第3話 ヘンリエッタ・ビルヴィ①
「ヘティ。彼が君の婚約者、レリクくんだ」
最初に婚約者との顔合わせを行った時、ヘンリエッタ・ビルヴィは自らの価値に対して愕然とした。
(私の婚約者………………《《これが》》?)
レリク・レリック。
名前だけは知っていた。同じ魔術学園の生徒だったし、彼の額に刻まれている傷は有名だったから。
ヘンリエッタも学校で彼を見たことがあったけど、額の傷を見た瞬間に「うえっ」となって目を逸らした。
「彼の傷は幼少の頃、魔物と戦った時に刻まれたものらしい。頼もしいじゃないか。騎士にとって傷は勲章だからな!」
父は呑気に笑っていたが、ヘンリエッタは笑えなかった。
(冗談じゃない! こんな醜い傷を持った男なんて、絶対に嫌!)
ヘンリエッタからすれば、そんな勲章は石ころよりも価値が無い。
ただの醜い傷にしか映らないのだ。
(お父様はどういうつもりなのかしら? こんな傷物を、私の婚約者にするなんて。しかも、レリック家ですって!? とんだ貧乏子爵じゃないのよ!)
聞けばレリック家には借金があるらしい。
子爵夫人の地位と引き換えにその借金を肩代わりするという約束なのだろう。
(私は、この程度で終わる人間じゃない……! こんな醜い傷物騎士の妻なんて、絶対に嫌……!)
ヘンリエッタ・ビルヴィの中には、レリクに対する大きな不満が渦巻いていた。
彼が誠実であろうとも、真面目であろうとも、そんなものは評価するに値しない。レリクのすることなすこと全てが気に入らなかった。
「あー、つまらない。あなたって会話にユーモアがないのね」
「何その地味な服。私に恥をかかせる気?」
「デートの行き先もセンスがないのねぇ」
とにかく彼の全てを否定することにした。
徹底的に否定し続ければ、彼の方から婚約の破棄を提案するかもしれないと思ったからだ。
けれどレリクは――――
「ごめん」
「勉強不足だった」
「次は楽しませられるように頑張るよ」
と、ヘンリエッタの罵倒じみた否定の言葉にも一つ一つ真面目に向き合う始末だった。少なくとも彼から婚約を破棄させることは難しいと分かったヘンリエッタとしては、彼の真面目さは炎が如き苛立ちを募らせる薪にしかならない。
(ああ、もうっ! 最悪最悪最悪! 何で婚約を破棄してくれないのよ、傷物!)
苛立ちを募らせるばかりの日々を送っていた時に現れたのが――――モーリスだった。
「やあ、ヘンリエッタさん。聞いたよ、婚約者が出来たんだって?」
レリクが婚約者になったことを、どこかで知ったのだろう。
それをきっかけに彼の方から話しかけてくるようになったのだ。
整った顔立ちに、王子様のような振る舞い。
スマートなエスコート。何よりも伯爵家という地位もある。
彼のことはすぐに好きになったし、彼のような人こそが自分に相応しいと確信した。
次第にレリクとのデートを断るようになり、裏でモーリスとのデートを重ねた。
モーリスの方も、ヘンリエッタのことをまるでお姫様のように扱ってくれたし、その度にヘンリエッタの自尊心も満たされた。
「あぁ……モーリス。あなたが婚約者だったらよかったのに」
「僕もそう思うよ。君と結ばれることが出来たら、どんなにいいか……」
ああ、やっぱり。モーリスもそう思ってくれていたんだ。
その気持ちを確かめられたことで、ヘンリエッタも決心がついた。
「私、決めたわ。あの傷物との婚約は破棄する!」
こうして、ヘンリエッタはレリクとの婚約を破棄するに至った。
あの時のレリクの反応は痛快だった。これまで散々、苛立たせてくれた分、余計にすっきりした。
(ああ、素敵! こんなことなら、もっと早くに婚約破棄してやればよかった!)
最高の目覚めをした朝。ヘンリエッタはステップを踏み出しそうなほど軽い足取りで食堂へと向かっていた。
「ヘンリエッタ・ビルヴィさん」
鈴の音色のような声が、ヘンリエッタの耳に届く。
朝の日の光が、一人の少女の形にくりぬかれていた。
逆光を背にして、華奢なシルエットが足音を静かな朝の空間に染み込ませながら、近づいてきた。
「あなた……リゼリット、さん?」
「ええ、そうよ。おはよう。いい朝ね」
リゼリット・フランメルク。
宮廷魔術師の娘にして、公爵家令嬢。『万術』の二つ名を持つ学園の才女。
ヘンリエッタは直接言葉を交わしたことはないが、よく男子生徒たちが彼女のことを話題にしていたのは知っていた。
誰もかれもが彼女のことを囁いてばかりで、それがヘンリエッタには鼻についていた。
自分よりも遥かに高い爵位を持つお嬢様。
ようは、気に食わない女だ。
「……何の用でしょう? 私とあなたは初対面のはずですが」
「祝福しに来たの」
「え? 何を?」
少なくとも自分はリゼリットの利益になるような行動はした覚えもないし、するつもりもない。仮に彼女が病に侵され命の危機に瀕していて、自分がその病を治せる薬を持っていたとしても、その薬をこっそり燃やしていただろう。
「婚約破棄、されたでしょう?」
「…………ええ、まあ。わざわざ、そのことを祝福しに?」
「勿論。だって、とても素敵なことでしょう? あなたたちって、とってもお似合いだもの」
言葉だけを聞くならば純粋に祝福をしてくれているように感じる。
だけど、この女の祝福は、どこか……胡散臭い。
「私ね? あなたの愚かさには感謝しているの」
「なっ……! お、愚かですって? この私が!?」
「とっても愚かな、おバカさん。あなたは世界で一番素敵な婚約者を手放した。おかげで私は……あはっ。やっと…………レリクくんと一緒にいられる」
「レリク……? なに、あなた。あのつまらない男と知り合いなの?」
「そこまで、あなたに教えてあげる必要はないわ。けれど、私は知ってる。彼が素敵な男の子ということを、私は既に知ってるの。あなたみたいな人でも、彼なりに大切にしようとしていることは知ってたから、無理やり奪うようなこと、したくなかったんだけど……あはっ。あなたの方から手放しちゃったんだもの」
「あははっ! 『万術』のリゼリット・フランメルクともあろう人が、男の趣味がこんなにも悪いだなんてね! あんな地味でつまらない男、くれてやるわよ!」
「ありがとう」
その余裕な態度はやはり鼻につく。
だが、今や余裕があるのはヘンリエッタの方だった。
理由は定かではないが、リゼリットはあのつまらない男に固執している。
それは自らの価値を損ねる行動に他ならない。
――――こいつは、私よりも下だ。
「そんなことを言いに来るために、私に会いに来たの? とってもお似合いだなんて、思ってもないことまでわざわざ……」
「あら。本心よ? あなたたちは、お似合いの二人」
くすっ、と。リゼリットは目を細める。
「《《ゴミ》》と《《クズ》》。とーっても、お似合いだわ」
「言わせておけば……!」
明らかな侮辱の言葉に、反射的に魔術を発動させた。
「『火球』!」
燃え上がる火の球を放った。
紅蓮の炎が空を走り、次の瞬間。
「きゃっ!?」
凄まじい勢いで放たれた氷の刃が、火球を霧散させた。
何らかの魔術であることは間違いない。だが、早すぎてヘンリエッタの目には見えなかった。
その衝撃に足がもつれて尻もちをついた。
いつの間にか目の前にはリゼリットがおり、蒼い瞳が地面で尻もちをついているヘンリエッタを見下ろしている。
「あなたは、自ら破滅する道を選んだの。ここで私が手を下すまでもなく、ね……あなたの見下したレリック家を信頼してる人って、実は多いのよ?」
「な、何を……」
「すぐに分かるわ。おバカさん」
それだけを告げると、リゼリットは軽やかな足取りでこの場を後にした。
まるでこれから、楽しいデートの約束でもあるかのような……。




