第3話 招かれざる使者
その日の午後、私はヴォルフさんたちから貰った最高級のカカオ豆を使って、新作のチョコレートブラウニーを試作していた。
キッチンに甘く濃厚な香りが満ち始めた、その時だった。
「――リリアちゃん、客だ」
コテージの扉が勢いよく開き、エレノア様が不機嫌そうな顔でそう告げた。
その吐き捨てるような言い方に、私はすぐに誰が来たのかを察してしまった。
(……王国の、人)
私の心にさざ波が立つ。
もう終わったはずの関係。私の中ではもう遠い過去の出来事になりつつあったのに。
エレノア様に促され、私はリビングへと向かった。
そこにいたのは、やはり見覚えのある人物だった。
騎士の正装に身を包んだ、クラウス様。
ひと月ぶりに見る彼は、以前よりも少しだけ精悍な顔つきになっているように見えた。
彼は私の姿を認めるとその場で片膝をついた。
その瞳には再会できたことへの喜びのような光が浮かんでいる。
だが私の心は、その光景を冷めた目で見つめていた。
(……今さら、何の用かしら)
私のそんな気持ちを知ってか知らずか。
彼は懐から王家の紋章が入った封筒を取り出した。
「リリア様。本日はアステリア王国の全権大使として参りました。我が主、アルフォンス王子からの親書にございます」
全権大使。
ずいぶんと物々しい肩書だ。
私は黙ってその親書を受け取ると、その場で封を開けた。
中には長い長い謝罪の言葉と、そしてサンクチュアリとの正式な国交樹立を望むという内容が、回りくどい言い回しで綴られていた。
ふぅ……と私の鼻から息が漏れる。
今になって国交樹立ですって?
散々私を偽物だと罵っておきながら。
そのあまりの身勝手さに、怒りよりも先に呆れがこみ上げてきた。
私は親書を音を立ててテーブルの上に置いた。
「……話はわかりました」
私の声は自分でも驚くほど冷たく、平坦だった。
「その件は私の一存では決められません。エレノア様、フィオナ様と相談し、後日改めてお返事いたします」
「……承知いたしました」
クラウス様は私のその事務的な態度に、少し戸惑ったような顔をしている。
その顔を見て私の心は、ちくりと痛んだ。
いけない。こんな風に冷たく接したいわけではないのに。
その時だった。
クラウス様のお腹から、ぐうと情けない音が部屋に響き渡った。
……しまった、という顔で顔を赤らめる彼。
そのあまりにも人間らしい姿に、私の尖っていた心がほんの少しだけ丸くなる。
私は、はぁと一つため息をついた。
「……とりあえずお座りください。お腹が空いているのでしょう」
私はそう言うとキッチンから、先ほど焼きあがったばかりのブラウニーとハーブティーを運んできた。
これは客人へのもてなし。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう自分に言い聞かせて。
だが彼は私のそんなささやかな優しさを、勘違いしてしまったらしい。
彼はブラウニーを一口食べた後、突然椅子から立ち上がると、私の前に再び膝をついたのだ。
「リリア様」
「……なんでしょうか」
「今回の件は王国の公式な使節として参りました。ですがそれとは別に……私個人の想いを聞いていただけますか」
彼は私をまっすぐに見つめた。
その瞳は真剣で、そしてどこか独りよがりな熱を帯びていた。
「リリア様の平穏は、私がこの剣でお守りします。今度こそ、必ず」
その言葉を聞いた瞬間。
私の心の中で何かが、ぷつりと切れる音がした。




