第3話 王国の後日談(クラウス視点)
私がリリア様の【祝福製菓】を王国に持ち帰ってから、早や二つの季節が過ぎ去った。
王国はあの日を境に劇的な変化を遂げた。
リリア様のクッキーによって浄化された水と大地は瞬く間に本来の輝きと豊かさを取り戻した。スコーンによって救われた民は数知れず、今では王都にも以前のような活気が戻りつつある。
まさに奇跡。
だがその奇跡が外部からもたらされた「施し」であったことを知る者は少ない。
国王陛下とごく一部の上層部だけが、この国の平穏がかつて自分たちが切り捨てた一人の少女の優しさの上に成り立っているという、残酷な真実を噛みしめている。
◇ ◇ ◇
その日、私は王宮の訓練場で一人黙々と剣を振るっていた。
あの日以来、私は以前にも増して鍛錬に打ち込むようになった。
サンクチュアリで目の当たりにしたあの規格外の力。エレノア様と名乗った初代聖女様の圧倒的な威圧感。
それに比べて自分はなんと無力だったことか。
(リリア様を、守れるようにならなければ)
彼女はもう王国へは戻らないだろう。
だがそれでも、いつかまた彼女の力が必要になる時が来るかもしれない。いや、彼女の平穏を脅かす者が現れないとも限らない。
その時、今度こそ私が彼女の剣となれるように。
その一心で私は剣を振るう。
「……クラウス。精が出るな」
声をかけられ私が振り向くと、そこにはアルフォンス王子が立っていた。
以前の彼がまとっていた自信に満ちた覇気は今は見る影もない。その表情にはどこか諦観したような虚ろな色が浮かんでいた。
「王子。ご無沙汰しております」
「ああ。……お前の剣はますます冴え渡るな。それにひきかえ、私は……」
彼は自嘲するようにふっと笑った。
あの一件以来、王子は国政の第一線から退き、公の場に姿を見せることも少なくなった。
王位継承権を放棄こそしていないが、その心はすでに折れてしまっているのだろう。
そしてそれはミレーナ様も同じだった。
彼女は今も自室に引きこもったままだと聞く。
偽りの聖女としての烙印こそ押されなかったが、真実を知る者たちの視線は何よりも冷たい。
自らが犯した罪の重さに耐えきれなかったのかもしれない。
「クラウス」
「はっ」
「……彼女は、元気でいるか」
彼が誰のことを言っているのかは、聞くまでもなかった。
「はい。私が拝見した時はとてもお元気で……以前よりもずっと、幸せそうにしておられました」
「……そうか」
王子はそう一言だけ呟くと、寂しそうに微笑んだ。
その瞳には後悔と、ほんの少しの安堵が入り混じっているように見えた。
彼が去った後、私は再び剣を構える。
だが私の心は別のことで占められていた。
最近、王宮内である不穏な噂を耳にするのだ。
国王陛下の弟君であるホルスト大公爵。
野心家として知られる彼が、今回の件における陛下の弱腰な対応を公然と批判しているという。
そして「国宝級の力を持つ娘を森に放置しておくなど愚の骨頂」「我が手で、必ずや王国の至宝として取り戻すべきだ」と吹聴して回っているらしい。
まさかとは思う。
サンクチュアリの力を知れば、そんな考えは微塵も抱けなくなるはずだ。
だが、あの男ならやりかねない。
真実を知らぬまま己の欲望のために、無謀な行動を起こすのではないか。
(リリア様の平穏を、誰にも乱させはしない)
私はホルスト大公爵の動向に注意を払う必要があると感じていた。
この国にはまだリリア様の優しさに甘えようとする、愚かな人間がいる。
その愚かさが取り返しのつかない事態を引き起こす前に、私ができることをしなければ。
私は誓いを新たにし、再び剣を振るった。
その剣先がサンクチュアリのある北の空を向いていることに、私自身は気づいていなかった。




