第13話 温かいパンの味
夕食後。
私は一人、自分の部屋で今日の出来事を反芻していた。
「……ごちそうさまでした」
クラウス様のあの小さな呟きが、耳から離れない。
どうして彼はお礼を言ったのだろう。
私はただパンを置いてきただけだ。
彼のために焼いたわけでは、決してない。
里の皆のために焼いた、ついで。
そう、ただのついでなのだ。
(……でも)
彼のあの声。
そこには騎士としての礼儀や形式ではない、何か別のものが込められているように感じられた。
不器用でぎこちなくて、でもどこか温かい何か。
それが私の心を落ち着かなくさせていた。
私はベッドから起き上がると、窓の外を見た。
月明かりの下、クラウス様が泊まっている客間のコテージが見える。
明かりはもう消えていた。
彼はもう眠っているのだろうか。
◇ ◇ ◇
その頃、客間のコテージでは。
クラウスがベッドの上で体を起こしていた。
彼は眠れずにいた。
昼間に食べたあのパンの味が、忘れられなかったからだ。
(……温かい味がした)
ただ美味いだけではない。
そのパンには食べた者の心をじんわりと温めるような、不思議な力が宿っていた。
土と汗にまみれた自分の荒んだ心が、その一口で洗われるような感覚。
これこそがリリア様の本当の力なのだと、彼は改めて痛感していた。
自分が守るべきだったものは何だったのか。
国の権威でも、騎士の名誉でもない。
ただこの温かいパンが毎日当たり前のように食卓に並ぶ、ささやかな平和。
それこそが何よりも尊いものだったのだ。
それに気づけなかった自分の愚かさ。
クラウスは拳を強く握りしめた。
リリア様は私を許してはくれないだろう。
それでいい。
私は許しを求めているわけではないのだから。
ただ償いたい。
この温かいパンが焼かれるこの場所を、この平和を、今度こそ自分の手で守ることで。
彼は窓の外を見上げた。
サンクチュアリの満月が静かに彼を照らしている。
その光はまるでリリア様の眼差しのように、どこまでも優しく、そしてどこまでも厳しい。
クラウスはそっと目を閉じた。
口の中にまだ残っているようなパンの優しい甘みを噛みしめる。
明日も自分にできることをしよう。
ただ黙々と。
それだけが今の自分に許された唯一の道なのだから。
サンクチュアリの夜は静かに更けていく。
二人のすれ違う想いを乗せて。
冬の足音はもうすぐそこまで迫っていた。




