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第4話 不穏な影

 サンクチュアリの日常はどこまでも平和だった。

 私はエレノア様が滝行で獲ってきた巨大魚でムニエルを作り、その見事な出来栄えに彼女から「お前はやはり天才だ!」と最大級の賛辞を貰った。

 もちろん骨まで綺麗に食べ尽くしてくれたのは言うまでもない。


 そんなある日のこと。

 私はフィオナさんと一緒に、サンクチュアリの南側にある薬草園の手入れをしていた。

 ここはフィオナさんが管理している場所で、様々な種類の薬草がまるで手入れの行き届いた庭園のように整然と植えられている。


「フィオナさん、この薬草は?」

「これは月詠草(つくよみそう)です。月の光を浴びると葉に治癒の力が宿るのですよ」


 私が指さした銀色に輝く葉を持つ植物について、フィオナさんは優しく教えてくれる。

 彼女の知識はまるで森そのものが喋っているかのように、どこまでも深い。


 私が彼女を手伝いながら薬草を摘んでいると。

 ふとフィオナさんが、ぴたりと動きを止めた。

 そして南の、結界の外の方向をじっと見つめている。


「……フィオナさん? どうかしましたか?」

「いえ……」


 彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。


「……森の動物たちが少し怯えているようです。見慣れない匂いの人間がうろついている、と」

「人間、ですか?」


 こんな森の奥深くまで一体誰が。

 クラウス様が来て以来、王国の人間がここを訪れることはなかったはずだ。


「大丈夫です、リリア。エレノアの結界は完璧ですから誰もここへは入れません」


 フィオナさんは私を安心させるようににっこりと微笑んだ。


「きっと道に迷った猟師か何かでしょう。すぐに諦めて帰っていきますよ」

「……そうですよね」


 彼女の言葉に私は頷いた。

 確かにこのサンクチュアリは世界で一番安全な場所だ。

 エレノア様とフィオナさんがいる限り、私たちの平穏が脅かされることなどあり得ない。

 私はすぐにそのことを忘れて、再び薬草摘みに集中し始めた。


 ◇     ◇     ◇


 その日の夕食後。

 私はエレノア様のコテージを訪れていた。

 彼女が読みたい本があるから持ってきてくれ、と使いをよこしたのだ。

 彼女の部屋は相変わらず、力強い武器や鎧と可愛らしいぬいぐるみが同居する不思議な空間だった。


「エレノア様、本をお持ちしました」

「おう、悪いな、リリアちゃん」


 彼女は窓の外を眺めながら椅子に腰掛けていた。

 その横顔はいつもの快活な雰囲気とは違い、少しだけ険しい。


「……エレノア様も、気づいておられるのですか?」

「ん? なんだ、フィオナから聞いたか」


 彼女は隠すでもなくあっさりと頷いた。


「ああ。ここ数日、結界の周りを嗅ぎ回ってるハエどもがいる。おそらくどこぞの貴族が放った犬だろう」


 その言葉には明確な侮蔑が込められている。


「大丈夫なのですか?」

「問題ない。どうせ結界は破れん。飽きたら勝手に帰っていくさ」


 エレノア様はそう言って私の方へ向き直った。


「いいかリリアちゃん。あんたはこんなくだらんこと気にする必要はない。いつも通り美味い菓子を作って、笑ってりゃいいんだ」


 彼女は私の頭を優しく撫でた。


「あんたのその笑顔を守るのが、あたしたち先代の役目なんだからな」


 その言葉がとても心強かった。

 そうだ。私にはこの最強の二人がついている。

 私が心配することなど何もないのだ。


「……はい!」


 私は力強く頷いた。


「ありがとうございます、エレノア様。それでは明日の朝食は、今日摘んだ月詠草で特別なパンケーキを焼きますね」

「おう、楽しみにしてるぜ」


 私は彼女に一礼するとコテージを後にした。

 夜空には美しい満月が輝いている。

 サンクチュアリは今日も平和だ。


 この時の私はまだ知らなかった。

 エレノア様の言う「ハエ」がただの偵察兵ではなく、裏社会で名高い屈強な傭兵団であるということを。

 そして彼らがこの楽園に次なる波乱を運んでくることになるということを。

 私の穏やかな日常に新たな影が差し迫っていることに、私はまだ気づいていなかった。

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