表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

5.1 - 束ねた書類とコーヒーカップ

 魔法省の周辺には、鮮やか新緑と色彩豊かな花々の風景が広がっている。その建物のフロア三階、新人研究員は今日もアジルの研究室のドアを叩く。

 これで尋ねるのは三回目だ。<これは君にとって命題に近い研究なのだろう>という言葉を思い返す。有名な研究者の言葉が今でもうれしい。


(アジル様に相談したかったのですが。こんなに何度も訪ねるのは無礼だけど、しかし今の経過を見せたくて仕方がない……)


 待とうか帰ろうか少し考えたが、早まる気持ちが抑えきれず、廊下で待つことにした。ドアの近くに寄りかかる。手には束ねた書類、表紙をめくった一枚を何度も指でなぞって読み返す。


 ふと目の前を見れば、昼の光が吹き抜けから差し込み、建物中央の巨大な魔法石が照らされている。地上に刺され鎮座している水晶は、六角柱の結晶を四方八方に伸ばしながら、天井すれすれまで伸びあがっている。


(僕はあれを使う側になったんだ。触らなくなって、久しいな)


 新人研究員、シャリフはかつての自分を振り返る。魔法石の輝きは、彼にとっては生と死の象徴でもあった。



 *



 人間全体として見渡すなら、複数の国と複数の王朝が存在する。その中の一つのムディール王朝、シャリフは第三妃の長男として生まれた。

 生まれたばかりのシャリフを一目見た国王は、赤子の周りに漂う不思議な輝きに目を奪われた。何か彼にきらめく運命のようなものを感じ、跡継ぎの候補として育てようと心に決めた。

 無論、王として他の候補たちにも等しく目を配らねばならない。だが一個の人として、この子の持つ光に心惹かれるのを止められなかった。誰しも親というものは、心の中に一番のお気に入りというのを持っているものだ。


 やがてシャリフは礼儀正しい、想像力豊かで賢い子として育っていった。端正な顔つきもさることながら、周囲を明るく照らすような彼の存在は多くの人を魅了した。


 それはシャリフが8歳の時のことだった。お付きと共に国民の暮らしを見学しようと、複数人の護衛を引き連れて城下町を回っていた。

 外は大変に暑く、乾いた風が吹くたびに汗が引いていく。砂埃を含んだ空気の中、何度も水を飲まされ続けたシャリフはいい加減お付きと距離をとり、どこかで涼みたくなってきた。その時、王宮と比べれば小さな造りの店が目についた。日差しを遮る庇の下、薄暗い店内には手の平ほどの宝石と書籍が、木と石で組まれた棚に所狭しと並べられている。


「いらっしゃ……お、お偉き方。ようこそお越し下さいました!」


 シャリフの立ち居振る舞いと周囲を照らすような輝かしさ、後ろの仰々しい随行の面々を一目見て、店主はすぐに大事だと察した。


「店主、邪魔をして申し訳ない。ここはどういった店になるのだ?」

「お、お偉き方。こちらは魔法石を取り扱う店にございます。先の魔族との戦争の際、研究と活用が進んだ品となります。これらは魔力と呼ばれる燃料を、様々な用途で活用するための道具となります」

「ほう、僕も学んだことがある品だ。複数あるが、それぞれどう違うのだ?」

「はい。魔力を何に変換するのかが違うのです。主に自然現象に変換されまして、こちらは熱、あちらは光、あれは風、といった具合です」


 手元と戸棚のひとつひとつを指さす。手頃な大きさでくすんだ赤色の丸み帯びた石は、砂岩のように表面が擦り減っている。緑とピンクの縞模様が入った柱状の結晶、六角形の断面を持つ曇りガラスのような柱。数々の鉱物が並んでいる。


「これらは山の産物なのか?」

「左様です、大変にお詳しいですね。こちらの熱の魔法石は河原で簡単に拾えます。光の魔法石は山を少し進めば見つかります。風の魔法石は大変に珍しく、山の奥の地中深くまで行かねば見つかりません」


 熱の魔法石は籠に入った積み上げられている。光の魔法石は棚に飾られ、風の魔法石は店主の後ろでケースに入れられている。


「説明ありがたい。その魔力は、どのようにして魔法石に充填するのだ?」

「お偉き方。魔力はすべての人間が持つものです。触れば僅かではありますが貯めることができます」

「それは素晴らしいな! きっと王宮でも使われているのだろうな! 試しにここにあるものを全て買わせては貰えないか? 僕はこれらに興味があるのだ」

「お偉き方、ありがたい話にございます。しかしお連れの方々のご判断を、どうか伺わせてはくださいませんか?」


 シャリフの護衛の一人が、店主と話し込む。やがて店主が直接、王宮に出向き商品をまとめて持ち込む事となった。シャリフは王宮に帰るとすぐに、建物内のあちこちを探し回った。案外そこらで魔法石が使われている事に気付くと、それが明日になれば色んな物が手に入るのだと思い、楽しみすぎて少し寝つきが悪くなった。


 翌日朝、知らせを聞いたシャリフは応接間に駆けていった。部屋に入ると、王宮付きの魔術師と店主が話しており、シャリフに気付いて頭を垂れた。部屋の中には数々の魔法石が所狭しと並べられている。まるで博物館のようだった。

 シャリフがそれに駆け寄ると、店主はひとつひとつを丁寧に紹介していった。シャリフはこれを興味深く聞き続けた。


「王子様。魔法石は、使い方を間違えれば危険なものです。あちらの兵士が腰に下げている剣と同じなのです」

「そうなのだな。わかった、気を付けよう。約束する」

「ありがたきお言葉です。まずは、こちらの光る魔法石が一番安全でございます。魔力をためた後、こちらの文様を押すのです。すると部屋を照らし続けることができるのです」

「店主。あなたはこれを使えるのか?」

「申し訳ございません。私めは魔法の才が皆目ございませぬ。丸一日抱えて眠りましても、夜の戸棚を照らす程度が精一杯にございます」

「個人差があるのか。どうだ、試してみよう」


 並んだ魔法石のうちの一つをシャリフが手に取ろうとすると、王宮付けの魔術師の一人が手を差し出した。まずは彼が試してからだとお預けを受けたシャリフは、はやく使って見せてくれとせがんだ。

 魔術師はかすかに笑いながら、安全だと言われた魔法石を受け取った。十秒ほど持った後、横に彫られた文様を触れる。魔法石は淡い光を放った後、数秒ほどで元の灰色に戻った。


「ふむ。シャリフ様、こちら問題ございません。ぜひご覧ください」

「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべ、はじめて魔法石を両手で包み込む。


 光に透かしてみようとすれば、その石は煌々と光り輝き、部屋一面が何も見えない程の白を塗りたくった。部屋にいた全員がなにが起きたのかわからなかった。驚いたシャリフが石を落とし、膝を折って倒れこむ。目がチカチカして何も見えない。


 すぐに跪き「お許しください」と請う店主を、兵士たちは両腕をひきずり王宮奥に連れていった。魔術師は周囲を指さした後、呼吸を荒くして「王と王妃に急いで伝えねば!」と駆け出した。護衛たちはシャリフを囲い、応接間を警戒しながら連れ出していった。

 シャリフは一人、何が起きたのかわからないまま、目の前の光の残像に怯えていた。それでも、魔法石たちが秘める力の大きさに、子供心を躍らせずにはいられなかった。



 *



 魔法省の巨大な魔法石は、あの強烈な光とは違って落ち着いた光を放っている。シャリフは幼い頃の思い出を懐かしみながら、目の前の魔法石にも、アジルの研究成果である紋様が刻まれていたことに気付いた。


「おや、貴方はいつぞやの」

 そんな時、待ち望んでいた声が聞こえた。廊下にしゃがむ自分に気付き、急いで背筋を伸ばして立ち上がった。コーヒーが入ったカップを持ち、それなりに着こんだ男性が目の前にいた。


「アジル様すいません。何度も訪ねてしまい。お時間、よろしかったでしょうか?」


 一呼吸置いた後「少々お待ちを」と言った後、アジルは研究室のドアを開けて中を覗いている。何か作業でもされているのだろうか。ドアを閉め廊下に戻ってきた後「少しなら構いませんよ」と言いながらコーヒーを飲む。

 断られるだろう予想をしていたシャリフは驚いた。アジルという研究者は業界においては名高いものだが、親しげな人だという噂は一切聞かない。逆に親交を無駄とさえ切り捨てるほど厳しいという評判ばかりだった。


「ところで魔法石を眺めていましたが。どうされたのですか?」

「いえ……」


 どこまで話していいのだろう。今までのアジルとの応対を振り返るに、無駄な時間を好まず誤った意見を嫌う方だ。しかしその表情を見た印象では、機嫌が悪い気もしないし会話をしたがっているのだろうか。何より今はアジルという人に興味が沸いた。


「あの。当初の目的とは違うのですが、研究とは関係のない話を、少ししてもよろしいでしょうか?」

「普段なら断りますが、今であれば構いません」

「……ありがとうございます。魔術師だった頃の僕はこれを管理する側でした。今では使う側になったのだという実感を噛みしめておりました」


 その一言を聞くと、アジルは考え込むように溜息をついた。


「ふむ。随分と苦労されたのですね。やはりあの研究は貴方にとっての命題か」

「はい、僕は命を懸けて研究に取り組みたいと思っています」

「……それで体調にお変わりは?」


 魔術師という職業は短命と同義だから、今の自分のおおよそを素早く理解されたのだとシャリフは感じ取った。それはそれでいいのだが、気遣いまで頂けるとは本当に思ってもいなかった。


「はい……魔法石の研究に、問題なく集中できております」

「それはいい。魔法石ですか……私は逆に、興味がなくなってきたんですよね」

「それは、どういう意味なのでしょうか? 僕はあなたの研究に憧れてこの魔法省を志しました。そんなアジル様がどうして……」


 アジルと言えば、魔法石に刻む紋様については業界の第一人者だ。魔法石の充填は本来、魔術師がその命を削って充填するもの。これに複雑だが紋様を刻むことで、光に充てれば魔力が充填できるようになった。当初は微々たるものだったが、基本理念の流通から改善が図られた結果、今ではどこの家庭でも朝に貯めた光が夜に使える。目の前の巨大な魔法石にだって、その紋様は刻まれている。魔術師時代のシャリフにも影響があり同僚が数名解雇となった。あの時の焦りも今では微笑ましいものだ。


「いえ。別の研究が、最近は大変に面白く」

「面白い、ですか」

「……意外ですか?」


 意外なんてものではない。目の前の方は本当にアジルなのだろうか。かつて学会で目撃したアジルという人物は<質疑の死神>と恐れられており、確かになんというか、他の研究員への追及に一切の手心がなかった。何故そこまで徹底的に詰めるのかという程に凄まじかったし、その後の研究員は数日は魂が抜けたようだった。実際シャリフも完膚なきまでに絞られた被害者の一人だ。


「……申し訳ありません」

「気紛れですが。魔法石の研究の続きは、あなたに託した方が面白そうだ」


 また、面白いと仰られる。コーヒーが空になったのか中を覗いたりカップを眺めたりしている。面白さは、しかしシャリフも思い返すとそうだった。自身が魔法省を目指したいと考えたのも、実際その面白さがきっかけだったから。


 その言葉に、シャリフは自室に戻された日の記憶を思い出した。



 *



 幼いシャリフは護衛たちに連れられ自室に丁重に運ばれた。


「ねぇ、何があったの? あの商人と魔術師はどうしたの? 僕は悪いことをしたの?」


 護衛たちは何も答えない。表情から困っているようだから、きっと彼らもよくわかっていないのだ。シャリフは「ごめんね。でも商人が罰せられたら僕は嫌だな」と一言呟く。護衛たちが顔を見合わせ相談をした後、一人がその場を離れて行った。


 王宮の高台にあるシャリフの部屋、窓から外を見渡す。青く澄み切った空には照り付けるような太陽の光が降り注ぐ。風が静かに部屋を通ると、砂の香りが肌を乾かす。


(僕が石から出した光は、太陽くらいに眩しかった。あの魔術師よりも強かった。もしかしたら僕はすごい魔術師になれるのかもしれない。もう一度触ってみたい。もっともっと使ってみたい)


 そう思うと少しワクワクした。あの魔術師にも聞きたいことが沢山できた。シャリフは興味があると誰これ構わず質問をする。それが彼の類稀なる魅力と一緒に対話を求めるものだから、誰もがその心をほだされてしまう。少しシャリフはこれを利用していたが、それは周囲が笑ってくれるから善いものだと感じていた。


 やがてシャリフが待ちすぎて船を漕ぎ始めた頃、擦れる金属音が複数と石畳を急いで叩くサンダルの音。きっと父上だ、シャリフは目をこすって姿勢を正した。


「父上! 僕は無事です! それより……」


 王はまっすぐにシャリフの元に駆け寄り、膝をついてシャリフを抱きしめた。護衛たちは状況を察していない様子だが、近衛兵は皆表情が暗い。首筋に何か水滴が落ちると、シャリフは段々と怖くなってきた。


「ごめんなさい。僕は、何か悪いことをしたのですね」

「違う、違うのだ、シャリフ。お前が背負ってしまったもの運命が……この親を許してほしい……どうしてお前なのだ……ムディールの祖霊は残酷だ……」


 周囲の反応が本当にわからず、シャリフは理解ができなくなってしまい、そして王と一緒に声をあげて泣いてしまった。そのうち太陽は顔を隠し、雲の隙間でシャリフの心をうかがっているように見えた。



 *



 その日の夜、シャリフは泣き疲れたせいか空腹だったので、夕食は一杯食べることにした。使用人の表情を見てもどこかに陰りが見えて仕方がない。その内の一人を捕まえて「ねぇ、何があったの?」と聞いてみても、誰も答えずはぐらかしてくる。どうしたものかと考えた末、フォークを咥えて口で揺らし始めた。これをやると叱られる筈。なのにやっぱり誰も叱ってこない。


 そんな日が数日続いたある日。昼食を終えて退屈をしていたシャリフの元に、また複数の足音が近づいてきた。しかし普段とは様子が違う。きっと大人にとっての異変があったに違いない。シャリフは子供らしくあろうとベッドに座り、近くのドラゴンの人形を両手で持ち上げた。


「シャリフ、遊んでいる中ですまないが。いいだろうか?」


 さきほどまで遊んでいたという風で、シャリフはきょとんとした表情を作り「はい」と答えてドラゴンを膝に置いた。父上の隣には、あの魔術師と商人がいた。


「みんな無事だったんだね!」


 そう無邪気さを装って言葉を言えば「王子様。あなたに付き従います……」と商人はひざまずいた。魔術師は商人の肩を叩き、同じようにひざまずいた。(よかった、二人とも許されたんだ)とシャリフは安堵で肩をなでおろした。


 ふと、王が手を挙げると、二人だけを残して静かにドアが閉められた。シャリフがベッドに座っているのを見ると、王はその隣に腰を下ろした。


「……シャリフ。魔法についてはどれくらい知っている?」

「はい父上。魔法は機械に次ぐ人間の技術です。魔族との戦いでも活用され、近年は国力にも貢献を……」

「そういう、話ではないのだ。シャリフよ」

「はい父上。……ごめんなさい、よくわかりません」


 そうか、と深く言葉を吐き、大きく息を吸い上げてから語った。


「シャリフ。簡潔に言おう。お前は王宮にいてはならない」


 どうして、と言う前に王が頭に手を置き、撫でる。シャリフはドラゴンを抱えながら王の表情を見つめる。


「お前には魔術師の才がある。それも途方もない程の。しかし魔力が強い程、その命は長くはないのだ。お前は、おそらくは短命なのだ」

「短命というのは、明日にでも僕は死ぬのですか?」

「わからない。明日かもしれないし、三十年後かもしれない。それはムディールの祖霊でも測りえないものなのだ」

「でも、三十年も魔術師になれるの? それなら魔法石をまた光らせたいし、もっと色んなことが知りたいです」

「……お前は……お前だけは、私が祖霊を背負い、幸せにすると約束する。だから王宮にいてはならぬ。お前の望む未来はここにはないのだ」

「それは、父上母上とは離れ離れということですか?」

「決して違う。我々はお前を決して見捨てない。それよりお前の大切な命を、好きな事に費やしてほしいのだ」

「好きな事……僕はみんなが好きです」


 王は天井を仰ぎ、深い呼吸を続けている。段々と、王の言いたい事が見えてきた。


「僕は、城下町を回りました。みんなが暮らしていて、みんなが笑っている。綺麗な石があって、みんながそれで幸せになっている。僕もみんなを幸せにしたい。父上母上がそうしているように。僕はここにいなくても、父上母上のようにありたいです」

「……そうか。そうだな、お前は本当に、私の大切な息子なのだ」


 王はたまらずシャリフを抱きしめた。ドラゴンを脇に置いた後、シャリフも父親をそっと抱きしめ返した。それは自分のためよりも父親の悲しみに寄り添うためだった。


 三人それぞれが王命を賜った後、シャリフと魔術師と商人は王宮を離れた。シャリフは「限られた命を誰かの幸せに繋げる事」、魔術師は「シャリフの目標達成に貢献すること」、商人は「シャリフの身元保証人かつ民の代表なること」だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ