第20話 王国震撼(アルフォンス視点)
クラウスが王都を発ってから二週間が経過した。
私、アルフォンス・デ・アステリアは、日に日に重くなる執務室の空気の中で焦燥感に苛まれていた。
クラウスからの連絡はまだない。
嘆きの森で魔物に食われて死んだか。あるいは何の成果も得られず、今も森を彷徨っているか。
どちらにせよ期待薄、ということだろう。
コン、コン、と執務室の扉がノックされる。
「……入れ」
入ってきたのは近衛兵の一人だった。
その顔には困惑と、ほんの少しの興奮が浮かんでいる。
「申し上げます。クラウス騎士がただ今、王都に帰還いたしました」
「なにっ!?」
私は思わず椅子から立ち上がった。
生きていたのか。
そして、何かを見つけてきたというのか。
◇ ◇ ◇
私は父である国王陛下、そしてミレーナと共に謁見の間でクラウスを待った。
やがて旅の汚れもそのままに、クラウスが姿を現す。
その顔は疲労困憊だったが、瞳だけは奇妙な力強さで爛々と輝いていた。
そして彼がその腕に、まるで宝物のように抱えているものを見て我々は言葉を失った。
大きな柳で編まれたバスケット。
そこから漂ってくるのは甘く、香ばしい香り。
……菓子の匂い、だと?
「クラウスよ、無事の帰還、大儀であった」
父上が威厳を保ちながらも、逸る気持ちを抑えきれない様子で問いかけた。
「して、成果はあったのか。リリアは……見つかったのか」
クラウスは静かに首を横に振った。
「はい。しかし、リリア様は王国へはお戻りになりません」
その言葉に謁見の間に失望のため息が漏れる。
やはり駄目だったか。
私も内心で舌打ちした。
だがクラウスは続けた。
「ですがリリア様は、我々に救いの手を差し伸べてくださいました」
彼はそう言うと、抱えていたバスケットを謁見の間の床にそっと置いた。
そしてその中から一枚のクッキーを取り出してみせる。
「陛下。このクッキーこそが、リリア様が我々に与えてくださった救済です」
「……クラウス。何を言っている」
馬鹿馬鹿しい。
私はそう吐き捨てようとした。
だがクラウスは私の言葉を待たずに、行動でそれを示した。
彼は侍従が運んできた水差しから濁った水を杯に注ぐ。
そしてそのクッキーを一片、杯の中へぽとりと落とした。
次の瞬間、我々は信じられない奇跡を目の当たりにした。
クッキーが溶けた瞬間、杯の中の濁り水がまるで光を放つように、みるみるうちに清らかな透明な輝きを取り戻したのだ。
そこにあったのは、かつて王宮で当たり前のように飲んでいた清冽な水だった。
「な……!?」
「おお……!」
父上も周りにいた大臣たちも息を呑む。
私も自分の目を疑った。
魔法か? いや、これほどの浄化魔法など聞いたことがない。
クラウスは次にスコーンを手に取った。
「こちらには病を癒やす力が込められております。これを病に苦しむ民に」
彼の言葉を証明するかのように侍従の一人がそのスコーンの欠片を口にした途端、長年患っていたという持病の咳がぴたりと止まった。
謁見の間は水を打ったように静まり返る。
誰もが目の前で起きた奇跡を理解できずにいた。
私もそうだ。
ただ一つだけ、わかったことがある。
我々はとんでもない過ちを犯した。
我々が「地味」で「出来損ない」だと蔑み切り捨てた少女は、その気になれば菓子の一枚で国の運命すら左右できるほどの、本物の【聖女】だったのだ。
そしてその聖女は、もう二度と我々の元へは戻らない。
私は隣に立つミレーナを見た。
彼女は血の気を失い、ただ震える唇でありえない、と繰り返している。
その姿がひどく滑稽で、そして哀れに見えた。
これがリリアからの答え。
我々が犯した罪に対する、あまりにも優しく、そしてあまりにも残酷な復讐だった。
私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
あと少しで日間TOP5に入れそうです。
是非★★★★★評価で応援してくださいませ。
めざせ週間TOP5入り!




