第15話 新しい風
エリオット陛下との会談は無事に終わった。
彼は名残惜しそうにしながらも、護衛と共に王国への帰路につく。
私たちは丘の上からその一行が見えなくなるまで、静かに手を振っていた。
「……行ったな」
エレノア様がぽつりと呟く。
その声にはもう以前のような王国への敵意は感じられない。
「ええ。きっと素晴らしい王になられるでしょう」
フィオナさんも穏やかな笑顔で頷いた。
クラウスさんは私の隣でまっすぐに、一行が去っていった道を見つめている。
彼の主君はもうアルフォンス様ではない。エリオット陛下だ。
その陛下から「サンクチュアリのことはお前に任せる」と全権を託された彼の双肩には、また新たな、しかし誇らしい重責が乗っているのだろう。
その横顔はとても頼もしく見えた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
打ち上げというわけではないが、私たちはささやかな祝賀会を開いていた。
もちろん場所は私のコテージのリビングだ。
テーブルの上には会談で出しきれなかった私の新作お菓子が並んでいる。
「しかし、あの若造なかなか大したもんだな」
エレノア様は私の焼いたアップルパイを頬張りながら、上機嫌で言った。
「兄貴とは大違いだ。あれなら国を任せてもそうそう間違うことはないだろう」
彼女がここまで人を褒めるのは珍しい。
クラウスさんは少し緊張した面持ちでお茶を飲んでいる。
そんな彼に私は声をかけた。
「クラウスさん。今日まで本当に大変だったでしょう。ありがとうございました」
「いえ。私は私にできることをしただけです。それよりもリリア様こそお疲れになったのでは」
「ふふ、そうですね。でもなんだかすっきりしました」
私は思い切って尋ねてみることにした。
「そうだクラウスさん。友好条約のお祝いに、今度何かあなたの好きなお菓子を焼きますね。何かありますか?」
私のその言葉に彼は一瞬驚いたように目を見開いた。
そして少し照れたように視線を落とす。
「……では。以前いただいたあの温かいパンが、また食べたいです」
彼が言っているのは私が差し入れで焼いた、何の変哲もないあのパンのことだろう。
その素朴なリクエストがなんだか彼らしくて、私は思わず微笑んでしまった。
「わかりました。近いうちにたくさん焼きますね」
「……ありがとうございます」
何気ないやり取り。
だがその言葉の応酬が、私と彼の間に生まれた新しい距離感を示していた。
もう加害者でも被害者でもない。
ましてや騎士と聖女でもない。
ただ、このサンクチュアリで共に暮らす対等な「仲間」としての穏やかな時間。
それがひどく心地よかった。
サンクチュアリに吹き始めた新しい風。
それは王国との関係だけでなく、私たちの心の中にも温かい変化をもたらしてくれている。
私は窓の外を見上げた。
春の夜空には優しい月が、私たちを見守るように輝いていた。




