あぁ、愛しかった妹よ。残念だけれど、あなたがお腹を痛めて産んだ子に私の夫の種は入っていませんから。
興味を持って下さり、誠にありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
公爵令嬢レーニヤは、幼馴染であり母国の王子でもあるルアドとの婚約が幼い頃より決められていた。
いわゆる許嫁だ。しかし、決して望まぬ約束などではない。
「大きくなったら一緒になろう。俺が必ず、君を幸せにする」
月並みかつ平凡。そう言われてしまえばそれまでだが、多感な時期のレーニヤにとっては何よりも掛け替えのない宝物であり、大切な言葉に他ならなかった。
レーニヤはルアドを誰よりも深く想っていた。少なくともそう、自負している。
だから彼の想いに応えるために、彼に相応しい妻となるために必要だと思ったこと、もしかしたら必要かもしれないこと。ありとあらゆることを身に着け、折れずに自己を研鑽し続けることができたのだ。
けれど――
全てがまやかしだと気付いたのは、国を挙げての披露宴が執り行われるほんの数日前のことだった。
あの衝撃を忘れることなど、レーニヤには一生を費やしても不可能だろう。
それもそのはず。一国の王子でありながら幻影魔術にも長けているルアドは白昼堂々、新郎と新婦が永遠の愛を誓うべき場所で、最愛の妹――カミュと唇を重ねていたのだから。
式場の下見などと適当な理由をつけてレーニヤを連れ出した、いい歳した女宮廷魔術師の不愉快極まりない笑顔が、蕩け切って勝ち誇ったように姉を見下す視線が、数日後の未来を思い描く馬鹿な女を嘲笑うような男の横顔が。レーニヤの脳裏に今も焼き付いて離れてはくれない。
それでも、彼女自身。その時は我ながら惚れ惚れする胆力だと自画自賛したほどだった。
なにせ相手が見えていないと高を括っている景色を、本当は全て見えているのにいつも通り平然と振舞えたのだから。
「……あぁ、幸せ。だって数日後には、あの人と一緒になれるんですもの」
「そうですねぇ。本当に心からお祝い申し上げます、レーニヤ様」
女宮廷魔術師が笑顔で頷く。勿論、その笑みの奥に何があるかは探ろうとする価値もない。
レーニヤは自己研鑽の果てに、今この場の誰よりも魔術に秀でた存在となっているのだ。
故に幻影は見破れているし、彼女が表情を魔術で造形しているのも全て理解している。
『ぷっ、お姉様ったらバカみたい。いい気味よ、昔から嫌いだった。恩着せがましくて、押し付けてきて。それでいて肝心なところだと自分を譲ってくれないの。中途半端なのよ、どうせなら全部ちょうだいよ、私何でもできますみたいな顔して、気が利ないわね。そんなんだからルアドの本当の気持ちにも気が付かないのよ』
『そう言うなよ。俺の心は最初からカミュだけのものなんだから。父上の顔を立てるために煽ててのぼせ上がった女なんかじゃなくてさ』
『きゃっ、もう……元気なんだからぁ』
神父と向かい合う場所で。これ見よがしに盛り始めた最愛の妹の蕩けた見下し顔と対面することになるのは、今まで夢にも思っていなかった。
もう、レーニヤの心は涙すら流せなかった。
そして、その日の夜。
ベッドの上でルアドは愛しかった妹と触れた唇で、何でもないことのないことのようにレーニヤを貫いた。
「俺は、君だけを愛している。あの日の約束に嘘はないよ」
(私はこんな男のために、今まで何をしていたのだろう……)
胸にあるのは怒りではなく、呆れを含んだ疑問だった。
抱かれることを拒絶するのも馬鹿らしくなって、レーニヤは気持ち悪くも情けない声をあげる男を冷たく見下ろしながらあることを考えつく。
これは魔術に優れた彼女だからこそ成し遂げられる、復讐。
そのために、あえて婚約の破棄を提案するなどという愚行を犯すことはしなかった。
「本当におめでとう、お姉様。幸せになってね……!」
「ありがとう、カミュ」
やがて結婚式当日。レーニヤは自分がちゃんと笑えているのか自信を持てなかったが、自然な会話が成立しているのだから上手くやれていたのだろう。
「愛しているよ、レーニヤ」
「えぇ。私もよ、ルアド」
だからレーニヤは、ルアドにいくつかの呪いを施すことにした。
無事に永遠の愛を誓い、訪れた夫婦の営みの中で。己以外を求めるソレに対して、まず……
子種は出させず、しかし快楽はある――――そういう呪いを。
これは至った瞬間が、術者であるレーニヤにも分かるという仕組みになっていた。
そのため、いつどこで密かな逢瀬を重ねようとも確実に把握することができる。
ここまでくれば後は実に簡単なことだった。
貧民街のそこらで転がっていた不衛生な男を適当に見繕い、こちらにも事前にとある呪術を施しつつ、現実と空想の境目を失わせた女宮廷魔術師をあてがうだけでいい。
年増でも、内面が腐っていても女は女だ。それだけである程度の価値はつくものである。
――置換魔術。
文字通り物体同士を置き換える呪い。
つまり、タイミングを合わせさえすれば……というわけである。
そんな真実をレーニヤがルアドに打ち明けたのは、妹だったカミュが誰の子かも分からない子を孕み、臨月を迎え――さらには父と母に勘当され、幸福に満たされた可哀そうな妹だった女を、姉妹のよしみで面倒を見ると告げ、産気づいた後。
早い話が、今現在のことだった。
幻影魔術で二人きりになった世界で、愛しい男の子を産むために命を賭ける姿を横目に置きながらルアドは、その女好きのする顔を絶望に染め上げる。
「き、君は。生まれてくる子供を……な、なんだと思っているんだっ!?」
「えぇ。そうね、生まれてくる子には罪はない……」
善か悪かで言えば、間違いなく悪であるという自覚はレーニヤにもある。
けれど――
「それがどうしたというの? 確かに罪はない。でも同じくらいその子に、運がなかったというだけでしょう? そう、私と同じようにね」
「く、狂ってる……実の妹だぞっ!?」
「カミュは死んだわ、あの日あの瞬間。いいえ、違うわね……最初からいなかったのよ、私に妹なんて」
ルアドは言葉を失い、今まさに産まれようとしている誰かの子へ、おぞましいものを見るかのような眼差しを向ける。
「なんてひどい顔。分かっているでしょうけれど、彼女を泣かせたら――――」
殺すわ、貴方を。
レーニヤはルアドの耳元で甘く囁いた。
「こっ……ゆ、許してくれレーニヤ! お、俺が悪かった! ほ、本当はあんな女ちっとも好きじゃなかったんだよ。ただ近くにいたから勘違いしただけでっ、そ、そう! お、俺も騙されてたんだっ!」
今更になって何を言っているのだろう、この男は。
そう思いつつ、レーニヤは地べたに頭をこすりつけ、足を掴みながら泣いて懇願する無様な夫に、ただただ冷え切った視線を向ける。
「謝らなくていいわ、ルアド。だって私も謝らないもの」
「――――……っ!」
「ほら、もう産まれるわ。素直に祝福してあげましょう? 命は尊ぶべきものなんですから、ふふ」
告げ、隔たれていた現実が実在を取り戻した瞬間。
彼はその誕生の証として、甲高い産声を上げた。
「……可愛い。あたしの赤ちゃん。見て、ルアド様、お姉様」
「えぇ。そうね、本当に可愛い。ねぇ、あなた」
「あぁ……ほ、本当に……か、可愛い、ぃ……」
絞り出されるのは、か細く今にも消え入りそうなほどに弱々しい声。
なんと情けない男だろう。これでもやがて国を治めることになる王子なのだろうか。
(それはさておき……さぁ、いつ本当のことを話してあげましょうか)
こうして、レーニヤは結婚してから初めて心からの笑みを浮かべることができたのだった。
のちの世――ルアド王が、彼女の傀儡となることは想像に難くない未来であろう。
――――――――完
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
現在、本作の他に「無感の花嫁」という異世界恋愛ものを書いていますのでまだ序盤も序盤ではありますが、よろしければぜひそちらも一読頂けると嬉しいです。
重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。