第16話
前夜祭で起きた突発的なアクシデントは、事故として処理された。
けれどそれで『学内戦』が中止になることはなく、予定通りに行われるらしい。
そのため、俺は予定通り、怪我の影響を兼ねた軽いウォーミングアップを済ませた後、寮に戻って汗を洗い落とし、着替えを済ませた。
「……少し早いが、そろそろ行くか」
気が高ぶっているせいだろうか。落ち着かない。
先に会場へと向かおうとしたところで、部屋の扉が外からノックされた。
「せーんせ♪」
「り、リゼ?」
扉を開けると、そこに立っていたのはリゼだ。
彼女は俺が困惑している間に、するりと部屋に入り込んでしまった。
「ここは男子寮だぞ? どうやって入ってきたんだ?」
「普通に、歩いて、だよ?」
「そうか。魔術を使ったのか」
「えー。何のこと? 寮には侵入者防止用の魔術が何重にもかけられているんだけどな」
「何重程度で君は阻めないだろう。なにせ君は『万術の魔女』だからな」
「…………あはっ。なに、せんせ。私のこと好きすぎない?」
目を細めながら、にまっと笑うリゼ。
悪戯をしている幼子のような、この無垢な顔を見ると、許したくなってしまう。
以前の俺ならここまで融通はきかなかっただろうな。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが……。
「好きすぎる、か……それは否定しない」
「えっ」
「俺は既に、君に溺れてしまっているから」
「――――っ……あ、そ、そーなんだ? ふーん……」
平静を装っているようだが、耳が赤くなっている。
……可愛い。うん。これは可愛い、だな。とても。
「それで。何の用事があって、わざわざ部屋まで訪ねてきたんだ?」
「せんせに会いたかったから」
「…………それだけか?」
「ひどいなぁ。恋人に会いたいのは、普通でしょ?」
恋人。
その言葉に、胸の奥に甘ったるい熱が疼く。
昨夜、俺は彼女と恋人になった――――その事実を改めて嚙みしめる。
「……だが、わざわざ寮の部屋に訪ねてくることはないだろう? 会うだけなら外でもできる」
「だめだよ。外で出来ないこと、するんだから」
リゼはベッドに座り込むと、そのまま横に倒れ込んだ。
「あはっ。せんせのにおいだ…………はぁ……この枕、欲しいな。貰っちゃだめ?」
「だめに決まっているだろう」
「私のと交換しよ?」
「そ、それはもっとだめだろうっ」
くすくすと笑うリゼ。本気なのかどうかわからない。
彼女は体を起こして、再びベッドに腰掛けるような姿勢になると、自分の隣にある空いたスペースに手を添えた。
「一緒に座ろ?」
「…………リゼ。前にも言ったが……」
「私、座ってお話したいだけなのにな。せんせは、何か他の想像しちゃったの?」
「う…………」
「あはっ。やらしー……♪」
これは一本を取られたか。
小さな敗北を認め、リゼの隣に腰掛けた。
ぎし……。
木造のベッドが、僅かに軋む。
その音が『他の想像』を連想させる。隣のリゼから漂う甘い香りが、想像を増幅として頭の中に指をかけてくるようだ。
「せんせ。昨日は、よく眠れた?」
「ああ。ぐっすりと眠れたよ。校医さんが完璧に直してくれたおかげかな……君は?」
「私はね、あまり眠れなかったの」
「……何か不安なことでもあったのか?」
「ふふっ。せんせのせいだよ?」
「え?」
リゼは自ら制服に手をかけて、胸元をはだけさせた。
柔らかで制服越しにも大きさの伝わっていた膨らみが無防備となる。
陶磁器のような白い肌には、赤い跡が点々と染みついていた。
それは昨夜、夜の廊下で俺が彼女に刻んだもの――――。
「こんなのつけられちゃったら、眠れるわけないもん」
「…………っ。す、すまない。昨日は、その……」
「勢いだった?」
「君に送った言葉は本心だ。それは間違いない。だが、君につけてしまったその跡については、その、自分でもやりすぎたと……反省している」
「怒ってないよ。むしろ、良かったかな。勢いさえあれば、せんせはあんなにも私に夢中になってくれるんだって分かったから」
リゼは自らの手を、今度は俺の制服に滑り込ませる。
「な、何を……」
「しかえし」
彼女の指先は器用に制服のボタンを外していく。
あっという間にシャツもはだけて露になった肌に、リゼは唇で触れていく。
蠱惑的な羽を持つ蝶が、花の蜜を吸う光景が頭を過った。
リゼが満足げに離れた時……昨夜、彼女に刻んだ場所と同じ位置に、赤いしるしが刻まれていた。
しかえしとは、そういうことか。
だけど。これは。まずい。
甘美な感触と軋むベッドの音が理性に刃を突き立ててくる。
「……っ。リゼ…………今日は『学内戦』がある……そろそろ、行かないと」
「サボっちゃおうよ。『学内戦』なんて」
「うあっ…………」
彼女はまた次の《《しるし》》を刻みに来た。
俺の体に寄りかかって顔を埋め、柔らかな唇を肌に突き立てた。
「騎士とか。鍛錬とか。『学内戦』とか。そんな危ないこと、しなくていいよ」
「リゼ……?」
「せんせは、私の恋人だもん。家の借金もないし、公爵家の後ろ盾だってあげる。だから、もう危ないことは、なーんにもしなくていいの。頑張らなくてもいいの。昨日みたいに、救う価値の無いゴミクズのために、体を張らなくてもいいの」
キスを繰り返しながら、リゼは耳元で囁いてくる――――。
「だから、ね? 今日は……私とここで、気持ちいいことしよ?」
「…………それは出来ない」
「…………どうして?」
俺の答えはある程度予想していたものだったのだろうか。
リゼは取り乱すことも意外そうにすることもなく、静かに聞き返してきた。
「胸を張って、君の隣にいたいからだ」
「………………責任、とかいうやつ?」
「そうだな。それもある。……ただ、それ以上に、君や、君の家の爵位に甘えるだけの存在でいたくないんだ。責任を取ろうとするなら、なおさら……少しでも君に相応しい人間になりたい。そのための努力がしたいんだ」
彼女が脱ぎかけていた制服を、かけ直してやる。
「たかが学校の一行事かもしれないが、『学内戦』は俺にとって、そのための大事な一歩というか……」
「……昨日、胸にいっぱいキスしてきたくせに」
「うっ……いや、それはっ……服の下に隠せる場所にしようと……」
「かっこいいこと言ってるけど、言い訳してるけど、夢中になってたくせに」
「……………………………………」
……残念ながら返す言葉が無い。
だが。これは……。
「もしかして、すねてるのか?」
「……すねてないもん」
頬を膨らませながら、ぷいっと顔を逸らす。
魔性の化身のように懐に潜り込んでくるくせに、こうして幼い子供のような仕草を見せるのだから、リゼは厄介だ。そこが魅力でもあるのだけれど。
「……デート」
「え?」
「デートの約束…………忘れてないよね?」
「あ、ああ。勿論だ。覚えている」
「ん……じゃあ、デートした時、私のわがまま聞いてくれたら許してあげる」
なぜ俺が許しを貰う立場になっているのかは分からないが、ここは下手に言い返すべきではないな。それぐらいは俺でも分かる。
「……分かった。約束しよう」




