第1話
北ニール及び南ニールの一部が甚大な被害を負った悲劇の日より、しばらく月日をさかのぼったある日。
セピア公国の端にある鄙びた町、ゼム町には北ニールから逃れて素性を隠してひそんでいる、とある一家の住処があった。その実の名は、べネル・ソルスロと、その妻ルーナ、28歳の息子のラール、一つ下の27歳カーン、その又一つ下の26歳の娘ナナ、そして年が離れた今年19歳の息子シューとジェイ。ニキとユーリーンの長男は、べネル・ソールと苗字を変えて、その町の雑貨店を営んでいた。
北ニールのソルスロ家は、代々魔物討伐を担って、北ニールではその名を知らぬ者は無い、地底の少し脳みその入っている魔物とて知らぬ者無しの由緒正しき家柄だった。その家の長男に生まれたべネル、父の跡を継ぎ、厳しい訓練の後に、魔物討伐を指揮しながら、主に自身で魔物討伐の責務を負っていた。息子が大きくなってからは、一家で魔物の討伐を請け負い、難度も死線をさまよう怪我もしたし、息子を失ってしまうかと言うピンチもあった。息子たちは良く育った為、長男ラールは13歳でも大人と変わらぬ体格になり、魔物と戦えばべネルよりも強いかと勘違いするほどの働きをしたし、カーンもその数年後には兄ラールに負けず劣らずの戦いぶりだった。
しかし、べネルは内心分かっていた。何故か最近は大物の魔物は出て来ていない。小物ばかりを一家総出で倒していた。
そんな日々はある日、終わった。噂の大物魔物が表れた。一家でいくら頑張っても歯が立たない代物、親子三人は討ち死にかという所で、隠居の身の筈だった親父のニキが一家の助太刀に現れ、年寄りとは思えぬ動きをして、大物魔物を一人で倒してしまった。
そう言う事らしいと言う噂をべネルは知ったが、親父の活躍を見る事は出来なかった。ラール、カーン共々、瀕死の大怪我を負い、母ユーリーンの癒し能力では間に合わず、叔父リューンも手伝ってくれて、何とか息を吹き返した。
目を覚ましたべネルは、横で泣きながら子供たちの看病をしている妻ルーナに、テレパシーで話した。
『逃げよう、ルーナ。もうこりごりだ。俺にはこんな事は向かない。このままでは子供たちも先は無い。俺らには向かないのさ。魔物討伐なんかな』
『そうよね、お父様はお一人であの魔物を倒してしまわれたわ。きっと、あなたに任せていたのね。どこまで出来るのか』
『そうだ、そして今度で出来ないと分かっただろう。だが、俺が跡取りなのだから、死ぬまで戦うしかないのだろう。だが、俺はそんなに、魔物討伐の仕事を義理堅く続ける必要は無いと思う。だが、ここには居られないな。俺らが居なくなれば、レンが後を継ぐはずだ。あいつ、隠しているが、天才だ。地下に魔物を飼っているし』
『地下どころか、館で飼っているヤモリに似た生きもの。レンが子供のころ拾って来たそうだけど、魔物じゃないの。人型になっているのを、館の使用人が良く見かけるって言うわ』
『そうだな、俺らは親父たちとは違うんだ。前から思っていたが、俺は才能が無い、一般人なんだ』
『そうと決まったら、早く逃げましょうよ。せっかくリューン叔父様に助けてもらった子供達、又、死ぬような目に合わせたくはないわ』
『しかし今すぐは無理だろう、セピアが良いと思うが、俺だって行った事はないんだぞ。伝手も無いし。様子を調べないと』
『噂では、セピアでレンさんが結婚して家庭を持っているんだそうよ』
「レンなんか、頼れるわけがないだろう」
思わず声を荒げてしまったべネルだった。
「あなた、そんなにレンさんとは仲が悪かったの。兄弟なのに」
「あいつを頼れるわけがないだろう。俺に才能が無いのに、見て見ぬふりだ。何もしなくても、俺らが全滅すればあいつが跡取りになるのに、生きて逃げる手伝いなんかするわけがないじゃないか。生きているのなら、後は継げないんだぞ。この国ではそういう法になっている。後継ぎ交代など出来ないんだからな。行方不明が長年続けば、王の判断で交代が許される」
「へえ、知らなかった」
「俺はもうそこんところの調べはついているんだ。前から逃げることは考えていたからな。何とか理由を付けて、セピアに行ってみないと。今まで魔物討伐ばかりしていたが、セピア調査に本腰を入れるからな」
「でも、どうゆう理由でセピアに行ける訳」
「セピアの医療は高度な技術があるそうだ。ラールかカーンのどっちかが具合が悪いって事で治療に連れて行くことにする」
「でも、それじゃあ、お母様がなんというかしら」
「もう親の顔色を窺う気はない」
初めはテレパシーで話していたが、段々興奮してきた二人は、終いには大声で話していたのだが、隣の部屋で孫の看病をしていたユーリーンの動向を知らないようである。
二人の大声での話し合いを聞いていたユーリーン、涙ながらにニキに報告である。
ニキは昼間の魔物討伐で、久しぶりの戦いに疲れて爆睡中だった。そこへ、その状況を気にしないユーリーンがやって来る。
「ニキ、大変なのよう」
泣きながら爆睡中のニキに訴えるユーリーン。
ニキの爆睡が止まる事はない。
〈パオー、フウー。パオー、フウー〉
爆睡は続く。
「ちょっとー、たいへんなのー」
「なに、魔物が出たか?」
「ちがうの、べネル達が出て行くって言ってるのっ。話し声が聞こえたのよ」
「魔物じゃない?ほっとけ、パオー、フウー」
「まっ、ほっとくの」
「パオー、フウー」
「ニキ、目が覚めてないの?」
ニキが相手をしてくれないので、仕方なく今日の所はもう休むことにして、自室に引き上げようとしていると、夕刻自分の家に戻ったはずのリューンが戻って来た。不審に思って、話しかけようとして、ふと気が付いたユーリーン。後ろに小さな男の子を連れている。
「あら、リューンまた戻ってくれたの、助かるわ。べネルはもう大丈夫だけど、ラールとカーンの様子がしっかり治って無い気がしていて」
「ああ、子供のころから魔物退治なんかさせてはならなかったな。これからはどんどん回復が遅れ出すだろう。魔物の瘴気が影響しているから、もう止めさせなければ、危なくなるぞ」
「それ、本当なの。じゃあ、べネル達が出て行くって話しているのはそんな事情もあるんでしょうね。ところでその子はどこの子なの」
「べネルがセピア公国に行くようだから、この子も連れて行って、育ててほしいと頼むつもりだ。その代わりと言っちゃあなんだが、行先に良いところがあるから、提案してみようかなと思ってね」
「まあ、それは良かった。早く出て行きたがっていたから。で、その子はどこの子」
「言うまで聞き続ける気だな。言えばいいんだろ。俺の孫だよ。ジュールがクーラと別れて、少しの間付き合っていて、分かれた娘が生んでいたんだが、生憎最近亡くなって、親が俺に引き取ってくれと言って連れて来た。だが、このあたりは子育てには向かなくなった。セピアで育てるべきだと思って連れて来たんだ」
「まあ、じゃあ、ジュールは知っているの」
「子供が出来た事は知っている。だが別れた後だったし、母親が自分で育てると言い張るから、引き取らなかったんだ。母親の必要な時期だったしね。だが亡くなってしまったから、俺が引き取った」
「そうなの、べネルやルーナに任せるのも良いかもね。ルーナは良い人だし、爺さんに育てられるよりはましかもしれないわね」
「ユーリーンにかかっちゃ、俺も散々だな。はっきり言うと、北ニールも南ニールも危険な国になってきているんだ。だからセピア公国に行くつもりのべネル一家に育ててもらうんだ。そういう事情だからね。俺が育てたくない訳じゃないんだ。ここんとこ、覚えておいてくれ」
「はいはい。さー僕、お名前は」
「ジェイ、9歳です。あなたは僕の実の父親の実の母親ですか」
内心、9歳にしては随分小柄だと思ったユーリーンだが、シューが育ちすぎているんだったと思い直したのだった。そしてジェイの相手をする。
「あら残念、実は違うの。あなたの実のお婆さんはこの実のお爺さんと離婚しちゃって、王都に住んでいるけど。きっと、実の父親はジェイの事は実のお婆さんには言ってないと思う。でも、セピア公国で暮らすんだから、実のお婆さんは必要ないでしょ。今度は育てのお父さんとお母さんに可愛がってもらえば良いんじゃない。それに兄弟っぽいのが沢山居るし、きっと楽しく暮らせるよ」
「兄弟っぽいのですか」
「そうよ、ジェイと同じ年のシューって子がいるけど、同じ年だから、ぽいって事になるわね。セピアで学校に行くとしたら、実の兄弟じゃないってきっとバレバレだけど、血がつながって居なけりゃ家族じゃないなんて言い草、今どきは流行らないからね。一つ屋根で仲良く暮らす一家が家族なの。このことは大事だから覚えておいてね」
「うん、覚えておくよ。これはきっと大事なことだよね」
その夜、リューンは、元妻の祖父の色々な品を扱うセピア公国にある店舗を、セピアに行くつもりのべネルに任せては、という提案を元妻にテレパシーで連絡した。実の所、セピアの店を任せられる誰か信用のおける人はいないかと、元妻に相談されていたのだ。
話は即決で、べネル一家はリューンによってセピア公国のその店に瞬間移動した。べネルは何の躊躇もなく、グルード家の長男の立場を捨てた。
一夜にしてべネル達はグルードの館から失踪したのだった。
次の朝、べネル一家の失踪については、ニキは大いに驚いた。だが、ユーリーンはニキにべネル達の昨晩の事情を話す事は無かった。
『ほっとけって言ったもの』内心舌を出していたユーリーンである。
余談だが、そんなこんなの事情も、壁に貼り付いている壁の上一家はすべて把握している。