第9話 無言の手伝い
ジャム作りは数日がかりの大仕事となった。
森いちご、やまぶどう、黄金リンゴ。
それぞれの果物で何十瓶ものジャムを作っていく。
キッチンには常に甘い香りが立ち込めていた。
その日、私は最後の仕上げとなるリンゴジャムを煮詰めていた。
リンゴは他の果物よりも量が多い。
使っている鍋もサンクチュアリで一番大きなものだ。
中にはたっぷりのリンゴと砂糖。
その重さは相当なものだった。
ようやくジャムがとろりと程よい硬さに煮詰まる。
「よし、できたわ」
私は額の汗を拭うと、鍋の取っ手に手をかけた。
火から下ろして瓶に詰めていかなくては。
だが。
「……う、重い……!」
私が一人で持ち上げるには、この鍋はあまりにも重すぎた。
布巾を何重にも巻いているが、鍋の熱も容赦なく伝わってくる。
腕がぷるぷると震え、鍋がぐらりと傾いた。
「あっ……!」
危ない。こぼしてしまう。
そう思った、その瞬間だった。
すっと私の隣に影が差した。
そして一回りも二回りも大きな手が、私の手の上から鍋の取っ手をぐっと掴む。
見上げると、そこにいたのはクラウス様だった。
いつの間にキッチンに入ってきていたのだろうか。
彼は何も言わない。
ただ私と目を合わせることもなく、もう片方の手で反対側の取っ手を掴むと、小さな呟きだけを漏らした。
「……せーの」
私は彼のその合図に、こくりと頷く。
二人で息を合わせ鍋を持ち上げた。
あれほど重かった鍋が嘘のように軽々と持ち上がる。
◇ ◇ ◇
私たちは無言のまま鍋を作業台の上まで運んだ。
ことり、と鍋が台の上に置かれる。
これで一安心だ。
「あ……」
何かお礼を言わなくては。
私がそう思った時にはもう遅かった。
クラウス様は仕事は終わったとばかりに、私にさっと背を向ける。
そしてまた何も言わずにキッチンから出ていってしまった。
後には少しだけ気まずい空気が残された。
彼の大きな手。
その力強さ。
騎士として鍛えられたその体力が薪割りや水汲みだけでなく、こういう不意の力仕事で役に立つこともあるのだなと、私はどこか冷静に考えていた。
これが彼とここに来てから、初めて意図して行った共同作業。
会話は一言もなかったけれど。
彼の無言の行動が何を意味しているのか。
私にはまだよく分からなかった。
ただ、分かるのは。
彼の存在がもう私の中で「視界の隅の男」ではなくなりつつある、ということ。
良くも悪くも無視できない存在。
そして今はほんの少しだけ、サンクチュアリの「働き手」として頼りになる存在。
それが今の私と彼の距離感だった。
私は一人キッチンでしばらく立ち尽くしていた。
やがて我に返ると、目の前のリンゴジャムへと向き直る。
甘い香り。
さあ、仕事の続きをしなくては。
冬支度はまだ始まったばかりなのだから。