第13話
普段は物々しい雰囲気をしている大広間も、今日ばかりは煌びやかな装飾が施されていた。
天井には幾つものシャンデリアが宙づりにされており、会場を優美な光で照らしている。
会場のあちこちには、正装や学園支給の礼装に身を包んだ学生たちが、パートナーや友人と共に思い思いの時間を過ごしていた。
そんな彼ら彼女らの視線が――――たった一人の少女に集中している。
誰に、かは周囲を見て確かめるまでもない。
「せんせはダンス、出来るよね?」
「人並みには。……だけど、なぜ分かったんだ?」
「ふふっ。だって、せんせだよ? こういう場所で婚約者さんに恥をかかせないように、いっぱい練習するに決まってるもん」
見透かしたように、リゼは微笑む。
彼女が微笑むだけで、周囲にいる生徒たちが魅入ってしまったのが気配で分かった。
「せんせのそういう努力家なところ――」
リゼは俺の耳元に唇を近づけると、吐息を吹きかけるように、そっと囁いた。
「――――好き、だよ」
「…………っ。ありが、とう」
リゼの鈴の音のような言葉一つで。
鼓膜を通じ、体内に電流が走ったかのような甘い痺れを抱く。
この甘美な熱でさえも彼女の掌の上にあるのかもしれないが、拒むことも抜け出すことも叶いそうにない。
だけど……。
「せんせ、どうしたの? 難しい顔してる……」
「……また、君に翻弄されてばかりだと思って。せめて今日ぐらい……こういう場でぐらい、君をエスコートしたいと思ったのだけど」
それが俺が密かに今日、定めていた目標だった。
俺はいつもリゼという少女に翻弄されてばかりで、彼女の掌の上にいるような気がして。
いつまでもそのままでは、彼女を……リゼリット・フランメルクという少女と向き合えないと思ったから。
「――――……」
そんな俺の、実質的な降参宣言に。リゼはなぜか目を丸くしていた。
「せんせ……私のこと、エスコートしたいって思ってたの?」
「そうだが?」
「もしかして、そのために……いっぱい練習してくれた?」
「練習……というか、勉強だな。図書館で本を借りて、学園の先生にも相談してみたりしたんだが……やはり君の魅力の前では、付け焼刃だったようだ」
「~~~~っ……!」
リゼは頬を紅潮させると、今まで見たことのないような、ふやけた笑みを浮かべていた。
氷で作られた一部の隙のない芸術的な華が、溶けてしまったみたいに。
アイスを買ってもらった子供みたいな。そんな……幼い笑顔だった。
「そっか。そっかぁ~~~~……! ふふっ。せんせが、私のために、エスコートの練習してくれてたんだ……♪」
「そ、そんなにも喜ぶことなのか? 今も上手く出来ていないんだぞ……?」
「だって、せんせが自分から、私のために時間を使ってくれたんだよ? 授業とか契約とか、そういうの関係なく……私のために。私のためだけに……! 今まではそういうの、元婚約者さんにしかしてこなかったのに~~~~っ!」
ここがパーティー会場であることを忘れたように、リゼは喜んでいる。
それどころか今にもうさぎのように跳ねだしてしまいそうだ。
(そうか……リゼは、こんな顔も出来る女の子なのか)
エスコートは思うようにはいかなかったけど。
だけど、何だろうな。この笑顔を見ただけで、全てが報われたような気がする。
(…………我ながら簡単な男だな)
再びこの笑顔を見るためなら、どんな努力だって積み重ねたくなる。
それどころか今、俺の頭の中はどうすればまた、この笑顔が見ることが出来るのか。どうすれば彼女を笑顔にすることが出来るのだろうかと、そんなことばかり考えてしまっている。
「…………む」
優美な音色が奏でられ、会場に流れ込んでゆく。
音楽が流れ、パートナーのいる生徒たちは手を取り合ってダンスを踊っていた。
「せんせ、踊ろ?」
「それは俺からかけるべき言葉だな」
苦笑しながら、彼女の方から差し出してきた手をとる。
この日に備えて復習したダンスの作法やステップを記した、頭の中のメモ帳を引っ張り出す。
リゼのステップは淀みない。月明かりの下で華麗に舞う妖精のようだ。
それに比べれば俺の動きはぎこちなさは否めないが、リゼは気にした様子もない。
「今日はね。せんせをもっと、私に溺れさせるつもりだったんだ。……あはっ。私の方が、せんせにもっと夢中になっちゃった」
「俺は、既に君に溺れているつもりだよ……あまり褒められたことではないが」
「ふふっ。もっと、だよ。そのためにこのドレスも用意したんだもん」
そう言って、リゼは音楽に合わせて、くるりと回る。
上品な美しさをまとった夜色のドレスが、全身を惜しみなく魅せつけるかのように揺れた。
「……綺麗だ」
「ほんとに?」
「嘘は得意じゃない」
「そうだったね」
優雅にステップを踏みながら、リゼはくすくすと笑う。
こうしていると本当に可憐な少女のようなのにな。
時折、お互いに笑いかけながら、ステップを重ね続ける。
練習の時はたった一分すらも長く感じたが、いつの間にか音楽が止んでいた。
時間を感じさせないぐらいに、あっという間だった。
「はー……まだ胸がどきどきしてる」
「どこかで休憩しよう。水を持ってくるよ」
「このどきどきは、疲れたわけじゃないよ。せんせに、どきどきしてるの」
かつん。
リゼは自然な体重移動で、俺との距離を詰めた。
そして周りには聞こえない、俺にしか聞こえない声で、そっと耳元でささやきかける。
「ね、せんせ…………このままパーティー、抜け出しちゃおっか」
「寮に戻るのか?」
「違うよ。大図書館に行くの」
大図書館――――『黄金大樹の棚』。
たったそれだけで、何をするのか。リゼが、何をしたいのかを理解してしまった。頭よりも先に、唇の記憶で。
「…………っ。いや、それは……」
「あはっ。せんせが悪いんだよ? こんなにも私のこと、どきどきさせるから。それに……ねぇ。このドレス、いつもの制服よりも、色んなところが見えるでしょ?」
リゼの言葉で、反射的に視界がとらえたものは……むき出しになった、華奢な肩。真っ白な首筋と、年齢を鑑みても発育のいい胸元。いけないことだと分かりつつ、俺の脆弱な精神は追ってしまう。
そんな俺の視線はお見通しだとばかりに、リゼはくすっ、と小さく笑って……。
「……せんせの好きなところに、キスしていいよ」
「――――っ……!」
脳を揺さぶられるかのような、声と言葉。
思考がどろどろに溶けて、蜂蜜色に染まっていく。
さっきまで無垢な笑みを浮かべていた、純粋な少女の顔はどこにもなく。
俺の目の前にいるのは、蠱惑的な、魔性を携えた妖精だ。
(まずい――――……)
これは。まずい。
このまま大図書館へと行けば……越えてはならない一線を、越えてしまいそうになるだろう。
それは。それだけは。
ただ欲望に流されるまま、リゼを傷つけるわけにはいかない。
「リゼ。俺は…………」
この魔性の魅力を持つ少女から顔を逸らそうして、強引に視線を周囲に逸らす。
(あれは…………)
いつの間にか会場に入っていたらしいノイルがいる。
その近く、手前にいるのはモーリスとヘンリエッタだ。
だけど、気になったのはそこじゃない。
二人の頭上にあるシャンデリアが、微かに、不自然に揺れて――――落ちた。
「――――っ!!」
蜂蜜色に染まっていた思考は、瞬く間に吹き飛んで。
半ば反射的に体が動いていた。考えるよりも早く、体内の脆弱な魔力をかき集めて、床を蹴る。
二人はまだ、落下してくるシャンデリアに気づいていない。
(間に合え……――――――――!!)
祈るように両手を押し出し、モーリスとヘンリエッタを突き出した。
直後。
ガッシャアアアアアアアンッ!!
シャンデリアが派手に砕け散る、けたたましい音を……俺は、自分の背中から聞くことになった。
「せんせっ!!」
リゼの悲鳴にも、叫びにも似た声が響く。
それがちょっと新鮮だった。目の前で知り合いがシャンデリアの下敷きになれば、そうもなるだろう。
だけど……。
「……大丈夫だ」
幸いにして――――強化の魔術が上手く働いてくれたらしい。
シャンデリアの残骸を落としながら起き上がった俺は、リゼに手を振る。
「…………あ」
「……っ。どうしたの? せんせ、何か、大きな怪我……!」
「いや、そうじゃなくて」
怪我はある。だがこんなもの、かすり傷みたいなものだ。
少なくとも顔の傷に比べればなんともない。
問題は――――
「…………すまない。君からもらった服が、破れてしまった」
問題点を素直に白状すると……。
「せんせの、ばかぁっ~~~~……」
リゼは、ほっとしたように膝から崩れ落ちた。




