第15話 凋落の王国
私の問いかけにクラウス様は持っていたクッキーを慌てて皿に戻し、居住まいを正した。
その顔はまだ驚愕の色を隠しきれていない。
「は、はい。申し訳ありません、取り乱しました」
彼は一つ深く息を吸い込むと、意を決したように口を開いた。
その声は騎士らしく実直で、そしてひどく思い詰めていた。
「……リリア様がこの国を去られてから、ひと月。アステリア王国は緩やかな滅びの道を歩んでおります」
滅び。
穏やかでない言葉の響きに私は思わず息を呑んだ。
隣に座るエレノア様は腕を組んで面白くなさそうに、フィオナさんは悲しそうに眉を下げて、彼の言葉に耳を傾けている。
クラウス様は訥々と、だが包み隠さず王国の惨状を語り始めた。
大地が生命力を失い作物が育たなくなったこと。
全ての井戸水が濁り、民が飲み水にも不自由していること。
そして国の至宝である【太陽の宝珠】の亀裂が日増しに広がっていること。
エレノア様の低い声が部屋に響いた。
「……ミレーナ様には国を癒やす力がなかった、ということか」
それは疑問ではなく、確信に満ちた言葉だった。
クラウス様は悔しそうに唇を噛み締め、こくりと頷いた。
「はい。ミレーナ様の祈りでは何一つ状況は改善されませんでした。それどころか……」
「悪化の一途、というわけか。わかりやすい話だな」
エレノア様はふんと鼻を鳴らした。
その態度は冷ややかだが、私は彼女の碧い瞳の奥に静かな怒りの炎が揺らめいているのを見ていた。
それは私のためだけではない。過去、同じように理不尽な追放を経験した彼女自身の怒りでもあるのだろう。
私は黙って彼の話を聞いていた。
王国の惨状を耳にしても不思議と心は揺れなかった。
可哀想だとは思う。民に罪はないとも思う。
だがそれは、嵐で家が壊れた旅人の話を聞いているような、どこか他人事のような感覚だった。
あの国は、もう私の国ではないのだ。
「……故に、私は参りました」
クラウス様は椅子から滑り落ちると、その場で私に深く頭を下げた。
騎士がこれほどの礼をするのは最大級の敬意と懇願を示す時だけだ。
「リリア様。どうか、どうか王国へお戻りください。この国を、民を、お救いください。あなた様のお力だけが我々の最後の希望なのです」
彼の声は悲痛な響きを帯びていた。
その背中からは国を憂う彼の誠実な想いが、痛いほど伝わってくる。
だが。
「……お断りします」
私の口から出たのは自分でも驚くほど穏やかで、そしてきっぱりとした拒絶の言葉だった。
その返答が意外だったのだろう。
クラウス様はゆっくりと顔を上げた。その瞳には信じられないといった色が浮かんでいる。
私はそんな彼に向かって静かに微笑みかけた。
それは王宮にいた頃の、誰にでも愛想良く見せていた怯えたような笑顔ではない。
この楽園で手に入れた、穏やかな自信に満ちた心からの笑顔だ。
「申し訳ありません、クラウス様。ですが私はもう、王国へは戻りません」
私の居場所は、もうあの国にはないのだから。
私は彼の瞳をまっすぐに見つめ返し、はっきりとそう告げた。
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