第17話 王都のパウンドケーキ(王国視点)
その頃、王都では国王エリオットが執務室で書類の山と格闘していた。
兄が残した負の遺産は大きい。国の再建はまだ道半ばだった。
「陛下。サンクチュアリよりお届け物でございます」
侍従が一つの木箱を彼の前に置いた。
箱を開けた瞬間、ふわりと甘く優しい香りが部屋に広がる。
リリアが焼いたパウンドケーキだった。
エリオットはそっと息を吸い込む。
懐かしいサンクチュアリの香り。
彼は侍従に紅茶を淹れさせると、そのケーキを一口口に運んだ。
しっとりとした生地。ハーブの爽やかな香り。そして春いちごのジャムの甘酸っぱさ。
何よりもその一口が、疲れた心と体にじんわりと染み渡っていく。
これが彼女の力、【祝福製菓】の奇跡。
「……美味いな」
彼はぽつりと呟いた。
窓の外では王都の民が忙しなく行き交っている。
この温かい味を私だけが味わうのは惜しい。だがこの貴重なケーキを国民全員に分け与えることは不可能だ。
彼はふと一つ名案を思いついた。
国民全員にではない。だが今この国で最も癒やしを必要としている人々に届けることはできるはずだ。
◇ ◇ ◇
そのさらに数日後。
王都の一角にある施療院。
そこは先の混乱で傷ついた人々や、病に苦しむ貧しい人々が身を寄せる場所だった。
そこへ国王エリオットが自ら足を運んだ。
彼はリリアから届けられたパウンドケーキを薄く、だが丁寧に行き渡るように切り分けさせる。そしてそれを一人一人の患者の口元へと運んでいった。
「……陛下? なぜこのような場所に……」
「皆に届け物だ。私の大切な友人が焼いてくれた特別な菓子だ」
患者たちは恐縮しながらもその菓子を口にする。
次の瞬間、彼らのやつれた顔に驚きと生命力が戻ってきた。
「な、なんだこれは……! 痛みが和らいでいく……!」
「身体が温かい……」
施療院は歓喜と感謝の声に包まれた。
エリオットはその光景を静かに見守っている。
彼が本当にしたかったことはこれなのだ。
リリアの優しい力は、まず本当にそれを必要としている弱き者たちへ。
それこそが王としての自分の役目だと彼は信じていた。
そしてその噂は瞬く間に王都を駆け巡った。
「サンクチュアリの聖女様がお作りになった奇跡のお菓子を、新国王陛下が自ら施療院に届けてくださった」と。
その一つの出来事が、新しい王への信頼と聖女への感謝の念を人々の心に深く根付かせていく。
その噂はもちろん、酒場でエールを煽っていたヴォルフの耳にも届いていた。
「へっ。やるじゃねえか、新しい王様も聖女様もよ」
彼は誰にも聞こえない声でそう呟くと、満足げにジョッキを呷った。
彼女のお菓子が本当にそれを必要とする人々の元へ届いたこと。
それが彼にとっても何より嬉しい報せだった。




