第10話 見えざる味方
国王陛下との会談まであと二週間。
サンクチュアリでは着々と準備が進んでいた。
私は新作のハーブと果物のパウンドケーキの試作を繰り返している。
エレノア様とフィオナさんは里の警備と美化に余念がない。
そしてクラウスさんは……。
彼は外交官として、そして護衛の責任者としてこの中で一番忙しく立ち働いていた。
王国の使節団の待機場所とサンクチュアリを何度も往復し、情報のやり取りを続けている。
その顔には以前の苦悩の色はなく、使命感に満ちた活力が漲っていた。
彼もまたこの場所で自分の新しい役目を見つけたのだろう。
そんなある日の夕暮れ時だった。
クラウスさんが一羽の伝書鳥を腕に止まらせて私のコテージへとやってきた。その顔はいつになく険しい。
「リリア様。少しよろしいでしょうか」
彼のただならぬ雰囲気に私も緊張する。
「……何かあったのですか?」
「はい。先ほど王都の連絡係から奇妙な報告がありまして」
彼が私に見せてくれたのは一枚の羊皮紙だった。
そこには走り書きのような乱暴な文字でこう書かれていた。
『――国王のサンクチュアリ訪問は危険だ。ホルスト大公の残党どもが道中を狙っている。奴らは暗殺者を雇った。気をつけろ』
差出人の名前はない。ただ文末に歪んだ鉄の爪の絵が描かれているだけだった。
「これは……」
「わかりません。ですがこの手紙は私の部下の枕元にいつの間にか置かれていたそうです。王城の厳重な警備を掻い潜って何者かが侵入したとしか考えられません」
クラウスさんは苦々しげに言った。
「悪戯でしょうか?」
「いいえ。この情報の信憑性を確かめさせたところ……事実でした。ホルスト大公の残党に不穏な動きがあるのは間違いありません」
つまり誰かが私たちに警告を送ってきてくれたということ。
それも王国の裏の事情に精通し、かつ王城にさえ忍び込める高度な技術を持った何者かが。
私の頭にふと一人の男の顔が浮かんだ。あの傭兵団の団長、ヴォルフさん。
(……まさか)
あり得ない、と頭では思う。
だが、あの「鉄の爪」の絵。偶然にしては出来すぎている。
クラウスさんはそんな私の心中を知る由もなく、険しい顔で続けた。
「この件、すぐにエレノア様とフィオナ様にもご報告し対策を練ります。リリア様はどうかご心配なさらないでください。必ず私たちがあなたと陛下をお守りします」
「……はい」
私は頷きながらもどこか不思議な気持ちになっていた。
見えざる味方。
私たちが知らないところで私たちのために動いてくれている誰か。
それがもし本当にあのヴォルフさんたちなのだとしたら、私があの時振る舞った一杯のシチューが巡り巡って今、私たちを助けようとしてくれているということになる。
私は羊皮紙に描かれた歪な鉄の爪の絵を指でそっとなぞった。
なんだかくすぐったいような、それでいてとても心強いような。
私の世界は私が思っているよりもずっと広く、そして温かい繋がりで満ちているのかもしれない。
クラウスさんは早速エレノア様の元へと走り出した。
その頼もしい背中を見送りながら、私は心に決める。
私も私にできることをしよう。
来るべき会談の日。
エリオット国王と、そしてあるいはまだ見ぬ味方のためにも。
私は最高のパウンドケーキを焼き上げなくては。
私の感謝の気持ちを全て込めて。
それがきっとどんな武器よりも強い力になるはずだから。




