第14話
咄嗟に魔術で肉体を強化したおかげか、俺は軽傷で済んだ。
だからといって何事もなくとはいかないようで、俺はすぐに医務室へと連れられて、校医に診てもらうことになった。
この学園は教育に力を入れているだけあり、校医の腕もいい。
俺の体を一通り見ると手際よく回復魔術をかけてくれた。
「傷は回復魔術で完治。目立った傷も後遺症も無し。体に痛みは?」
「ありません」
「問題なしか。なら、これで治療は完了だ」
「ありがとうございます。助かりました」
「お礼はいいよ。本当にただのかすり傷だったし。強化魔術に救われたね」
「いえ……俺の強化魔術は大したものじゃありません。あのシャンデリアが脆かったおかげでしょう」
「ははっ。僕に気を遣って謙遜してくれなくてもいいよ」
「え?」
「あのシャンデリアの装飾と重量だと、半端な強化魔術ならもっと深い傷を負っていた。君の怪我がその程度で済んだのは強化魔術が高い力を発揮していたからだ」
「そう、ですか……?」
あまり実感がない。
強化魔術はシンプルだが、それ故にどれだけの性能を発揮できるかは魔力量に左右される。単純に魔力量が多ければ強化量も増えるし、魔力量が少なければ強化量も減る。
そして俺の魔力量は学園最弱だし、強化魔術も学園最弱と言っていい。
事実として普段の摸擬戦でも、相手の強化魔術に圧倒されることは少なくない。
もしかして…………俺の魔力量が増えている?
…………まさかな。我ながら未練がましい。都合の良い妄想をしてしまうとは。
「そうだ……モーリスとヘンリエッタの二人は?」
「あの二人なら怪我の一つもないよ。君が庇う時、力もちゃんと加減されていたようだし……文句を言いながら帰っていったよ」
「そうですか。無事なら、よかった……」
「校医としては、もう少し自分の身を案じてほしいんだけどね。とりあえず、今日はもう帰っていいよ。ああ、何か違和感があったら、すぐに教えてね」
「はい。このような時間に診ていただき、ありがとうございました。失礼します」
校医の方にお礼を言いつつ、医務室を出る。
あの騒動で前夜祭もお開きになってしまったようで、廊下には静けさが漂っていた。
夜の空気を体に浴びながら、寮と戻るための廊下を歩いていると……廊下の端で、ドレス姿の少女が座り込んでいるのが見えた。
「リゼ? まだ戻っていなかったのか」
「せんせ…………怪我、は?」
そうか。俺のことを心配して、待ってくれていたのか。
悪いことをしてしまったな。
「問題ないよ。医務室で完璧に治してもらった」
無事であることを教えるために、軽い切り傷を負っていた場所を見せる。
破れてしまった服の隙間から見える肌は、もう傷一つ見当たらない。
「そ、っか……うん。よかった」
「なぜ、落ち込んでいるんだ?」
「…………私、他の人に回復魔術は使えないから」
「君にも苦手分野があったんだな」
「苦手っていうか……もう、使いたくないだけ」
リゼは『万術』と呼ばれる魔女だ。
回復魔術ぐらいは使えると思っていたが……いや、実際に使えるのだろう。
好んで使いたくないだけ、ということのようだが。
「もしも……あの時のせんせが、もっと重い怪我を負っていたら……私、何も出来なくなってた」
「……心配をかけてしまってすまない。だが、俺はこの通り。本当に大丈夫だ」
きっとリゼは、俺が考えているよりずっと心配していたのだろう。
思えば目の前で一緒にダンスを踊っていた相手が、急にいなくなり、シャンデリアの下敷きになったら……不安になるに決まっている。
「寒かったろう。寮まで送るよ」
「…………うん。ありがと」
夜の廊下をリゼと一緒に歩く。
昼間は喧騒に包まれる廊下も、月が顔を出しているこの時間帯は静謐で満ちている。
鳴る靴音だけが、この月明かりに照らされた淡い世界に俺たち二人が存在を証明していた。
「…………せんせは、どうしてあの二人を庇ったの?」
「どうして、か……人の頭上にシャンデリアが降ってきたら、助けたいと思うだろう?」
「思わないよ。普通は、怖くて逃げるよ。それにあの二人は、せんせにひどいことしたよ。許しちゃったの?」
「…………正直、未だに思うところはある。だが、あの時はそんな理屈を考えていなかった」
あの時の状況を思い返してみても、やはり細かな理屈はついてこない。
「言語化するなら……体が勝手に動いていた、だな」
「………………」
呆れられるだろうか。まあ、呆れられてもおかしくはないな。
だが我が家はこんな感じだからな。
「…………だと思った」
だけどリゼは特に呆れた様子もなく、小さくため息をつくだけだった。
「けど、よかった。せんせがあの二人を許してなくて」
「うーん……というより、許すか、許さないかの問題でもないと思っている。それどころか最近はヘンリエッタに対して、申し訳なさを感じつつあるというか」
「せんせのどこが悪いっていうの?」
「……俺は本当の意味で、彼女と向き合ってこなかったのかもしれない」
ヘンリエッタとの思い出はそう多くはない。
今更、彼女とよりを戻したいとは思わない。
彼女に対する怒りだって燻っているのは確かだ。
「俺はただ、自己満足の努力を重ねていただけなんだと思う。彼女が何を喜ぶのか、どうすれば笑顔になってくれるのか……相手のこともろくに考えず、独りよがりな努力を重ねたところで、心を繋ぎ留められないのは当然だ」
「……ねぇ。ねぇ、どうして? なんで、そんなこと今更思うわけ? 今更っ。あの人とよりを戻したいって、そう思って……!」
「違う」
「嘘。知ってるもん! せんせは、優しすぎるから……!」
「落ち着くんだ」
「せんせが許したって、私が許さないから! あの二人は、絶対――――!」
「リゼ」
「んっ――――……!?」
華奢な体を抱き寄せ、濡れた唇を塞ぐ。
「はぁ……はぁ……せん、せ……? んぅっ……」
突然のことだったせいか、リゼは困惑していた。
彼女の愛らしい舌の動きも鈍く、いつもよりもずっと、されるがままだ。
そんな彼女の唇を塞ぎ、ただ貪っていく。
静謐に包まれた夜の廊下に靴音は消えて。
彼女の口から漏れる甘い声と吐息が、夜の空気に溶けていった。
やがて、交わりあった影が離れて……。
「せんせ……? これ、って……」
「……落ち着いたか?」
「ん…………」
こくん、とリゼは小さく頷く。
その頬は淡い月明かりの下でも分かるぐらいに赤く染まっていた。
「……俺は彼女とよりを戻したいとは思っていない。今も怒りはある。だけど、俺にも未熟な部分があった。それを教えてくれたのは、リゼ……君だ」
「え……? わた、し……?」
「嬉しかったんだ。自分の努力を誉められたこと、努力を見てくれていたこと。俺の顔の傷を恐れずにいてくれたこと。君には……その、大胆な行動に驚かされてはいるが、本当に嬉しかった。……そんな君の笑顔が見たい。君に喜んでほしい。そう考えるようになったんだ」
ヘンリエッタが婚約者だった時には、なかった感情だ。
そしてその感情がなかったことが、俺の至らない部分だったと思う。
「リゼ」
「は、はい……」
「……今度、デートをしよう」
「授業ってこと……?」
「……授業じゃない。君に好意を寄せる一人の男として、デートを申し込みたい」
「――――――――っ……! それ、って……」
「告白と受け取ってもらっても構わない」
リゼは俺の言葉に目を丸くしながら、ぽかんとしていた。
だが、やがて小さく、こくりと頷いた。
「…………はい」
「ありがとう」
ああ……緊張した。
ヘンリエッタをデートに誘う時は断られることが当たり前で、こんな風に緊張したことはなかった。
だから、初めての感情だった。こんな風に胸の鼓動が高鳴るのは。
「…………ねぇ、せんせ。覚えてる? 前夜祭の会場で、私が言ったこと」
「どれのことだ?」
「『せんせの好きなところに、キスしていいよ』」
リゼは耳元で、そっと囁いてきて。
俺はそんな彼女の囁きに、言葉ではなく行動で返すことにした。
淡い月が生み出す二つの影が、何度か交わって――――。
リゼはしばらく、今日のドレスを着ることが出来なくなった。




