなら友達になろう、とか思った時もあったがやはり幽霊はいないという結論を出したのもそのころのことでした。


 毎日生きることに必死で怖いとか怖くないとか考える時間もなかったのも一つの理由でした。それよりも自分が隣りの家に生まれてきたら良かったのにとか、どうして生まれてきたのか、生きて行く自信がないのは自分のせいだ、そんなことをずっと毎日考えていたのです。毎日考えても答えは見つかることはなくただただ自分に対する失望、生きてることに対する失望、それだけが頭に残っていくだけでした。

 

 今日を生き抜く為に自分の中に3人の自分がいるのにも違和感がなくなり出したのにも、精神的には大きな負担になって来ていたのもこの頃だったのだろうと思います。

1人は家の中の自分、もう1人は友達といる時の自分、最後の1人は独りきりになった時の自分。世間的には内と外の使い分けで片付いてしまうことでしょう。でも余りに極端に使い分けるには子供には負担があり過ぎることで凄く精神的に疲れていました。

自分のことや人が生きている意味、家族環境のことを考える時は決まってマンションの屋上でした。三階建てのマンションの屋上に上がり、屋上の端に足をぶらぶらさせ道を走る車や歩いてる人を見ながら考えるのが一番でした。


 小学校3年生の春のある日、ふと思いました。自分がこの世の中から居なくなれば家族が喜ぶだろう…自分はこの世の中に必要ない…死のう。

小学3年生が考えることには余りに突発的だと思われるかもしれません。でもその時は広い視野も持ち合わせていなかったので、そこにたどり着いてしまったのです。

「よし、今この屋上から飛び降りよう。そしたら全てが終わる。今の苦痛も終わる。家族は喜ぶ。」いつの間にか遠くを見て声に出していました。

自分サヨナラ…そう思い、屋上の端で座ってたそのままの状態で下に向かって落ちていきました。

「痛ったぁ」…て、生きてる…。運が良かったのが悪かったのか下は砂場でキレイに足から着地していました。もちろん無傷ではなく膝が剥離骨折したのですが…。親にも言えずパンパンに腫れた足を引きずりながら家に帰り次の日から痛いのを我慢しながら学校に行き、痛いのを我慢しながら走っていました。何故死ねない…。死なせてほしいのに…。最初で最後のワガママだったのに…。

その後トラックに飛び込んでみたけど足が折れただけでした。

もちろん交通事故として警察が来て父にも死ぬぐらい怒られ殴られ病院送りになりました。

まだ終わらないのか…。どうすればこの苦痛の毎日から逃れる方法はその時には万策が尽きてしまいました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ