したたるか
中部地方のある地域でのお話。
その地方のある山には「禁足地(=ある理由から人が足を踏み入れてはならないとされている場所)」があった。
険しい斜面や深い森の中にあり、滝が流れ落ちる澄んだ滝つぼがあって、小さな社が設けられていた。
そこにどんな神様が祀られているのか、記録が無い。
地元の別の神社に仕える氏子の一族が代々管理を行っているそうで、普段は人も分け入らない。
そんな建立の由来も定かでない社だったが、ある特徴があった。
この社では年に一度、特定の日に氏子総代が白い顔を布で覆った姿で詣でる。
そして、社で待つ神様役の人物が「したたるか」と問い掛ける。
すると、氏子総代は「いえ、満足です」「大丈夫です」というような文言で応えるのだという。
社同様、この神事の起こりも定かではない。
ただ、地元の人曰く「途絶えさせてなならない」という戒めがあるらしく、戦時中も厳かに行われていたという。
さて、この奇妙な神事や社について、ある郷土史家が興味を持ち、乏しい文献を漁り、資料を収集し、苦心しつつその成果を読み物にまとめた。
その名前はここでは伏せさせてもらおう。
と、いうのも、現地の氏子の皆さんやこの郷土史家のご遺族に迷惑が掛かってしまうかも知れないからである。
さて、その遺作ともいえる資料の中には、その郷土史家が長年調べ上げたこんな話があった。
昔、この社が存在する山間の地方には、ある神様がいた。
神様は、貧しいながらも正直な地元の村人を見守り、村人達もこの神様を崇めていた。
ある時、この地で戦が起きた。
村は焼かれ、村人達は成すすべもなく散り散りに逃げるも、捕まった挙句、売られたり、乱暴されたりした。
そんな凄惨な状況の中、何人かの村人が神様の社までどうにか逃げ延びる。
しかし、追手はこれを知り、山狩りを始めた。
追い詰められた村人達は、もはや逃げる術も無く、神様にすがるしかない。
村人達のことを哀れに思った神様は彼らにこう尋ねた。
「何を求める?」
すると、村人の中の一人が、
「私達の村を焼き、大事な人々を奪った憎い追手達の命が求める」
と、復讐を願った。
神様はこれを承諾し、滝の水を溢れさせ、山津波を起こし、追手達を押し流してしまったという。
この昔話の項目には、郷土史家自身の考察が記されている。
それによると、この地方は険峻な山々が多く、雨もよく振ったせいか、かなりの頻度で山津波が発生したらしい。
そうして、地元の人々は被害を被ることも多かったので、その災害を防ぐために社を建て、名も無き神様を山と水の神として祀ったという。
そして、先の神事で交わされた神様と氏子総代(=村人)の奇妙なやり取りは、郷土史家の中でこう解釈されている。
神様「したたるか(=屍足るか?・死 (をもって)祟るか?)」
氏子総代「いいえ、満足です(=もう死人は出さないでください)」
昔話の中で人間達は、神に死よる復讐を要求した。
そして、それは現実の世界において、人間達の命を(無差別に)奪う災害という姿で結びつけられたというわけである。
郷土史家の解釈が合っているなら、今なお続くこの神事は、やはり戒めにあるように途絶えさせてはいけないのかも知れない。
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