見劣り姫は恋に落ちる
生まれ育った王城の敷地内を、これほど必死に走ったのは初めてだと思う。
なにしろ私を捕まえようと、大好きな騎士がものすごい速さで走ってくるのだ。
私も捕まるわけにはいかないから、さらに速度を上げて懸命に走る。
もはや死に物狂いの逃走だ。こちらに向かってくる大好きな彼の表情が、鬼……ううん、ものすごく怖いから、よけいに必死になる。
王女の威厳なんて言っていられない。捕まったら“死”だ。人生はもちろん、社会的に終わってしまう。
……ああ、もう、好きだけれど今は来ないでーー!!
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、彼の追跡を振りきろうとひた走る。
彼の前だから常に可愛らしくありたいのに、なぜこんなことになったのか。
首をひねりながら、運命の出逢いがあった、数か月前のことを思い返す。
「姫様。グロリアーナ姫様ー!」
王女宮の庭に、私の筆頭侍女、ヘラの声がこだまする。少し焦り気味の声だ。
「ここにいるわ。そんなに慌ててどうしたの、ヘラ」
私を探す侍女に、居場所を告げる。
すると、お仕着せを着た栗色の髪の女性――ヘラが二階の窓から顔を出した。
「こちらにいらしたのですね。そろそろお時間ですよ」
「あら、もう時間なの? 今行くわ」
急いで部屋に戻り、身だしなみを整えて廊下に出る。
扉の脇には護衛騎士の制服を着た騎士が二人控えており、そのうちの一人が声をかけてきた。右側の泣き黒子が色っぽい、屈強そうな体格の男性だ。
「姫様、ご移動なさいますか?」
「ええ。今日も護衛をよろしくね、メイナード」
彼は私専属の筆頭護衛騎士、メイナード。私が六歳の頃からの付き合いで、よき理解者でもある。
侍女のヘラもそうだけれど、私にはもったいないくらい優秀だ。
そんなヘラとメイナードを従えながら、兵士の訓練場に向かって歩を進める。
少しして、貴族たちに開放されている廊下に差しかかった。
「見て。第三王女殿下よ。珍しいわね」
「見劣り姫か。王妃殿下や第一王女殿下に比べると華やかさに欠けるな」
「見劣り姫と言えば、ほかの殿下方に比べて勉強や芸術面がイマイチという話じゃないか。みな優秀なのに可哀想なお方だな」
「シッ! 聞かれるぞ」
どこからともなく陰口が聞こえて顔を向ける。
庭園に続く道のため、それなりに人が行き交っている。けれど誰もこちらを見ておらず、陰口を叩く人を断定することはかなわなかった。
……いったい誰だったのかしら。
不思議に思っていると、側にいるヘラとメイナードが低い声を発した。
「あの者たち……」
「やりますか?」
何をどうやるのか。メイナードとヘラの不穏な言葉――ヘラの方が不穏だ――に苦笑する。
「二人とも落ち着いて。何も知らない人が言っているだけよ。放っておいていいわ」
「しかし、姫様をコケにすることは王家をコケにするのと同義です」
メイナードが眉間に皺を寄せる。彼の忠誠心はとても嬉しい。だが、この件は別の人が対処すべきだろう。
「そうかもしれないけれど、噂の本人が処罰に乗り出したらよけいに悪化するわよ? 彼らを見返せるような才能があればよかったのでしょうけれどね」
どんなに逆立ちしたってないものはない。見返せない悔しさはあるものの、陰口の内容は間違っていないから払拭もできない。
「まあ実際、私のことは事実なのよね。お母様もエッタ姉様もものすごく美しいわ。ミリー姉様は清楚でお綺麗。私にはどちらも無理ね。でも高望みはしないわよ。私は、私だけがなれる最高の自分になるだけ。素地はよいのだもの。これからに期待だわ」
前向きな発言をすると、ヘラの眉間にも皺が寄った。
「姫様はなぜそんなに落ち着いていらっしゃるのですか? 下手な大人よりも大人ですよ」
ヘラの言葉を受けて、にこりと微笑む。
「私には兄様や姉様たちのように突出するものがないから、頑張って勉強しているだけよ。でもね、どれも普通にこなせるというのは、逆にすごいことだと思わない? 私は自分が誇らしいわ!」
胸を張って言えば、二人は顔を見合わせたあと、こらえきれずといった様子で笑った。
「姫様がお気を害していらっしゃらないのなら、これ以上は申しません。時間になる前に訓練場に向かいましょう」
メイナードの提案に素直にうなずく。
「ええ、そうね。この訪問は授業の一環だもの。遅れたらやり直しになってしまうわ。さっさと行きましょう」
無駄な話を打ち切って、すぐさま兵士の訓練場に向かった。
訓練場は、王女宮と同じく、サンメドゥ国王城の敷地内にある。ゆえに、時間はそれほどかからずに着いた。
訓練場では兵士たちが思い思いに鍛錬していた。
剣をひたすら振っている者、打ち合いをしている者、走っている者。
周りに目を向ければ、見学席でうっとりしている令嬢たち。中には私に気づいた者もおり、近くの人たちとともにこちらを見て何事かを言っていた。
見世物ではないのだけれど、と悶々としていると、体格のいい男性がやってきた。彼は騎士隊長で、今日の案内役だと聞いている。
「第三王女殿下、お待ち申し上げておりました」
「騎士隊長、今日はよろしくね」
軽く挨拶を交わし、差し入れを渡す。第一課題達成だ。あとは次の課題達成まで騎士隊長の説明を受ける。私にはちょっと難しい話だ。
今回訓練場に来るにあたり軍のことを勉強したけれど、詳しいわけではない。掘り下げすぎてぼろが出ないように相槌だけをする。
そうして長い説明を受けていると、訓練場の一角で二人の兵士が向かい合う姿が見えた。どちらも胸当てなど最小限の防具に身を包んでいる。
何をするのかと見ていると、互いに剣を構えた。そのまま二人の打ち合いが始まる。
「まあ! すごいわ!」
二人の剣技は力量に差があるようで、青銀の髪の青年がもう一人を圧倒している。その動きはとても洗練されたものだ。
あまりに素晴らしい剣捌きに、気づいたら感嘆の声を上げていた。
二人の打ち合いは続き、やがて勝敗が決した。もちろん勝ったのは青銀の髪の兵士。とたんに訓練場に歓声が上がった。私も拍手で健闘を称える。
その時、青銀の髪の青年がこちらを向いた。
「え?」
相手と目が合った気がして一つ瞬きをする。気のせいよね、と思っていると、青銀の髪の兵士がはっとしたように目を見張った。その口はわずかに開いている。
なぜそんなに驚くの? 私の顔に何かついている?
そう考えたのは一瞬。次の瞬間には疑問など消し飛んでいた。
「!!」
雷に打たれたことはないけれど、そう思えるような衝撃が全身に駆け巡った。走り込んだあとかと思うくらいに鼓動が激しい。
原因なんてわかっている。遠目から見ても端整だとわかる兵士が、こちらを見て心底嬉しそうに笑ったからだ。その破壊力と言ったらない。月並みな言葉だが、魂を根こそぎ持っていかれそうだ。
胸を押さえたくなる衝動をなんとかこらえ、王女らしい穏やかな笑みを浮かべる。
体裁を取り繕ってから、ゆっくりと視線を外して後ろを向いた。
「は……」
「姫様?」
「姫様、どうなさいましたか?」
不思議そうに尋ねてくるメイナードとヘラに何も答えず、訓練場の端、人気がない場所に早足で行く。
くるりと二人に向き直ると、自身の胸を押さえながら口を開いた。
「はい、好きー!!」
王城の敷地内にある兵士の訓練場。騎士隊長の言葉を借りれば、むさくるしいこの場所で。
私、グロリアーナ・サンメドゥは齢十二にして初めて恋に落ちた。
私の人生ががらりと変わった瞬間だった。
1章完結まで毎日投稿予定です!




