第7話 先代たちの規格外な日常
グリフォンのヒナの一件から数日。
私のパティシエ聖女としての日常はすっかり板についてきた。
朝は神獣たちが運んでくる新鮮な果物や木の実を受け取り、昼はお菓子作りに没頭する。そして夕方には出来上がったお菓子を皆に振る舞うのだ。
そんな穏やかな毎日の中で私は改めて実感していた。
このサンクチュアリの住人たちが、いかに規格外であるかということを。
「よーしリリアちゃん! 今日のランチは猪鍋だ!」
ある日の昼下がり、エレノアさんが私のコテージに巨大な猪を丸ごと一頭担いで現れた。
どすん、と地面に置かれた猪は私が乗ってきた荷馬車よりも大きい。
はぁ……。もう驚かないぞ。
「エレノア、また森の主を捕まえてきたのですか。彼も可哀想に」
「なんだフィオナ、主なら昨日別のやつを仕留めて食ったぞ。こいつは二番手だ」
「そういう問題ではありません」
フィオナさんがやれやれと首を振る。
二人の会話から、この世界の生態系の頂点がエレノアさんであることがうかがえた。
エレノアさんは巨大な猪を指先一つで軽々と解体していく。
魔法なのだろうか。骨と肉が面白いように綺麗に分かれていく。
「リリアちゃんは猪肉のパイとか作れるか? あのクッキー生地でパイを作ったら、さぞ美味いだろうと思ってな」
「は、はい。やってみます」
私は頷きながら内心で決意を固めた。
この人の胃袋を掴むのは並大抵のことではなさそうだ、と。
◇ ◇ ◇
またある時はフィオナさんの規格外っぷりを目の当たりにした。
その日は朝から空にどんよりとした雲が立ち込め、強い風が吹き荒れていた。嵐が来るのかもしれない。
フィオナさんは庭に出て空を見上げると、隣にいた小鳥に話しかけた。
「ねえピピちゃん。西の風さんたちは、何て言っている?」
『きゅる、ぴぴぴっ! きゅるるる!』
ピピちゃんと呼ばれた小鳥がさえずり返す。
するとフィオナさんは納得したように頷いた。
「わかりました。西の風さんたち、東の雲さんたちと喧嘩して意地を張っているのですね」
……風と雲が喧嘩?
一体どういうことだろうか。
フィオナさんは、ふうと一つ息を吐くと、その場で静かに歌を口ずさみ始めた。
それは言葉の無い、ただの旋律。けれどどこまでも優しく、心を落ち着かせる美しい歌声だった。
すると不思議なことが起きた。
荒れ狂っていた風がぴたりと止み、分厚い雲がゆっくりと晴れていく。
そして雲の切れ間から柔らかな太陽の光が差し込んできたのだ。
「これで大丈夫。仲直りしてくれたようです」
フィオナさんはにっこりと微笑んだ。
天候さえも彼女の歌一つでコントロールしてしまうというわけか。
初代様は物理的に最強で、二代目様は概念的に最強。なるほど、このサンクチュアリが楽園であり続ける理由がよくわかった。
私はそんなとんでもない人たちに拾われたのだ。
追放された時は自分の非力さを嘆いたものだ。
けれど今は違う。
(私の力は、このお二人を癒やすためにあるのかもしれない)
エレノアさんが無茶をして怪我をしたら、私の【祝福製菓】で治してあげよう。
フィオナさんが心を痛めていたら、甘いお菓子で元気付けてあげよう。
私にできることはそれくらいだ。
でもそれこそが、私がここにいる意味なのだと強く思った。
私は規格外の二人の聖女がいつでも笑っていられるように、今日もキッチンに立つ。
腕によりをかけて世界一美味しいお菓子を作るのだ。それが私の役目であり、最高の幸せなのだから。
次話は18時頃更新予定