第4話「見知らぬ場所」
「……ここ、は……?」
ふと、吹き付ける風を肌に感じ、エディーは目を覚ました。
未だ朦朧とする意識の中、ゆっくり体を起こして周囲を見渡せば、先程まで見ていた光景と全く異なる風景が目に飛び込んでくる。
石のレンガで造られた塀や壁——その大半が緑に侵食され、あらゆるレンガの隙間から草木が生き生きと覗き込む。
澄み渡る青空は同じだが、そびえ立つ石造りの塔に、多くの木々が並ぶ庭と思しき大広間——一部が結晶化した見上げるほどの大樹が、庭の中央で静かに佇んでいる。
寂しさを醸し出す庭園の木材で造られた床に横たわっていたようで、エディーは身体に若干の痛みと冷たさを覚えて体をさする。
「どこだろう?ここは……。……兄さんは?兄さんはどこに……。」
共に部屋に居たはずのアベルの姿は無く、ただ屋外の冷たい風に吹かれている。
「俺……独り、なのかな……。」
自分が置かれた状況に戸惑い、エディーは酷い孤独感に襲われて視線を落とした。
「……あの時見えた光景は、一体何だったんだろう……。まるで、世界の終わりのような……。」
兄の目の前で倒れる直前に視た光景を、エディーは1つ1つ思い出す。
闇に覆われた空、命と大地を焼く炎、積み重なる人々の遺体——世界が滅亡したのではないかと思うほどの凄惨さに、ただの夢や錯覚であってくれと強く願う。
そして——自分と全く同じ容姿を持つ青年の姿も、エディーは何度も繰り返し頭の中に思い浮かべ、疑問を口にした。
「……見間違いじゃない、本当に……。俺と同じ顔をしていて、涙を流していた……。一体、どういうことだろう……。あれは、あの人は……俺なのかな……。」
考えれば考えるほど、エディーの頭の中は混乱していく。
突然、この世のものとは思えない光景を目の当たりにし、大切な家族とは離れ離れになったうえ、たった独りで見知らぬ土地に座り込んでいる……。
周囲の静けさも相まって、エディーは恐怖と寂しさを感じて膝を抱えると、顔を埋めてじっと虚空を見つめる。
しかし——直後に、どこからか人の呻き声のような音が耳に届き、エディーは顔を上げて思わず声を掛けた。
「……だ、誰か居るのか……?」
エディーは立ち上がり、不安と期待を込めた声で呼びかけながら、呻き声の主を捜し歩く。
すると、近くには見覚えのある服を着た2人の人物が倒れており、エディーは驚いて思わず駆け寄りながら2人の名前を叫んだ。
「マイン……!?クレール……!!」
エディーは親友である2人のもとに近付くと、膝を付いて傍に座り込み、2人の体を交互に何度も揺さ振って起こそうと試みる。
マインとクレールは揺さぶられたことで意識を取り戻し、開き切らない目でエディーの顔をじっと見つめる。
「……あれ、エディー……?まだ約束の日じゃないだろ?一緒に登る日は明後日……」
そこまで言ったところで、マインは視界に映る景色に違和感を覚え、慌てて飛び起きる。
「……ど、どこだ!?ここ!?俺、家に居たはずじゃ……。」
「私も、家に居たはずだが……。マインさんとエディーさんも居て、何がなんだか……。」
マインが周囲を見渡して驚いた声を上げると、クレールも体に付いた土を掃いながら状況が呑み込めないと首を傾げる。
「……エミルと話をした後に、眠るために布団に横になって……。……その後で、唐突に視界がフラッシュバックしたかと思うと、気が付いたらこの場所に居た……。エミルは、無事なのだろうか……。」
クレールが当時の状況を思い返して弟の身を案じていると、マインも心当たりがある様子でクレールに声を掛ける。
「俺も同じような感じだぜ。寝ようと思ったら、目の前がフラッシュバックして……。世界が燃えてるし、この世の終わりみたいな風景だし……それから、エディーが炎の中に引き摺りこまれていく不吉なところも見たし……夢にしても、勘弁して欲しいぜ。」
地獄とも言える惨状を、幻覚あるいは悪夢で目の当たりにしたことで、マインは気が滅入った様子で空を仰ぐ。
クレールは顎に手を当てて考える仕草をすると、顔をしかめたままマインの顔を見やる。
「マインさんが見たのは、そのような光景だったか……。私が見たものは少し違っていて、人々が割れた地の底へ落ち、世界が闇に呑み込まれていくところだった。エディーさんが暗闇の奥深くへと堕ちていくかのような、不吉な光景を見たのは似ているようだが……。」
マインとクレールは同時にエディーの顔を見つめ、エディーは2人の言葉に困惑した表情を見せる。
「お、俺が……そんな風になる光景を……?……実は俺も、自分と同じ顔を持つ人に会って、何かを伝えようとしているところを見たんだ。……何を伝えようとしたのかは、聞こえなくてわからなかったけど……。俺も、今の状況はよくわかってなくて……2人と同じで、今起きたばかりだし……さっきまで、部屋で一緒に居たはずの兄さんも居ない。こんな場所も、見たことないし……。」
エディーは不安を抱えて俯き加減で話すも、一方でホッと胸を撫で下ろして肩の力を抜く。
「でも、良かった……2人に怪我は無さそうで、少し安心したよ。」
「それを言うならお前もだろ。エディーもどっか怪我してたりしないか?」
「うん、大丈夫。俺も、特に怪我はしてないよ。固い床の上に寝てたから、起きた時にちょっと痛かったくらい……。」
エディーがそう言って苦笑いすると、マインは「それならいいんだ。」と心の底から安堵した声を漏らした。
「一先ず、周りを少し見てみないか?このまま、ずっと座っているわけにもいかないだろう。」
そう言いながら立ち上がるクレールに、マインとエディーも釣られて立ち上がる。
「そうだな。ここがどこだかわからねぇけど、家には帰りたいし……ちょっと人でも捜して道を聞こうぜ。」
「そうしようか……誰か見つかるといいんだけど……。」
3人は人を捜すため、その場から離れて丘の下へ続く石造りの階段を降りる。
降りた先には、地下へ続くと思われるいくつかの穴のような入り口があり、切り出した木材や石の柱で入り口の天井を支えている。
塀の外には豊かな森と広々とした湖があり、今しがた降りてきた階段の方へ振り返れば、この石造りの建物は何らかの遺跡であったのだろうと感じられる。
自然豊かな人気の無い静けさに、マインは困った様子で頭に手を置き口を開いた。
「参ったな。なんつーか……全然人が居る気配がしねぇ。」
「どうやら、ここは遺跡のようだな。ざっと見渡したところ、周りには森ばかりで建物も見えないし、人を捜すのも苦労するかもしれない……。」
「どう、しようか……。取り合えずここを出て、外を捜してみる?」
エディーの提案に、マインとクレールは即座に頷いてみせる。
「とにかく、歩いて捜すしかねぇな。俺達がなんでここに居るのか、帰り道はどっちなのかわかんなきゃ、どうしようもないしな。」
「ただ、ここは全く知らない土地ゆえに慎重に行こう。獰猛な獣でも居たら危険だからな。」
「わかってるって。……おし、離れないように一緒に行くぞ。なんつーか……こうやって3人で一緒に居られるのは、ある意味良かったのかもな。」
マインのその言葉に、エディーは先程抱いた孤独を見透かされたような気分になり、心底安心した声を漏らす。
「本当に……最初は俺1人なのかと思ってたから……2人が居て、ちょっと安心したよ。」
「確かに、お前が1人で居なくなったーとか聞いたら、心配で心配で仕方ないかもな。」
「ああ、同感だな。エディーさんが1人になるのは、いささか不安になる。こうして一緒に行動できるのは、むしろ幸運だと思うべきかもしれない。」
「ちょ、ちょっと……。俺って……そんなに危なっかしいかな……?」
「危なっかしいっていうか、放っておけないっつーか……とにかく、1人にすると何か不安だな。」
「そ、そっかぁ……。……まぁ、2人が居ることに気が付くまでは、確かに寂しくて不安だったから、何も言えないんだけど……。」
「だろうなぁ。お前、声のトーンで安心してるなってわかりやすいんだよ。」
「私達が傍に居ることで安心してもらえるなら、それは良いことに間違いはないな。」
エディーは2人の言葉に少し不服そうな顔をするも、すぐに安堵の笑みを浮かべて話を続ける。
「俺達が居ないって、兄さんや他の皆も心配してるかもしれないし……俺達も皆のことが心配だから、早く帰ろう。」
「もちろんだ。明後日には、皆で山に登るって約束もあるしな。意地でも帰るぞ。」
「なら、そろそろ敷地の外へ向かおう。今、何時なのかはわからないが……見た限り街灯も見当たらないし、日が暮れない内に何かしらの目途を立てておきたい。」
「じゃあ……まずはあっちに行ってみようぜ。よく言うだろ?水の近くには集落があるってな。この湖の近くに、村でもないか探してみようぜ。」
家族や友人と、あまりに突然離れ離れになってしまった3人は、大切な者達への思いを口にしながら帰路に着くための方法を探す。
マインが先陣を切り湖に沿って歩き始めると、クレールとエディーもマインの後に続き、注意深く人影を捜しながら歩を進める。
鳥のさえずりや、木々の葉が風に揺れる音……野生と思しき羊や牛の鳴く声に、砂や土を踏み締める音……。
あまりに静かで穏やかな空間に、人など自分達以外に存在していないのではないかという錯覚を覚える。
緩やかな時の流れを感じていると、不意にエディーが傍に居ないことに気が付き、マインとクレールは後ろを振り返ってエディーの姿を捜す。
「……ん?どうした?」
2人から少し離れた場所で、エディーは立ち止まったまま空を見上げていた。
何か気になることでもあるのかと、マインとクレールはエディーに近付いて同じように空を見上げるが、そこには澄み渡る青空しか見当たらない。
特徴的な雲があるわけでもなく、マインは首を傾げて視線を落とすと、エディーの顔を見つめて口を開いた。
「エディー?大丈夫か?」
マインは何度か声を掛けるが、エディーは上の空といった状態で言葉を返さない。
もう一度声を掛けようと、マインが口を開いた瞬間——エディーの口からボソボソと声が漏れ出した。
「……ま、き……こみ……たく……なかっ……た……のに……」
「……エディー?」
唐突に言葉を紡ぎ出したエディーを、マイン達は心配した顔で見つめて声を張り上げる。
「エディーさん?どうした?……しっかりしてくれ!」
「エディー!聞こえてるか?」
2人が同時にエディーの体を揺すると、エディーはハッとした表情を見せて、マインとクレールの顔を交互に見つめた。
「……あれ?俺……今、何か言ってた……?」
「おいおい、無意識だったのか?本当に大丈夫かよ?」
「うん、ごめん……大丈夫だよ。どこか痛むとか、そういうのじゃないから……。」
心配して自分を見つめるマイン達を安心させるため、エディーは口元に笑みを浮かべて穏やかな表情を見せる。
「それなら良いんだけどよ。何か気になることとかあったら、遠慮せずに言うんだぞ?」
「うん、ありがとう。その時はちゃんと言うから、心配しないで。」
エディーはそう言って視線を森に移すと、何かに気が付いた様子で、ある一点を指差して声を漏らした。
「あ、あそこ……誰か居ないかな?人影が見えたような……。」
2人はエディーが指した場所へ視線を送るが、丁度木陰に入ったようで何も見つけられない。
マインとクレールが首を傾げていると、エディーは駆け出して木陰へと赴く。
「俺、ちょっと見てくるよ。」
「あっ……!おい!」
エディーを呼び止めるため、マインが慌てて腕を前に出して声を掛けるも、エディーは立ち止まることなく木陰へと姿を消した。
「全く……気になることがあるなら言えとは言ったけど、さっきクレールが気を付けろって言ってたばかりだってのに……。」
「まぁ、人影なら大丈夫だろう。流石に動物と人を見間違えるとは思えない。」
エディーの突拍子な行動にマインは思わず肩をすくめるも、すかさずクレールに宥められて肩の力を抜く。
「それもそうか。」と納得したマインだったが、直後にエディーの悲鳴が耳に届き、マインとクレールは顔を強張らせて木陰へと視線を戻した。
「うわぁああっ!?」
「っ!?エディー!?」
エディーは逃げるかのように木陰から飛び出してくるが、足がもつれてその場に倒れてしまう。
そんなエディーを追いかけて現れた人物は、覆い被さるようにしてエディーに襲い掛かる。
山賊の類だったのだろうか——マインとクレールは咄嗟にそう思ったものの、エディーに襲い掛かった人物の正体をはっきりと視認して驚愕する。
血の気の無い肌の色は白とも青とも言い難く、肉は一部剥がれ、服は無残な状態となり、おどろおどろしい顔が嫌でも目に付く。
離れていても腐臭が鼻につく、その人物は——所謂『ゾンビ』だと、マイン達はすぐに理解した。
ゾンビは唸り声を上げてエディーの首を掴むと、口を開けて噛み付こうと試みる。
「や、めっ……」
「エディー!!」
マインが動くよりも先に、クレールは近くにあった石を拾い上げてゾンビの顔に投げ付ける。
気が逸れたのか、ゾンビは石を投げたクレールの方へ視線を送り、エディーの首を掴む力を緩める。
その隙を見逃さなかったマインはすぐに駆け出しゾンビを蹴り飛ばすと、エディーの体を引っ張ってゾンビから遠ざける。
「逃げるぞ!!エディー!!クレール!!」
ゾンビから逃れるため、3人は踵を返して走り出す。
蹴り飛ばされ、怯んでいる間なら充分な距離を取れる——そう思っていた矢先、木陰から次々と他のゾンビの群れが姿を現し、あっという間に退路を塞がれてしまう。
「なっ……!?こんなに居たのかよ……!!クソっ、どうなってんだ……。これじゃ、まるで映画や漫画みたいな展開だぜ……。」
「そんなことを言ってる場合じゃ……何か方法は……」
徐々に迫り来るゾンビ達を前に、クレールは必死に解決策を探して頭を捻る。
しかし——答えが得られるまで、彼らがのんびりと待ってくれるはずもない。
焦る3人を前にして、ゾンビ達は一斉に走り出してマイン達に襲い掛かった。
「クソっ!!なんで……!!」
唐突に見知らぬ場所で目覚め、家族や友人と離れ離れになり、親友と共に朽ち果てる……。
家に帰るという、ごく普通の思いさえ果たせられないのかと、急に見せ付けられた絶望に悔しさが込み上げる。
あまりに理不尽だ——そう感じた時、マイン達の耳に微かに空を切るような音が聞こえ、ゾンビ達は声にならない悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
「……え?一体、どうなって……」
ゾンビ達の体は矢で貫かれており、誰一人として立ち上がることはなかった。
何が起きたのかわからず、マイン達が呆然と目の前の光景を見つめ続けていると、木々の上から声が聞こえ、1人の男が3人の前に降り立った。
「君達!大丈夫か!?」
明るい茶髪に空のような青い瞳を持ち、顔や腕に残る古傷が印象的な男は、木材で作られた弓を携えており、寒さを凌ぐマフラーや、厚みを確保しつつも動きを阻害しない工夫が施された白い外套を羽織っている。
明らかに血の通った肌の色にしっかりとした足取り、はっきりと聞き取れる男の声に、3人は安堵して地面に座り込む。
「……に、人間だぁ……。」
唐突に見知らぬ地へ放り出され、あわやゾンビに殺されかけた3人にとっては、待ちに待った『人間』との対面だった。
男は腰を抜かした3人の様子を見つめて、身を屈めて目線を合わせると、安心させようと優しく微笑みながら3人に声を掛ける。
「君達……もしかして、人に会ったのは久々なのかい?だとしたら、随分遠い所から来たんだね……。この辺りには穢れた土地があってね、昼間でも構わず奴等が現れるんだ。本当に……間に合って良かったよ。」
男に声を掛けられると、マイン達は男に視線を戻して感謝の言葉を伝える。
「助けていただいて、ありがとうございました。あのまま誰も来なかったら、私達は死んでいたと思います。」
「本当に、間一髪だったぜ……。なんてお礼を言ったら良いか、わかんねぇな……。」
「君達を助けられた。君達は生きていた。それだけで充分さ。」
マインとクレールが感謝の言葉を伝えると、男は「気にしないでくれ。」と言いながら2人の肩を優しく叩く。
「……助けてくれて、ありがとうございました。それから……ごめん、2人とも……。俺が不用意に近付かなければ、こんな危ない目に遭わせずに済んだのに……。」
エディーも男に向けて感謝の言葉を伝えるも、俯いて後悔の言葉を口にする。
「気にすんなよ。遠目から見たらわかんなかったんだろうし、そもそもゾンビが本当に存在してるなんて知らなかったしな……。」
「知らなかったも何も、存在していたら一大事になっているはずだが……。そんな話、ネット上でも聞いた事が無い。」
「ほ、ほら、クレールもこう言ってんだ。だから気にすんなよ、エディー。」
「……う、うん……。」
マインとクレールが必死にエディーを慰めるも、2人の言葉を聞いた男は訝しげな表情を見せる。
「君達……もしかして、この辺りに穢れた土地があるという話どころか、『生ける屍』を知らなかったのかい……?」
『生ける屍』——すなわち『ゾンビ』であるとマイン達はすぐに理解できたものの、存在していることが当たり前であるかのように振る舞う男に驚きを隠せなかった。
「ど、どういうことだ……?あんた、いつもあんな奴等と戦ってるのか……?」
マインは頭の整理が追い付かず、男に疑問を口にする。
男は腰に手を当てて俯き、少し考えるような仕草をした後、顔を上げてマインの質問に頷いてみせた。
「と言っても……俺の本職は、害獣を駆除するための狩人でね。生ける屍達を専門に倒す仕事では無いんだが……狩りの最中に、どうしても遭遇する確率は避けられないものでね……。だからこうして、いざという時に戦えるくらいには腕を磨いているのさ。」
「そうなのですか……。」
男が嘘を言っているようには思えない。
そう感じたクレールは、今は起こった事実を受け入れるしかないと悟った。
「以後、生ける屍とは、なるべく会わないように……もし会ったとしても、落ち着いて行動できるように充分気を付けます。私達は、戦う術を持たないので……。」
「そうだね……。本当に人なのかどうか、遠目からでも出来るだけよく観察して、慎重に行動することを心掛けるよ……。」
クレールやエディーが反省会をしていると、マインは思い出したかのようにハッとした表情を浮かべ、男に向き直る。
「そ、そうだ……!!俺達、人に会ったら聞きたいことがあったんだよ!!俺達の話……聞いてくれないか?」
マインの真剣な眼差しを受けて、男は快く頷いてみせた。
「ああ、もちろんさ。……ただ、さっきも言ったように、この辺りには昼間でも奴等がひっきりなしに蠢いてる。この近くには街があるんだ。話は、街に着いてからにしよう。」
「街があるのか……!?良かった……是非そこに連れてってくれ!」
「お安い御用さ。俺に付いておいで。」
男は3人に後ろから付いてくるように促すと、先頭に立って歩き始める。
しかし、男はすぐに何かを思い出すと、後ろを振り返って足を止めた。
「そういえば、自己紹介してなかったね。俺は『レド・フィルギャ』。今から君達を案内する街で、狩人として働いているんだ。」
マイン達を救った男——『レド』は軽く自己紹介をすると、3人に向かってお辞儀をした。
「確かに、俺達も自己紹介してなかったよな……。俺は『山天マイン』だ!よろしくな、レドさん。」
「私は『クレール』と申します。レドさん……助けて頂いた上に、街へ案内してくれるとのこと……本当にありがとうございます。是非よろしくお願いします。」
「俺はエディー……『エディー・イーグルトン』と言います。レドさんには、さっきからお世話になってばかりで……。どこかで必ず、お礼をさせて下さい。」
1人1人丁寧に自己紹介をしていく3人の顔を見つめながら、レドは優しく笑って頷いた。
「マインくんにクレールちゃん、それから……エディーくんだね。君達を助けた時に言った通り、君達を助けられて、君達は生きていた。本当に、それだけで充分だよ。……さぁ、行こうか。」
レドが再び先頭を歩き始めると、マイン達は離れないようにしっかりと付いて行く。
時折り冷たい風が強く突き付ける度に身を震わせながらも、木々の優しい音と、湖で魚が跳ねる音に心が安らいでいく。
本当は、『生ける屍』など嘘なのではないだろうか——いや、自分達の身に降りかかった悪夢は現実なのだと、マイン達は自らに言い聞かせて正気を保つ。
そのように思案に耽っていると、思っていたより歩を進めていたようで、いつの間にか視界の中に高く聳えるレンガの壁が姿を現していた。
森の中に築かれた、落ち着いた赤を基調としたレンガの壁——。
砦の一部に設けられた、ささやかな門へ近付くと、甲冑に身を包んだ兵士がマイン達の道を遮った。
「レドさん、お疲れ様です。……そちらの方々は?」
「彼らは、森の中で保護したんだ。生ける屍に襲われていてね。彼らの通行を許可してもらえないかな?」
「ええ、もちろんです。貴方が同行しているのなら、不要な心配かと思いますが……生ける屍に襲われていたのなら、治療を忘れずにお願いします。」
「ああ、わかっているよ。注意してくれて、ありがとう。」
2人の会話を聞いていたエディーは首を傾げ、不安そうな声でレドに問いかける。
「あ、あの……治療って……?」
「ああ……不安にさせてしまったかい?申し訳ないね……。生ける屍に襲われ、傷を負った者が……同じ生ける屍に変容することがあるんだ。見たところ、君達に傷は無さそうだが……念のため、治療薬を渡しておくよ。たとえ傷が無くても、襲われた人には治療薬を渡して、体に異常が起きないか経過観察することになっているんだ。悪く思わないで欲しいな。」
レドのその言葉に、エディーは無意識に視線を下に向ける。
視線を落としたエディーの様子を気に掛けて、レドが心配そうな表情でエディーの顔を見つめていると、マインは咄嗟に言葉を紡ぎ事情を説明する。
「実は……レドさんに助けられる前に、エディーが生ける屍とやらに捕まって襲われてるんだ。咄嗟に助けたけどさ……もしかして、危なかったりするのか……?」
マインの説明を聞くと、レドは納得してエディーの顔を覗き込む。
「なるほど……そういうことだったのか。大丈夫、彼らが助けてくれたお陰で、怪我はしていないんだろう?」
「……うん。首を掴まれたくらいで、噛み付かれたり、傷を負わされたりはしていないよ。」
「なら、心配はいらないさ。ただ……念には念をってね。この街だけではなく、他の街でも決められていることなんだ。理解して貰えると嬉しいな。」
「そんな……とんでもない。助けてもらった上に、治療薬まで渡してくれるなんて……本当に、何から何まで申し訳ないくらいだよ。俺だって……もし万が一のことがあって、皆を危険に晒すような真似はしたくない……。」
己の不安を取り払うかのように、エディーが顔を上げてレドの言葉に答えると、レドは表情を和らげて笑みを零した。
「理解してくれて、ありがとう。皆には一度、街の医療施設に居てもらうことになるかな。……ああ、一応言っておくと、医療施設に詰めてもらうのは数日とは言わず、長くて1時間や2時間くらいだから、長期的に身構える心配はないよ。」
治療という言葉に缶詰めの状態を覚悟していたマイン達は、ほっと胸を撫で下ろして顔の緊張が解れていく。
「良かった……。自分があんな風になるのかと、何日もびくびくしながら過ごすのかと思ってたぜ……。」
「確かに……出来ることなら、あの生ける屍の仲間入りは避けたいところだ。ここはお言葉に甘えて、治療を受けよう。」
「君達の話も聞きたいし、そのためにこの街へ招待した責任もある。俺も施設へ同行するから、安心して欲しい。……それじゃ、手始めに医療施設に向かうとして、改めて……」
レドは兵士に向き直り一言何かを伝えると、兵士は門を開けて、マイン達を街の中へと招き入れる。
鉄で縁取られた木製の門を潜り抜けると、真っ先に目に飛び込んできた光景は、教会と思しき巨大な白き建物だった。
住居であろう家々の外壁には様々な色が取り入れられており、落ち着いた色合いながらも街並みを豊かに彩っている。
一部の家や脇道は緑に呑まれているものの放棄されているわけではなく、自然と一体化した美しい景観を作り上げている。
所々に水路のように水が流れており、木々が揺れる音と共に安らぎを齎している。
街のあちこちからは人々の楽しげな笑い声が響き、冷たい風が頬を撫でるも、街は賑やかで活気に満ち溢れていた。
レドは立ち止まってマイン達へ向き直ると、腕を左右に広げて3人を歓迎する。
「さぁ、改めて……ようこそ!『寒くて温かい街』——『フロワドゥヴィル』へ!君達の来訪を歓迎するよ。」
『寒くて温かい街』——『フロワドゥヴィル』。
先程まで、人気の無い場所で途方に暮れていたマイン達にとって、見知らぬ土地で出会った初めての街。
マイン、クレール、エディーの3人は、不覚にも心に根付いている冒険心をくすぐられてしまい、心躍らせながら、フロワドゥヴィルの街中へと歩みを進めたのだった——。
次回投稿日:8月22日(金曜日20時頃)