表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/43

第8話 エレノアの”おもてなし”

 その頃、サンクチュアリのコテージでは。

 エレノアが肘掛け椅子に深く腰掛け、優雅にティーカップを傾けていた。

 テーブルの上にはリリアが焼いたばかりの「安らぎカモミールのクッキー」が置かれている。


「……たく、しつこいハエどもだ」


 彼女は窓の外――結界の遥か向こう側を見つめながら、面倒臭そうに呟いた。

 彼女の目には幻術の中で右往左往する傭兵団の姿が、手に取るように見えている。


「エレノア様? 何かありましたか?」


 キッチンから顔を覗かせたリリアが、不思議そうに問いかけた。

 彼女は今夜の夕食の仕込みの真っ最中だ。


「ん? ああ、いや、何でもない。ちょっと庭の害虫駆除をな」

「害虫、ですか? 私もお手伝いしますよ」

「いい、いい。あたし一人で十分だ。リリアちゃんは夕食の準備を頼む」


 エレノアはリリアに心配をかけまいと、にかりと笑ってみせた。

 リリアがキッチンに戻っていくのを確認すると、彼女は再び窓の外へ視線を戻す。

 その瞳には先ほどまでの穏やかさはなく、冷たい光が宿っていた。


(リリアちゃんの平穏を邪魔するやつは、誰だろうと容赦せん)


 彼女はティーカップを置くと、指先でコンとテーブルを叩いた。

 それは魔法発動の合図。

 彼女の膨大な魔力が結界の外の傭兵団へと、見えざる手となって伸びていく。

 彼女にとってこれは戦いですらない。

 ただの「お遊び」。退屈しのぎの、ちょっとした悪戯だ。


 ◇     ◇     ◇


 一方、その頃。

 幻術の森に囚われたヴォルフたちは、完全な混乱状態に陥っていた。


「くそっ! なんでだ! なんで同じ場所に戻ってきちまうんだ!」


 部下の一人が苛立ちを隠せずに、近くの木を殴りつける。

 彼らはもう何時間も、この不気味な森を彷徨い続けていた。

 前に進んでいるはずなのに、気づくと目印にしていた岩の前に戻ってきてしまうのだ。


「団長、これはヤバいですぜ……」


 副長のハンスが青ざめた顔でヴォルフに言う。


「わかってる」


 ヴォルフは歯ぎしりした。

 相手は俺たちを殺すつもりはないらしい。

 ただ、じわじわと精神的に、肉体的に嬲り殺しにしようとしている。

 そのやり方が何よりも恐ろしかった。


「うわあああっ!」


 突然、後方で悲鳴が上がった。

 振り返ると屈強な傭兵が、腰を抜かして尻もちをついている。


「ど、どうした!」

「い、今、仲間が……仲間が化け物に見えやした……!」


 幻覚まで見せ始めたか。

 まずい。このままでは疑心暗鬼で仲間割れが起きかねない。


「全員、気をしっかり持て! これは敵の術だ!」


 ヴォルフが檄を飛ばした、その時だった。

 今度は足元の地面が、ぐにゃりと奇妙な感触に変わった。


「なっ……!?」


 次の瞬間、地面は底なしの沼へと変貌し、傭兵たちの足を飲み込んでいく。


「う、うわっ! 足が、足が沈む!」

「助けてくれぇ!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 ヴォルフも必死に近くの木の根に掴まり、沈んでいく体を引き上げようとする。


 これが魔法だと?

 馬鹿な。これほど広範囲にこれほど大規模な幻術と地形操作魔法を、同時に、しかも姿を見せずに発動するなど。

 そんな芸当が可能な魔術師がこの世にいるというのか。

 宮廷魔術師でも、いや伝説に語られる大魔導士でも不可能だ。


(……俺たちは、一体何を相手にしているんだ……?)


 ヴォルフの脳裏に依頼主であるホルスト大公の、あの胡散臭い笑顔が浮かんだ。


(あの野郎……! ハメやがったな……!)


 だが今さら後悔しても、もう遅い。

 沼は容赦なく彼らの体を飲み込んでいく。

 意識が遠のいていく。

 もうこれまでか。


 ヴォルフが全てを諦めかけた、その時。

 ぴたりと沼の動きが止まった。

 そして今まで彼らを苦しめてきた不気味な幻術の霧が、すうっと晴れていく。


 何が起きたのかわからず呆然とする彼らの鼻に。

 どこからともなく、信じられないほど美味しそうな匂いが届いた。

 それは肉と野菜をじっくりと煮込んだ、温かいシチューの香りだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ