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第18話 一夜の猶予

 その夜、クラウス様はサンクチュアリの来客用のコテージに案内された。

 私の家の隣にある、こぢんまりとした、だが清潔な家だ。

 彼にとっては眠れない長い夜になったに違いない。


 そして私もまた、その夜は眠れなかった。

 と言っても、悩み事をしていたわけではない。

 私は自分のコテージのキッチンに立ち、来るべき明日のために夜通しでお菓子を焼いていたのだ。


 カコン、カコン、とボウルを混ぜる音だけが静かな室内に響く。

 まずはクッキーから。

 生地に練り込むのはサンクチュアリで採れた、清らかな魔力を宿す小麦。そして聖狼フェンリルが森の奥から見つけてきてくれた浄化の力を持つという「清水の岩塩」を、ほんの少しだけ加える。

 一枚一枚丁寧に型を抜きながら、私は祈りを込めた。


(濁った水よ清らかになれ。穢れた大地よ癒やされよ)


 私の【祝福製菓ブレッシング・パティスリー】の力は、祈りが具体的であるほどその効果を高めるのだ。


 次にスコーンを焼く。

 こちらはグリフォンが礼にくれた宝石を細かく砕いて生地に混ぜ込んだ。あの宝石には持ち主の生命力を高める力があるという。

 病に苦しむ人々が元気を取り戻せるように。

 私は一人一人の顔を思い浮かべるように、丁寧に生地をこねていった。


 夜が更け、空が白み始める頃。

 私の目の前には山のようなクッキーとスコーンが焼きあがっていた。

 部屋中に甘く、そしてどこか神聖な香りが満ちている。


「ふぅ……よし、こんなものかな」


 私は焼きあがったお菓子を大きなバスケットに綺麗に詰め込んでいく。

 これが私の出した答え。

 私の新しい戦い方だ。


 ◇     ◇     ◇


 翌朝。

 私は大きなバスケットを抱えてクラウス様の部屋を訪れた。

 彼はほとんど眠れなかったのだろう。目の下にはうっすらと隈ができていた。


「おはようございます、クラウス様。昨夜はよく眠れましたか」

「……リリア様。おはようございます。お心遣い、感謝いたします」


 彼はどこか諦めたような、それでいて何かを期待するような複雑な表情で私を見ている。

 私はそんな彼の前に持ってきたバスケットを、どすん、と置いた。

 甘い香りが部屋中に広がる。

 クラウス様は驚いたようにバスケットの中を覗き込んだ。


「これは……お菓子、ですか?」

「はい。昨夜、焼きました」

「……リリア様。失礼ながら、今は、お菓子を頂いている場合では……」


 彼がそう言いかけたのを私は手で制した。

 まあ、そう思うのも無理はない。

 私はバスケットの中からクッキーを一枚手に取った。


「クラウス様。私は王国へは戻りません。ですが民の皆さんのために、これをお持ちください」

「……クッキーを、ですか?」


 彼はますます混乱した顔をしている。

 私はにっこりと微笑むと、そのクッキーの持つ本当の意味を彼に告げた。


「はい。こちらのクッキーには大地と水を浄化する力を込めました。井戸に一枚投げ入れれば水はすぐに清らかさを取り戻すでしょう。畑に砕いて撒けば大地は再び豊かな実りをもたらすはずです」

「なっ……!?」


 クラウス様は信じられないといった様子で目を見開いた。

 私は次にスコーンを手に取る。


「そしてこちらのスコーンには病を癒やし力を与える祝福を込めました。これを食べた人々はたちまち元気を取り戻すでしょう」

「そ、そんな……お菓子にそのような奇跡の力が……?」


 そう。これこそが私の答え。

 私が王国に戻る必要などない。

 私の力が込められたこのお菓子さえあればいいのだ。


 聖女の帰還、ではない。

 これは圧倒的な上位者からの、一方的な「施し」。

 王国が私にした仕打ちに対する、これ以上ないほど痛烈で、そして優しい仕返し。


 クラウス様はバスケットの中のお菓子と私の顔を交互に見比べ、わなわなと震えていた。

 彼の常識が今、目の前で音を立てて崩れていく。

 私はそんな彼に最後の一押しをするように、にっこりと微笑んだ。


「さあ、お持ちください。これが私の答えです」

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― 新着の感想 ―
このお菓子、独占されて下々には届かないんじゃ
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