ドキュメンタリー3
「こんな時でも遠慮なしなんだな」
「ひとりになりたかったんですか?」
私はイーナに何も言うことはできなかった。ただ、何も考えられなくなるくらい疲れるまで、ふたりで真剣にクエットボールの基礎練習を無心で行った。シャワーを浴びて、自室に帰ると、アリサが私のベッドの上での転んで本を読んでいた。
「……いや、誰かと話していた方がいいかもしれないな」
「おお。何か相談したいこととかあるんですか?」
「相談……まぁ。そうだな。イーナについてだが、お前の方から思うことはあるか? 正直、私は混乱している。考えがうまくまとまらない」
「あー……まぁ、私もあそこまで思い詰めているとは思っていませんでしたよ」
「見ていたのか」
「それが仕事ですので」
「イーナが、安楽死するというのは現実的にあり得る話なのか?」
「まぁ、申請は通ると思いますよ。でも別に、推奨はされていません。彼女は今も仕事を持っていますし、クエットボールの選手でもあります。生殖器は確かに切除してしまいましたが、すでに生殖の成功もしているので、彼女がこの先社会に何の貢献もしていなかったとしても、トータルで彼女の人生は社会にプラスの影響を与えていると計算されますので、健康に生きる権利は当然与えられていると思います」
「生殖の成功?」
「あぁはい。一応遺伝的には、イーナさんとエノクさんの子供ができています。わかっていると思いますが、人工子宮は取りだされて外部で生育されています。その子に、自分が誰の親か知る権利はありませんし、おふたりにもどの子が自分の子かを割り出す権利を持っていませんし、私自身も知らないのでそれ以上は何も言わないでくださいね?」
「あ、あぁ。わかってる」
感覚が麻痺はしていたが、セックスをすれば子供ができるのは当然で、私の知らないうちに私の子供はおそらくもう十人以上できているのかもしれない。その子がどんな人生を歩むのか、私が知る由はない。
男性は、子供を作ればマシな存在になる。だから、子育てをしている間だけは人間としての権利を認める。そういう仕組みを考えている。そう言ったレイスの言葉を思い出した。もしそれが実現すれば、私は私とイーナとの間の子と暮らすことができるのだろうか? もしそうなら……私は首を横に振った。ありえないことだ。考えるべきでない。
「言わない方がよかったですかね」
「いや。それで……君自身はどう思うんだ。イーナが安楽死することについて」
「別にどうも思いませんよ。個人の自由です。この先生きるのが楽しいことより苦しいことの方が多いと思われるなら、そうしたっていいんじゃないですか? あぁ。でも安楽死しなくていい人が安楽死をし過ぎると社会が不安定なので、一市民として、止められるなら止めたいですね」
「そうか」
「……エノクさんは、安楽死したいって思ったことあります?」
「ないな。あぁ、自殺ならある。何度も。でも安楽死はしたくない。死ぬなら、ちゃんと苦しんで死にたい」
「どうしてですか」
「わからないが、そう思うんだ」
そういえば、私の母親は自殺したとアリサは言っていた。自殺。安楽死ではなく。そう、この国ではその二つは明確に区別される。安楽死は制度。自殺はタブーだ。
「そういう遺伝子でもあるんですかね。まぁ、私は正直、イーナさんのことはどうでもいいですけど、エノクさんには死んでほしくありませんよ? せっかく私が説得して連れてきた貴重で優秀な性資源なんですから」
そう言ってアリサは、下品にも私の股間に手を当てた。私は反射的に身をよじる。
「おい」
「ま、あまり気にしすぎないことですよ。それに、もしエノクさんが望むなら、たとえイーナさんが安楽死申請を出しても、それをせき止めてあげることも、できなくないかもしれません。楽観的に行きましょうよ。少なくとも、この企画が終わるまでは」
「……まぁ、そうだな」
「つまりまぁ、君たちは最初から私の素性は知っていたわけだ」
「この企画が始まってからだけどね」
朝食の席、ノアは何事もなかったかのように食事をとっている。反対側の隣には、エレナを押しのけたイーナが。
「すみません。言ってはいけない、と言われていたので」
ただでさえ声の小さいエレナは、さらに声が小さくなっていて、そのうえ離れているので微かにしか聞こえない。
「気にしてるんですか? 別にいいじゃないですか。知られて困るようなこともないでしょうに」
嫌味っぽくはないが、鼻につく言葉を言ったレイス。私はイーナの方をちらっと見るが、彼女は顔を背けていて表情はわからなかった。
「そんなに母親が恋しいんですか?」
私が黙っていると、そんなことを言って向こうからこちらの表情を覗き込むように机に乗り出す。
「私たちには親がいないので、正直に言いますと、親がいるというのはどういう感覚なのでしょう? いた方がいいのでしょうか。あぁ。もちろん、客観的にはいない方がいいというのは当然のことです。ただ、エノクさん自身の主観としては、どう思うか私は気になっています」
「答える義理はないな」
私は不機嫌を隠すつもりもなく、そう言った。
レイスは、諦めたようにため息をついて食事を始めた。しばらくして、ふと、ひとりごとみたいに言った。
「私、エノクさんのお母さんのお墓も管理してるんですよね」
「は?」
「あれ? お墓参りとか興味あるんですか? まぁ、男性のエノクさんには多分許可が下りないと思いますが。あ、でも遺骨の一部を特別にエノクさんに渡す、ということはできるかもしれませんね」
へらへらと笑いながらレイスはそう言った。悪意があるのかないのか、判断がつかなかった。
「何のつもりだ」
「別に何のつもりでも。だって、エノクさんは私たちがエノクさんの生立ちをちょっと知っていることを黙っていることに対して苛立っていたのでしょう? だったら、今私が黙っていることのいくつかを打ち明けといた方が、エノクさんの感情を刺激せずに済むかなと、そう思っただけです」
ノアもエレナも、顔をしかめてレイスを見ている。正気を疑うような顔だ。
そんなとき、イーナが食事も途中なのに急に立ち上がった。
「レイス。あとで話がある」
「はい?」
「ひとりで、私の部屋に来て。いやなら私があなたの部屋に行く」
「……わかりました。夜にでも尋ねに行きます」
「面白くなってきましたね」
夜中、そう言いながらアリサは私の部屋のモニターの電源をつけた。そこには、色々な角度から撮影されているイーナの部屋が映し出されていた。
「よそでやってくれないか?」
「いえ、エノクさんがこの映像を見ているところも撮影したいとのことだったので」
「どこまでも悪趣味なんだな」
「まぁ、誰も死なないんですし、いいじゃないですか。彼らもわかっているはずですし」
「話ってなんですか」
「この企画が終わった後、エノクの母親の墓に私を連れて行ってほしい。金は30万リィンまで出せる」
「はい? 何か悪いことでもするつもりですか? それなら、協力なんて絶対しませんが」
イーナは首を振った。
「……エノクの代わりに、墓参りしたいだけだよ」
「なら、ちゃんと正式に申請を通してください」
「私はエノクの母親と面識がないから、申請は通らないと思う」
「あー……うーん。めんどくさいですね。ま、わかりました。本当に墓参りしたいだけですよね?」
「うん」
「変な人ですね。ま、そもそも墓参り自体が私にはあんまり理解できない文化ではありますが。死体に会いに行って何になるんでしょう。変わんないですよ。誰の死体であっても。ただのモノ」
イーナは何の反論もしない。
「それで、対価は?」
「対価? あぁ。お金はいりませんよ。余るほど持ってますし。あとは……あぁ、まぁ、この企画の間、もう少し皆に友好的に接してもらえるといいですね」
イーナは露骨に嫌そうな顔をする。
「人付き合いが苦手なのは私も同じですよ。でも我慢してるんです。あなただけが我慢しないのは……なんというか、普通にムカつくんですよね」
「わかった。出来る限り、馴染む努力をする。それで、終わったら墓に連れて行ってくれるんだよね?」
「はい。約束しますよ。大したことじゃないですしね。あ、でもその前にひとつちゃんと教えてください」
「なに?」
「何のために墓参りするんですか?」
イーナは悩むでもなく、即答する。
「エノクの母親に言いたいことがある」
「よくわからないんですが、死体は言葉を理解しませんよ?」
「関係ない。私にはやらなくてはいけないことがあるし、言わなくてはならないこともある。私の心がそれを求めているのだから、それに従う。それだけ」
「わからない人ですね。まぁいいですよ。嘘をついているみたいにも見えませんし。ところで、この会話もきっと映像として残って、他の人の娯楽になると思うんですけど、それについてはどうお考えで?」
「どうでもいい。別に誰が見ていようと、私は私がすべきことをするだけ」
「出演者として素晴らしい態度ですね。羨ましい限りです。それじゃ、私はもう帰りますね」
「待って」
「なんですか? 私、正直あなたのことあまり好きじゃないので、長く話していたくはないのですが」
イーナはそこではじめて少し悩むそぶりを見せた。そのあと、何かを決心したように口を開いた。
「エノクは……」
そこで映像が途切れた。
「ん? あぁ、なるほど」
アリサはそう言って、モニターの電源を切った。
「ま、私たちがまだ知らない方がいい話が出てきちゃったみたいですね」
「そういう演出っていうわけか」
「ま、そうですね。気にしない方がいいなら、気にしないで行きましょう。それにしても、墓参りですか。私、したことないんですよね。エノクさんはどうですか?」
「養父の墓には何度も花を添えたし、友人たちが死ぬたびにその肉を燃やして骨を埋める手伝いもしていた。外の世界では、死はもっと身近で、死者はもっと……変な話だが、生きている」
「うーん。その影響力が残っている、っていうことですか」
「まぁ、そんな感じだ。死んでも、まだそばにいる感じがする。死んだからと言って、それでももういなくなっておしまい、という風にはならない。そう考えようとしても、そうはならないんだ。どうしても、意識してしまう。すぐそばにいるような気がしてしまう。だから、その墓を参ることで、そいつが死んだことを自分でちゃんと繰り返し確かめないといけない。そうしないと……おかしいことになってしまう」
「ふぅむ。そういう意味でいえば、エノクさんもお母さんのお墓には行っておきたいですよね?」
「あぁ」
「まぁ約束はできませんが、上に話をしておきます。もしかすると、撮影して映像化することと引き換えにはなりますが、一度くらいならその機会が合法的に得られるかもしれません」
「……ありがとう、アリサ」
そう言ったあと、私はふと心に浮かんだことをそのまま問うた。
「なぁアリサ。なんで君は、私にここまでよくしてくれるんだ?」
アリサは首をかしげる。
「なんででしょうね。なんとなく、そうしたいって思うんです。これが恋ってことですか? いやぁ。別にエノクさんのことを思うとドキドキするとか、そういうのはないですけど。まぁ、普通に義理って感じじゃないですか。知りすぎちゃったっていう。あ、それか、私が生まれつき人よりとびぬけて親切で優しい人間っていう可能性もありますね」
「なにはともあれ、君にはずいぶん助けられている気がする。ありがとう」
「いえ、こちらこそ。私もエノクさんのおかげで毎日とっても楽しく仕事ができています。自分でも、すごく幸運だなって思ってるんです。他の私では、絶対経験できないことですから」
「他の私?」
「ああ。言ってませんでしたっけ? 私、優秀過ぎて大量生産されてるんですよ。秘密裡にですけど。もちろん、個体差はありますし、そのベースとなるモデルも日々進歩してるんで、ここにいるアリサはもちろんオンリーワンですよ? でも99パーセントくらい同じ生体構造のクローンが、この国に数百体いて、それぞれ楽しく仕事をしているってだけです」
「……それは、俺に言っていいことだったのか?」
「ダメですけど、魔法の言葉があるんで大丈夫です」
「冗談だ、とでもいうつもりか?」
「はい。全部冗談ですよ? そんなわけないじゃないですか」
「あぁそうか。騙されてしまったよ」
私はそう言って、水を一杯飲んで、布団にくるまった」
「それじゃあエノクさん、おやすみなさい」
「あぁ。おやすみ」
かちゃり、と優しく扉の閉まる音。
私はこの国を、ある種理想の国だと思っていた節があった。女たちが幸せに、自由に生きられる国。男たちは、不自由だが、彼らが望むものすべてが与えられる国。多少の理不尽や違和感は、そうした成果を考えれば、正当化されると思っていた。
今はどうだろうか? 心の底にこびりついているような、現実に対する違和感は、ひどく膿んで、悪臭を放っている。このままでは、まともに生きていけないような、そんな気がしている。
しかし、まともに生きていくというのがどういうことなのか、私にはもうわからないし、その意味や意義も定かではない。外の世界では、ただ生きるのに必死だった。まともかどうかなんて知らなかったし、そういう生き方自体が、ある種の「まとも」であったようにも思う。
私は、ふと自分が怖がっていることに気がついた。何に? それすらわからない。ただ、震える手と冷たい汗がそれを証していた。