第15話 畑仕事と、パンの匂い
王国の政変などもちろん私は知る由もない。
サンクチュアリでは冬支度が着々と進んでいた。
エレノア様の氷室には狩りで得た猪や鹿の肉がぎっしりと詰められていく。
私の作った色とりどりのジャムの瓶も、棚に綺麗に並べられた。
そして今日はフィオナさんの温室に、冬野菜の種を植える日だ。
フィオナさんは聖獣たちに土の耕し方を優しく教えている。
私もその隣で小さなカブの種を、一粒ずつ丁寧に土の中へと置いていった。
「リリア、上手ですね。種がとても喜んでいますよ」
「本当ですか? よかったです」
フィオナさんに褒められると、単純な作業もなんだか楽しくなってくる。
ふと顔を上げると少し離れた場所でクラウス様が、土の入った重い麻袋を運んでいるのが見えた。
彼はあれからずっと変わらない。
誰に言われるでもなく、ただ黙々と里の仕事を手伝っている。
その姿はもうすっかりサンクチュアリの日常の風景の一部と化していた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
私は皆のお昼ご飯のためにコテージに戻り、パンを焼いた。
今日は温室作りの土運びを手伝ってくれたサイクロプスたちのために、いつもよりずっと大きなパンだ。
焼きあがった巨大なパンを大きな籠に入れて、温室へと運ぶ。
「わあ、リリアちゃん! 良い匂いだ!」
エレノア様が一番に駆け寄ってきた。
「皆さん、お疲れ様です。パンが焼けましたよ」
私の声に作業をしていた皆が集まってくる。
フィオナさんも聖獣たちも、そしてエレノア様も、泥だらけの手で、それでもとても美味しそうにパンを頬張っていた。
私は皆の分のパンを配り終えると、一人離れた場所で石拾いを続けているクラウス様の元へと向かった。
なぜ自分でもそうしたのか分からない。
ただ気づいたら足がそちらへ向かっていたのだ。
彼は私の気配に気づくと、はっとしたように顔を上げた。
そしてすぐに立ち上がり、深く頭を下げる。
私は何も言わずに籠に残っていたパンを一つ、彼に差し出した。
彼は驚いたように私とパンを交互に見つめている。
「……よろしいのですか」
「……皆さんと同じように働いてくださっているのですから。当然です」
私は少しぶっきらぼうにそう言った。
なんだか気恥ずかしくて彼の顔をまっすぐには見られない。
彼は恐る恐るそのパンを受け取った。
そしてその場で一口かじる。
その固かった表情がほんの少しだけ和らいだように見えた。
温かいパンの優しい味が、彼の荒んだ心に少しは染みてくれたのだろうか。
私はそれだけを見届けるとすぐに踵を返した。
背後で彼が何かを言おうとしている気配がしたが、私は聞こえないふりをした。
コテージへと戻る道すがら。
私の心臓が少しだけ速く脈打っていることに気づく。
それは同情でも憐れみでもない。
もっと別の温かい感情。
その感情の正体から、私はまだ目を逸らしていたい。
今は、まだ。
冬の足音は静かに、だが確実に近づいてきていた。




