第5話 “鉄の爪”と黒い契約(ホルスト大公視点)
月明かりが差し込む豪奢な一室。
私、ホルスト・フォン・アステリアは目の前の男を値踏みするように見つめていた。
革鎧に身を包んだ大柄な男だ。顔には幾筋もの古い傷跡があり、その眼光はそこらの獣よりもよほど鋭い。
男の名はヴォルフ。【鉄の爪】と名乗る傭兵団の長であり、金次第でどんな汚い仕事も請け負うと裏社会では有名な男だ。
「――それで、話というのは何ですかな、大公閣下」
ヴォルフは椅子にふんぞり返ったまま、尊大な口調で言った。
まあいいだろう。礼儀作法を期待してこいつを呼んだわけではない。
私が欲しいのは結果を出す確かな腕力だ。
私はテーブルの上に金貨が詰まった袋を置いた。
じゃらり、と重い音が響く。
ヴォルフの目がわずかに光ったのを私は見逃さなかった。
「まずは手付金だ。成功の暁には、この三倍を支払おう」
「ほう。大盤振る舞いですな。して、仕事の内容は?」
私は口元に笑みを浮かべた。
私の計画は単純明快。
兄である国王や腑抜けた甥のアルフォンスが手をこまねいている間に、私がこの国の真の救世主となるのだ。
そのためには、あの「力」を手に入れる必要がある。
「北の【嘆きの森】へ行ってもらう」
「嘆きの森、ですかい。あそこは魔物の巣窟だと聞いてますが」
「いかにも。だがその森の奥深くに、小さな村があるという情報を掴んだ」
先日放った偵察兵からの報告だ。
彼らは強力な結界に阻まれて中へは入れなかったが、確かに人の営みがあるのを確認したという。
間違いなくそこにリリアはいる。
「その村に住む一人の娘を、生きたまま捕らえてきてもらいたい」
「……娘一人?」
ヴォルフは訝しげに眉をひそめた。
「それだけの仕事でその報酬は、ちと割に合わなすぎるのでは?」
「ただの娘ではない」
私は声を低めて言った。
「その娘はな、奇跡の治癒能力を持つ。一説によれば死者さえも蘇らせる、国宝級の力だ。病にかかった者を癒やし、痩せた土地を蘇らせる、まさに【聖女】のような娘だ」
もちろん少しばかり話を盛ってはいる。
だがクラウスが持ち帰ったという、あの奇跡の菓子の話は私も耳にしていた。
その力の根源である娘本人を手に入れれば、国を意のままに操ることなど造作もないはずだ。
私の説明にヴォルフは、なるほど、と頷いた。
「つまり金の卵を産む鶏を、鳥小屋ごと奪ってこいというわけですな。わかりやすい」
「話が早くて助かる。どうだ、この仕事、引き受けるか?」
「ええ、もちろん」
ヴォルフはテーブルの上の金貨袋を乱暴に掴み取った。
「引き受けましょう。ただの村娘一人、赤子の手をひねるようなもんです」
その自信に満ちた態度に私は満足げに頷いた。
「いいだろう。では契約成立だ。せいぜい手荒な真似はするなよ。商品に傷がついては困るからな」
「へっ。わかってまさ。丁重にお姫様抱っこで連れてきてやりますよ」
ヴォルフは不敵な笑みを浮かべると、部屋を退出していった。
その背中を見送りながら私の口元から、笑いがこぼれ落ちるのを止められなかった。
(待っていろ、リリア)
かつての姪よ。
お前はこの私の手によって、再び王国の舞台へと引きずり出してやろう。
そしてその力をこの私が、この国を支配するための礎としてくれるわ。
私の計画は完璧だ。




