第15話 ヘンリエッタ・ビルヴィ③
「ちょっと、どういうことなのよ!」
貴族街の、ある老舗魔導宝石店。
その店内で苛立ちをぶつけるようなヘンリエッタの怒声が響いた。
「どうして黒耀玉のイヤリングを売ってくれないのよ! この店に入ってきたことぐらい知ってるのよ!」
黒耀玉とは、主に装飾品に使われる希少な魔法石のことだ。
星々の粒を閉じ込めた夜空のような、美しく神秘的な色が特徴で、その希少性から滅多に市場に出回らない。
更には限られた腕の立つ職人でなければ加工は困難とされ、黒耀玉が加工できる職人はそれだけで王宮の工房からスカウトが来るとさえ言われている。
その黒耀玉を加工して作られたイヤリングが、この店に入荷されたという噂を聞きつけたヘンリエッタは、すぐに貴族街の店へと向かった。
幸いにしてこの店は、以前からヘンリエッタが《《ひいきにしてやっている》》店だ。だいたいの我儘も聞いてもらってきた。
だから、いつものように「特別ですよ」と言って、出してくれるものだと思っていたのに。
「いえ。ですから、黒耀玉のイヤリングは既に先約が入っておりまして……」
「知らないわよそんなの! 私に譲りなさいよ!」
「…………それは出来かねます」
店主に怒鳴っても、ねだっても、融通を利かせてくれる気配はない。
いつもなら……そう、いつもなら。
たとえ先約が入っていても、ヘンリエッタに譲ったはずなのに。
どうしてか今回に限って、きっぱりと断られる。
(どうして……! 黒耀玉のイヤリングが絶対に必要なのに……!)
黒耀玉を用いたアクセサリーをつければ、令嬢たちの間でも一目置かれる。
レリクとの婚約破棄を行ったことで実家の……ひいては自身への評判が落ちているヘンリエッタにとって、巻き返すために必要な物だった。
「次回の入荷を待っていただくしかありません」
「いつになるか分からないじゃない! 前夜祭はもうすぐなのよ!?」
前夜祭で黒耀玉のイヤリングをつけることで、令嬢たちを通じて貴族社会におけるヘンリエッタの注目度を上げる。レリクと婚約破棄した令嬢ではなく、《《あの》》黒耀玉のアクセサリーを持つ令嬢として。
そんな大雑把で稚拙な計画を立てていたヘンリエッタだったが、初手から躓くことになってしまった。
「先約があっても、いつもなら譲ってくれてたでしょ!? なのに、なんで今になって…………!」
「…………お言葉ですが」
すっ、と店主の声の熱が下がった。
冷えた氷のような眼差しは、少なくとも客に向けるものではない。
「今まであなたに融通を利かせてきたのは、レリック家への恩義があるからです」
「え…………?」
「昔、妻の乗っていた馬車が魔物に攫われたことがありましてね。その魔物は獲物を巣に連れ去る習性があり、捕まったら最後、諦めるしかないと冒険者の方には言われました……そんな妻を救ってくれたのが、レリック家の方でした」
「そ、それが何よ! そんなの、騎士なら当たり前でしょう!?」
「あの方もそう仰っていました。ですが巣は周囲に無数の魔物が跋扈する危険地帯。乗り込むことは、命を捨てるのと同じこと……それを知って尚、あの方はたった一人で魔物の巣に乗り込み、妻と……当時、お腹に宿っていた娘を救い出してくれたのです。その時に、私は決めたのです。いつか必ず恩を返すと」
そこまで語った後、店主はヘンリエッタを見て深いため息をついた。
心底、失望したように。
「欲しい宝石でも何でも差し上げると言っても、あの方は『礼はいらない』『騎士として当然のことをしただけだ』と、言うだけでしてね。どうしたものかと思っていた時……あの方のご子息が婚約なさると耳にしました」
「…………! まさか……」
「ええ、まあ。せめて、ご子息には喜んでいただこうと、あなたに融通を利かせてきましたが…………」
氷のように冷えきった声と眼差しに、ヘンリエッタは後ずさる。
「……お引き取りを。ああ、それと、あなたは今後、当店の出入りを禁止させていただきます」
それからヘンリエッタはいくつかの店を回ったものの、どこも似たような反応だった。
宝石も、ドレスも。
目をつけていたものは悉く手に入らない。
それどころか次々と出禁を言い渡されていく。
「何よ……! どいつもこいつも……! バカじゃないの……!?」
そうして唇を噛みしめながら迎えた、前夜祭当日――――。
現れたリゼリット・フランメルク。
彼女の耳にきらりと光るあのイヤリングは、黒耀玉。
(……っ! リゼリット・フランメルク……なんで、あの子が……!?)
恨めし気な視線を向けると、一瞬だけリゼリットと目が合った。
「――――くすっ」
「…………っ!!」
彼女はヘンリエッタの目を見て、笑った。
こちらの全てを見透かしたように。見透かした上で、嘲笑したのだ。
かっとなって怒鳴りかけたが、拳を握りしめ、唇を噛みしめる。
前夜祭の場で暴れるなよと、父からは釘を刺されているからだ。
学園の外でのヘンリエッタの評判は、既に地に落ちている。
けれど学園の中はまだ、巻き返せる。
何しろレリクは傷物。魔力だって学園最弱。『学内戦』は万年予選落ち。
学園という閉ざされた空間において見下される要素は揃っているのだから。
ドンッ。
「…………っ?」
現状への逃避と稚拙な計算を繰り返していると、不意に体を誰かに押された。
レリクだ。必死の形相で、なぜかヘンリエッタとモーリスを突き飛ばしていた。
直後。彼の体は、落下してきたシャンデリアの下敷きとなった――――。
☆
なぜ、シャンデリアが落下してきたのかは定かではない。
確かなことはレリクは自ら体を張って、ヘンリエッタとモーリスを救ったということだ。
魔術による肉体強化を行っていたおかげで、彼に大きな怪我は無かったらしい。
彼は念のため、リゼリットに連れられて医務室へと向かった。
「すげぇな……」
「ああ……あそこで体張れんのか……」
突然のトラブルによって、会場はざわついていた。
けれどそのざわめきの内容はレリクの起こした行動への、賞賛めいたものだった。
「しかも助けた相手って、婚約破棄してきた相手だろ?」
「自分を捨てて他の男に乗り換えた女だっていうのに……」
「それでも、ああやって体張って助けられるんだな」
会場の視線が、モーリスとヘンリエッタに集まる。
「…………あいつ、一方的に婚約破棄されたんだろ?」
「ああ、それなら俺、見てたよ。あいつら、ひでぇこと言ってたぜ」
「それ、俺も知ってる。傷物とか貧乏子爵とか……」
「うーわ、最低すぎるだろ」
「そんなことを言ってきた相手を助けちまうんだもんなぁ……ほんと、すげぇよ」
仄かに溢れるレリクへの賞賛。
そして、そんなレリクに不義理な行いをしたモーリスとヘンリエッタに向けられる、軽蔑――――。
「わ、私たちも医務室へ行きましょう?」
「…………っ。ああ、そうだな」
二人はその場にいた生徒たちから軽蔑の眼差しを注がれながら、逃げるようにして会場を後にした。
(まだ……まだよ。モーリスが『学内戦』で、活躍してくれれば、きっと……! 私は巻き返せる! 私は間違ってないって、証明できる!)
ヘンリエッタは縋るようにモーリスを見る。
隣を歩く彼の目には、ヘンリエッタのことなど、映ってはいなかった。




