第9話 新国王の敵(ヴォルフ視点)
冬が終わり、アステリア王国の王都にも雪解け水が溢れていた。
だがその水はまだどこか濁っている。
それはこの国の今のありさまそのものだった。
俺たち【鉄の爪】は、あの【嘆きの森】から帰還して以来、目立った仕事は入れていなかった。団員たちの心身を休ませるためだ。
だが俺の耳には王都のきな臭い噂がいくつも入ってきていた。
その日の夜、俺は馴染みの酒場の一角で一人エールを煽っていた。
酒場の喧騒は情報収集にはもってこいだ。
案の定、隣のテーブルの貴族崩れの連中が声を潜めて物騒な話をしているのが聞こえてきた。
「……聞いたか? エリオット陛下のこったよ」
「ああ。あのサンクチュアリの魔女に尻尾を振っておられるそうじゃないか」
「魔女か、あるいは聖女か。どちらにせよ得体の知れん女だ。そんな女と手を組むなど正気の沙汰ではない」
聖女様を魔女だと?
俺は思わず握っていたジョッキに力が入る。
ばきり、とグラスにヒビが入った。
だが俺は顔には出さない。ただ黙って聞き耳を立て続けた。
「ホルスト大公閣下の残党が黙ってはおりますまい」
「ああ。それにアルフォンス様の復権を願う連中もいる。……新しい王はまだ足元が固まっていない。隙はいくらでもあるというわけだ」
なるほどな。
話は見えてきた。
エリオット新国王のやり方が気に入らない旧勢力が何かを企んでいるというわけか。
そしてその矛先は、おそらく国王が手を組もうとしているリリア様にも向けられるだろう。
(……くだらねえ)
俺は心の中で吐き捨てた。
あの聖女様の本当の価値も知らねえで。
自分たちのちっぽけな権力争いのためにあの聖域を汚そうとするとは。
虫唾が走る。
◇ ◇ ◇
酒場を出た俺はすぐにアジトへと戻った。
そして副長のハンスに命じる。
「ハンス。すぐに腕利きの密偵を何人か集めろ。ホルスト大公の残党とアルフォンス派の貴族ども。そいつらの動向を徹底的に探らせろ」
「……団長? 何かあったんですかい」
「ああ。虫の好かねえ話を聞いちまったんでな」
俺は窓の外の月を見上げた。
サンクチュアリで見たあの静かな月だ。
俺は聖女様に誓った。あんたの影の兵隊になると。
それは酔狂でも気まぐれでもない。
あのシチュー一杯の御恩。俺たち【鉄の爪】が最も重んじる貸し借りだ。
「リリア様に害をなす奴らは、たとえどこのどいつだろうとこの俺が許さねえ」
俺は独り言のように呟いた。
これは仕事じゃない。俺個人のけじめだ。
数日後、密偵たちがもたらした情報は俺の予想通り真っ黒なものだった。
旧勢力はエリオット国王がサンクチュアリを訪問する、その道中を狙って襲撃を企てていると。
目的は国王の暗殺、あるいはサンクチュアリの聖女の誘拐。
「……なるほどな。これで役者は揃ったわけだ」
俺はその報告書を握り潰すと不敵な笑みを浮かべた。
さて、と。
どうやってあの騎士様にこの情報を知らせてやるか。
もちろん俺たちが動いていると気づかれないようにな。
俺の頭の中ではすでにもう次の一手、そのまた次の一手が組み立てられていた。
聖女様の穏やかなお茶会の時間を邪魔するハエどもは、一匹残らず叩き潰してやる。
それが俺たち【鉄の爪】の新しい仕事のやり方だった。




