第4話
俺は教室でも移動中の廊下でも実習中でも、注目の的になっていた。
昨日までは、婚約破棄された間抜けな傷物貧乏子爵として。
そして今朝からは、学園の才女を『汚して』しまった男として。
…………どっちがマシなのかは、意見が分かれるところだ。
幸いというべきか。
俺は友人が少ないし、その僅かな友人も今は一時的に学園を離れているので、誰かと会話をする機会もない。深く追求されるようなことは起きなかった。
今のところは、遠巻きに見られているだけで済んでいる。
「なあ、ちょっといいか」
「うん?」
遠巻きに見ていた生徒のうちの何人かが、廊下で話しかけてきた。
制服の色からして魔術科の生徒らしい。
「君が、レリク・レリックくん?」
「そうだが、何か用か?」
「うん。君があのリゼリットさんと親しい仲だと聞いてね」
……もしかしてこれは、あらぬ誤解をとくチャンスか?
彼女と俺の関係は、ただの生徒と教師。いや、性格には契約関係でしかない。
あれは彼女の妙な悪戯心が働いた結果なのだと。
「彼女と俺は――――」
「すまないが、彼女と別れてくれないか」
「え?」
「調べさせてもらった。君は一年生の時、摸擬戦で反則勝ちをしたそうだね」
……モーリスのやつ。あの妄言をばら撒いたのか。
「その件なら明確に否定させてもらう。教師に確認してくれれば分かる」
「だが君は、ほとんど魔力を持たないそうじゃないか」
「測定結果は『E-』……初級魔術一つで魔力切れを起こしてしまう量だ。紛れもなく《《学園最弱》》」
「対戦相手であるモーリス君の魔力量は『A』。大したものだよ。魔術科に欲しいぐらいだ」
どうやら調べさせてもらった、というのは本当らしい。
隠しているものでもないから構わないのだが。
「……そうだ。それが、どうかしたのか?」
「学園最弱の魔力量しかない君が、モーリス君に勝てることはありえない。不意を打って魔術を使わない限りはね」
「恐らく魔力が微弱過ぎて教師も感知出来なかったんだろう」
「よって、君の勝利は反則によって得られたものだ」
まるで裁判の判決を読み上げるかのように、つらつらとそれらしい理屈を並べ立ててくる。魔術科の生徒は理屈っぽい傾向があるが、彼らの場合はその傾向が強いな。
「……俺は反則などしていない。確かに俺は魔力が低い。だからその分だけ、剣の腕を磨いてきたつもりだ。モーリスは鍛錬が不足していた。その差が勝敗を分けただけだと思う」
「そう言い張るのは勝手だけどね。剣の腕如きでそんなに差はつかないんじゃないかな」
「所詮は魔術に劣る棒振りごっこだろ? 君は剣の鍛錬に熱心らしいけど、無駄なことだと思うよ」
魔術科の生徒は理屈っぽい。
加えて、魔力量が低い者や剣をはじめとする肉体を用いた技術を見下す傾向にある。彼らは典型的な魔術科の生徒らしい。
「戦場で勝敗を分かつのは魔術。それを扱える魔力の量だ」
「……否定はしない。魔術は強大な力だ。だからといって俺は、剣の腕を磨くことが無駄になるとは思えない」
「その根拠は?」
どうすれば伝わるだろうか。
そういえばリゼに『教える』必要があってから、軽く、人に物を教えるコツを調べてみたな。
読んだ本には確か『例え話が効果的』と書いてあったな。
よし。さっそく試してみよう。
「これは例え話だが…………この距離なら、俺は君が魔術を使うよりも早く、君を制圧することが出来る」
魔術科の生徒たちの薄ら笑いがピタリと止まった。
「へぇ……面白い挑発じゃないか」
「あ、いや。すまない。今のは挑発するつもりじゃなくて……」
……まずい。どうやら失敗したらしい。
魔術を発動させようとしているみたいだ。体から魔力が迸っている。
「『火球』…………ぐっ!? がはっ!?」
――――だんっ!!
魔力を感じ取った体は、半ば反射的に動いていた。
詠唱を終える前に彼の腕を捻り、体勢を崩し、そのまま廊下の床に抑え込んだ。
魔術の制御に用いられる手を妨害し、口を床に押し当てることで、詠唱を阻害する……授業で習う基礎的な『詠唱殺し』だ。
「……すまない。つい、反射で」
「くっ…………! 離せよ!」
ご所望の通り解放してやると、腕の調子を確かめながら、彼はじろりと恨みがましい目をぶつけてきた。
「……ッ。野蛮人め。不意を打ててそんなに嬉しいか。今のはたまたま条件がよかっただけだ。実戦ならこうはいかない」
今のが実戦だったら、死んでいたのは君の方だと思うが……とは言わない。
余計に話がややこしくなることは、流石に俺でも分かるから。
それに、条件がよかったというのも確かだ。
この距離で魔術師と相対することは、ほぼ無いと言っていい。
「やはり君のような野蛮な人間はリゼリットさんに相応しくない。彼女にはもう近づくなよ!」
と、それだけを言い残して、魔術科の生徒たちはどこかへと去っていった。
(…………近づくなも何も、今日の放課後には会う予定があるんだけど)
何気なく、周りを見ると……。
ひそひそと何かを噂している生徒たちが、さっと目を逸らした。
…………どうやら。誤解を解くのは、まだまだ時間がかかりそうだ。
☆
いつもより経過する時間が長く感じた一日の授業を終え、放課後――――。
やや重い足を引きずりながら、集合場所の大図書館へと向かった。
王立メリアンジュ魔術学園の図書館は、『大図書館』と呼ばれている。
知識の怪物と称された初代宮廷魔術師が建設したこの建物は、特殊な魔術によって内部の空間が拡張されており、国内有数の蔵書量を誇るらしい。
貴重な魔導書を保管するための役割も兼ねているそうで、魔術による強固な守りが施されている区画も存在している。
それ故に管理が大変だと、司書が愚痴を零しているのを聞いた覚えがあった。
実際、新入生は迷子になりやすく、毎年捜索隊が組まれたりしている。
生徒たちの間では、過去にいた学生が遭難したまま出られなくなり、その亡霊が今も大図書館を彷徨っている……なんて噂も出回っているぐらいだ。
俺は既に地図が頭の中に入っているので、そうそう迷うことはないけど。
慣れない人は大変だろう。
そんな大図書館の性質上、人目につかない場所は多い。
中でも事前に集合場所として約束していた『黄金大樹の棚』は、一般の生徒は利用が禁止されている。
「……開かない」
リゼから指定された集合場所。『黄金大樹の棚』は、この扉の向こう側にある。約束の場所に指定するものだから、てっきり開いているものだと思っていたのだが……扉は固く閉ざされたままだ。
「せーんせ」
「……っ!」
「あはっ。驚いてる。かわいー」
耳元にかかる吐息に脳が痺れそうになりながら振り向く。
と、くすくすと笑うリゼがいた。
……別に油断していたわけじゃないのだけれど。いつの間にか背後をとられていた。
学生の身でありながら、単独で翼竜討伐の依頼をされるほどの実力――――どうやら『万術』の名は、誇張された宣言文句ではなく、実力に即した通り名らしい。
あの魔術科の生徒には、ああ言ったが……この距離でもリゼを制圧することは難しいかもしれない。
根拠はない。ただ、直感がそう告げていた。
まあ、リゼは敵じゃない。今のところは考えるだけ、それこそ無駄だ。
「……リゼ。扉が開かないのだが、これは……俺の魔力量が低いせいか?」
「違うよ。ごめんね。ここ、入る時は登録が必要なの。下準備は終わってるから、あとは……」
リゼは雪の妖精のような白く美しい両の手で、俺の手を包み込んだ。
柔らかな手の感触。肌と肌が触れ合うことで生まれる熱の接触に、甘い痺れが走る。
俺は糸で繰られた人形のように、リゼの手に誘われるまま、扉に触れた。
ぼうっ……と扉に淡い光が灯る。
「はい。これで登録はおしまい。これからは先生も、この部屋にいつでも入れるからね?」
「あ、ああ…………」
「どうしたの?」
「いや……登録が済んだなら、もう手に触れる必要は……」
登録が済んだ後も、リゼの手は俺の手を包み込んで離さない。
いや。それどころか、手のひらの接触面積が増えている気がする。
「だめ?」
すり……と、リゼの指が、俺の手を這うように動く。
「……必要性を感じない」
「これも授業だよ?」
「授業……?」
「肉体同士の接触。それって、恋とは無縁じゃないでしょう?」
柔らかく弾力のありそうな唇から言葉が一音一音、紡がれる度。
吐息の一つが零れる度。彼女の指が、俺の手を侵すように這っていく。
「せんせの手、逞しいね。大きくて、ごつごつしてて……いーっぱい剣を振ってきたのが分かる手。かっこいい……♪」
「…………っ」
手、だけじゃない。
しなだれかかるように。彼女は。その華奢な体を俺に預けてくる。
豊かな胸の感触を。肉欲の味を無理やり口に捻じ込もうとしているかのように。
「部屋、はいろ?」
吐息が近い。鼓膜が熱い。脳に、甘い痺れが走る――――……。




