第12話 嘘の報告(ヴォルフ視点)
ヴォルフ率いる【鉄の爪】は一糸乱れぬ動きで、嘆きの森を撤退していった。
彼らの足取りは来た時とは比べ物にならないほど力強い。
一杯のシチューによって体力も気力も、完全に回復していたのだ。
森の出口が見えてくる。
副長のハンスが団長であるヴォルフの隣に並び、声をかけた。
「……団長。本当に、よろしいのですか」
「何がだ」
「依頼は失敗です。大公閣下にどう報告を……」
ハンスの懸念はもっともだった。
ターゲットが「リリア」であることは割れている。ただ「捕まえられなかった」ではプロの傭兵団として面子が立たない。
だがヴォルフは、ふんと鼻で笑った。
「心配するな。言い訳は考えてある」
彼はこの数日間で起きた常識では考えられない出来事を反芻していた。
嘘をつく必要などない。
ただ起きた事実を少しだけ、大げさに伝えるだけでいい。
◇ ◇ ◇
数日後。
ホルスト大公は自らの屋敷でヴォルフからの報告を受けていた。
ヴォルフが手ぶらで、しかも部下の多くが消耗しきった姿で現れたのを見て、大公は不機嫌そうに眉をひそめた。
「……どういうことだ、ヴォルフ。リリアはどうした」
大公の低い、怒りを抑えた声が部屋に響く。
ヴォルフはわざと深々とため息をついてみせた。
「いやあ申し訳ねえ、大公閣下。あんたの情報は致命的に間違っていた」
「何だと?」
「例の嬢ちゃんは確かに森の奥にいやした。だが『一人で住んでいる』? とんでもねえ。あそこは化け物の巣窟だ」
ヴォルフは語り始めた。
自分たちが遭遇した鉄壁の結界のこと。
そして姿を見せない術者が操る、大規模な幻術と地形操作魔法のこと。
「……我々は三日三晩、その術者に赤子のように弄ばれました。部下の半数が精神に異常をきたしかけたほどです。とてもじゃねえが人間業じゃありやせん」
彼の言葉には体験した者だけが持つ真実の重みがあった。
大公の顔から少しずつ血の気が引いていく。
「馬鹿な……。リリアにそのような力があるはずが……」
「嬢ちゃん本人じゃねえでしょうな」
ヴォルフは大公の言葉を遮った。
「嬢ちゃんは、おそらくその化け物じみた術師に『守られている』。あるいは『飼われている』と言った方が正しいかもしれやせん」
「……飼われている、だと?」
「へえ。俺たちがあの術で殺されかけた時、助けてくれたのがそのリリア嬢でした。彼女が一杯のシチューを振る舞ってくれなければ、俺たちは今頃森の土くれになっていたでしょうよ」
ヴォルフは大公をまっすぐに見据えた。
「大公閣下。あんたはとんでもない勘違いをしている。リリア嬢は俺たちが手を出せるようなか弱い獲物じゃねえ。彼女の背後には我々の常識が一切通用しない、とんでもない守護者がついている。おそらくは百年前の伝説に語られる、あの大魔導士……初代聖女エレノア、その人でしょうな」
「なっ……エレノアだと……!? 生きているはずが……!」
大公の顔が驚愕と恐怖に歪む。
伝説の聖女がリリアの守護者。その事実は彼の野望を打ち砕くには十分すぎた。
「俺たちはリリア嬢に手出ししないことを誓わされました。次に手を出せば国ごと滅ぼすと、その守護者から直々に脅されてきやしたよ」
もちろんこれはヴォルフが脚色した部分だ。
だが、あながち嘘でもないだろうと彼は確信していた。
もはやホルスト大公に選択肢はなかった。
伝説の聖女を敵に回してまでリリアを攫うなど、自殺行為に等しい。
「……そうか。わかった。ご苦労だったな。下がってよい」
彼はかろうじてそれだけを言うと、椅子に深く身を沈めた。
ヴォルフは心の中で舌を出した。
(ちょろいもんだぜ)
彼は大公に一礼すると屋敷を後にした。
これで大公がリリア嬢に手を出すことはもうあるまい。
リリア様との約束は果たした。
空を見上げると気持ちのいい青空が広がっている。
「さて、と。あそこの嬢ちゃんに何か、礼の品でも探すとするか」
ヴォルフは生まれて初めて金のためではなく、誰かのために何かをしたいとそう思った。
あの温かいシチューの味を思い出しながら。
彼は軽い足取りで雑踏の中へと消えていった。