第7話 視界の隅
クラウス様に私の気持ちを全てぶつけてしまった、次の日の朝。
私の心はまだ少しささくれ立っていた。
彼が私のコテージの前で土下座をして仕事を乞うてきた時も、私は「好きにすればいい」と冷たく突き放してしまった。
正直、すぐにでもこのサンクチュアリから立ち去ってくれると思っていた。
だが私の予想は外れた。
その日の午後、私がお菓子の材料にする木の実をポーチで選別していると。
視界の隅に見慣れない光景が映り込んだ。
客間に泊まっているはずのクラウス様が騎士の鎧を脱ぎ、動きやすい平服に着替えて黙々と薪を割っているのだ。
(……本当に、やるつもりなのね)
カツン、カツンと斧を振るう音が、静かな午後の空気に響き渡る。
その姿は騎士というより、どこかの森の木こりのようだ。
私は彼と視線を合わせないように、自分の作業に集中しようとした。
だがどうしても気になってしまう。
◇ ◇ ◇
それから数日間。
クラウス様は本当にサンクチュアリの雑用係となった。
朝は誰よりも早く起き、井戸から水を汲み上げる。
昼は黙々と薪を割り、畑の石を拾う。
夕方は聖獣たちの小屋の掃除までしていた。
誰に命令されたわけでもない。
彼は自ら仕事を見つけては、ただひたすらに汗を流している。
その間、彼は決して私に話しかけてくることはなかった。
ただ遠くから私を見かけると、黙って立ち止まり頭を下げるだけ。
その徹底した距離の取り方に、私はどう反応していいのか分からなかった。
「……見苦しいねえ。騎士様が聞いて呆れるよ」
お茶会の時、エレノア様は畑仕事をするクラウス様の姿を見てそう吐き捨てた。
「あんなことでリリアちゃんへの罪滅ぼしにでもなると思ってんのかね」
「……そうでしょうか」
隣でフィオナさんが静かに首を横に振った。
「私には彼は誰かのために働いているようには見えません。……ただそうせずにはいられない。自分の犯した罪と向き合うために必死になっているように見えます」
「……ふん。甘いねえ、フィオナは」
エレノア様は興味を失ったように、ぷいと顔を背けた。
フィオナさんの言葉。
それが私の心に小さな波紋を広げた。
罪と向き合う。
確かに彼の瞳には、以前のような独りよがりな光はない。
ただ深い苦悩の色が浮かんでいるだけだ。
私は彼のことをまだ許したわけではない。
彼が加害者の一人であるという事実は、決して変わらないのだから。
だがそんな彼の姿を見ていると、私の心の中に形容しがたい複雑な感情が渦巻いてくる。
それは苛立ちのようで、哀れみのようで、そしてほんの少しの――。
(……いけない、いけない)
私は頭をぶんぶんと横に振った。
考えるのはよそう。
私は私の日常を送るだけだ。
お菓子を作り、聖獣たちと戯れる。
視界の隅で今日も男が一人、黙々と土を耕している。
その存在を私は気づかないふりをして、目の前のクッキー生地へと視線を落とした。
だがその生地を混ぜる私の手がいつもより少しだけぎこちなかったことに、私自身はまだ気づいていなかった。