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傷物騎士の俺が婚約破棄されたら、学園の才女に溺愛されるようになった。  作者: 左リュウ


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第5話

「部屋、はいろ?」


 吐息が近い。鼓膜が熱い。脳に、甘い痺れが走る――――……。


「――――――――っ……!」


 半ば反射的に、俺は彼女の手から脱出した。

 多少強引になってしまったかもしれない。そうでもしないと抜け出せなかった。


「痛かったら、ごめん。少し…………そう。少し、驚いてしまったんだ」


 もしかすると。ヘンリエッタの件で、俺は女性に対する多少の不信感のようなものが植え付けられているのかもしれない。


 ……身勝手なものだ。彼女の心を繋ぎ留められなかったのは、俺の努力不足だと思っていたはずなのに。


「……ううん。謝らないで? こっちこそ、ごめんね。せんせ」


 リゼは怒った様子もなかった。そのことに、少しほっとする。


「…………これから慣れていけばいいから、ね?」


「え?」


「ここでずっと立ち話してるのも嫌だよね。部屋に入っちゃおっか」


 リゼが触れた扉は、重さを感じさせることもなく、すんなりと開いた。


「お先にどうぞ」


 お言葉に甘えて先に部屋に入らせてもらう。

 特別区画『黄金大樹の棚』。入るのは初めてだ。


 扉の向こうにあったのは、本棚に囲われた部屋だ。広さは教室よりも一回り小さいぐらいだろうか。


 あとはテーブルが一つと、椅子が二つあるだけだ。


 ――――カチャッ。


 初めて入った部屋を眺めていると、背後から何か……鍵が閉まるような音がした。


「鍵、閉めておかないと。ね?」


「うん? ああ、そう、だな……」


 どうやらリゼがこの部屋の扉の鍵を閉めてしまったらしい。

 至極当然の行動のはずだ。限られた人しか入ってはいけない部屋なのだから。

 だけど。なんだろう。どことなく不安になるのは……。


「じゃあ、せんせ」


 リゼは椅子に座ると、艶やかに微笑んで。


「恋の授業を始めましょう?」


「…………そうだな。そうだったな」


 あらためて聞くと、何とも間抜けな授業だと思う。


「だが、その前に。その『先生』というのはやめてくれないか?」


「どうして? 私は物を教わる立場なのに」


「それはそうだが……俺は、君の先生として相応しい人間じゃない」


「どうしたの? ああ、もしかして、気にしてる? 魔術科の誰かが、せんせに言ったこと」


「知っているのか?」


「噂で聞いたの。見たかったな、せんせのかっこいいところ」


「……彼も言っていたが、条件がよかっただけだ」


「勝ちは勝ち。実戦だったら、死んでたのはその人でしょ?」


 どうやら彼女の実戦への考え方は、俺と近しいものがあるらしい。


 ……だから何だというんだ。


「そもそも、関係ないよ。せんせの魔力がどうとか……私が呼びたいから、そう呼んでるだけ。でも、せんせが気にするなら……これでどう?」


 そう言って、リゼは丁寧な仕草でテーブルの上に一枚の羊皮紙を置いた。


 このしなやかな筆跡は、彼女が手ずからしたためたものだろうか。


「これは?」


「雇用契約書。先生って、学園に雇われている立場でしょう? それと同じ。私がせんせを先生として雇用する。これで私が『せんせ』って呼んでもおかしくないでしょう?」


「まあ、理屈としてはそうなるが……」


「それにこれは、せんせの家の借金を、私が肩代わりするっていうことも書いてあるの。口約束だと不安でしょう? せんせ、女の子に裏切られたばかりだもんね」


「…………っ」


 どうやら俺の中にある、女性への僅かな不信感も見抜かれているらしい。


 契約書には確かに……借金についての項目が記載されている。


「すまない。君のことを嫌っているというわけでは……」


「分かってるよ。せんせ、優しいもん。……で、どうする?」


 俺に選択肢はない。

 家の借金を返すアテなど、他にはないのだから。


「……最後に確認したい。俺は婚約破棄をされた男だ」


「相手がおバカさんなだけだよね?」


「君に恋というものを教えられるのかは保証できない」


「でも全力は尽くしてくれるんでしょ?」


「それは当然だが……」


「じゃあいいよ」


「………………」


 ……仕方がない。もうこうなったら腹をくくるしかない。


 逃げ出すつもりなんてなかったけれど、改めて全力を尽くすと自分に誓いつつ。


 ご丁寧に用意されていたペンで、雇用契約書にサインを行った。


 それを確認したリゼは、満足そうに頬を緩めている。


「これで、『せんせ』だね。せーんせ……♪」


「……慣れるように努力するよ」


「それで、せんせは、何を教えてくれるの?」


「……俺も考えてみたのだが、まず前提として『恋』の定義は曖昧だ。こればかりは感情の話だからな。だからまずは、『好きの言語化』から始めようと思うんだ」


 そんなつもりはなかったが、図らずも授業っぽくなっている気がする。

 リゼもそれが分かっているのかいないのか、にこにことしているだけだ。


「自分の好きなものを思い浮かべて、なぜそれが好きなのかを言語化していこう。……そうして、自分がどんな人間に好感を抱くのかを自覚していくんだ」


「はーい」


「……じゃあ、さっそく初めていこう。君の好きなものを一つ挙げてみてくれ。これは人に限らずとも、最初は物でも趣味でも何でもいい。……リゼ。君の好きなものは?」


「せんせ」


「……………………」


 本気なのかふざけているのか判断に困る……。


「ふざけてないよ?」


 俺のリアクションから読み取ったのだろうか。釘を刺すような一言だ。


「そうか。じゃあ……あー……」


「次は好きの言語化だね?」


 そう言って、リゼは席を立ち、なぜか俺の隣にまで移動してくると、顔を近づけて……。


「真面目なところが好き」


「――――っ……!」


 鈴の音色のような声で、耳元で囁いた。


「剣を振ってる時の顔が好き」


 吐息がかかる。彼女の口から零れる仄かな熱が、肌に触れる。


「一生懸命、努力してるところが好き。ごつごつした手が好き。誰かを助けるために走ってくれるところが好き。私のお願いにも、真剣に向き合ってくれるところが好き。あんな婚約者でも、大切にしようとしてたところも、嫌だけど、好き」


 好き。が、雨のように。鼓膜を通じて、脳の中に降り注ぐ。


「好き。好き。好き。せんせ、だーい好き……♪」


「――――っ……! リゼ、もうそろそろ……!」


「この傷も」


 リゼは俺の額にある傷に、指を這わせる。

 ひんやりとした指が傷跡をなぞり、そして――――柔らかな唇が触れた。


「…………っ!?」


「好き」


 何かの間違いだと思ったが。

 だけど。俺は額に。傷跡に。キスを、された。らしい。


 ……ということを、感触と、目の前のリゼの、人を驚かせることに成功した小悪魔のような笑みで、理解させられた。


「ど、どういうつもりだ……? 今のは……」


「好きの言語化、だよ?」


「そうじゃなくて、その……!」


「初めてだった? キスされたの」


「…………っ。あ、ああ……」


「ふーん。やっぱりあの元婚約者さんとは、なぁんにもしてなかったんだ」


 彼女はくすくすと笑いながら、今しがた俺の傷跡に触れたばかりの唇を指でなぞる。


「私も」


 その仕草一つに、目が離れない。


「誰かにしたのは、せんせが初めてだよ」


 そして、その白い宝石のような指は、彼女の唇から離れて……。


「《《ここ》》にするのは、次のお楽しみにしておくね?」


 今度は俺の唇に、軽く触れた。


「…………っ!?」


 言葉が出ない。何を紡ぐべきなのか、戸惑っている間に、部屋の中に鐘の音が響いた。


「時間だね」


「時間? この鐘の音は、君が?」


「うん。時間が経ったら鳴るように、魔術で仕掛けておいたの。ほら、学園での授業も、終わったら鐘がなるでしょ?」


 リゼはするりと、猫のようなしなやかさで離れた。


「じゃあ、また明日。よろしくね? せんせ」


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