n.2 - 乾いた眼と素直じゃない種族
「アジルさんって、虫、好きなんですか?」
魔法省、個人用の研究室には小さな倉庫がついている。両手を広げて少し余る程度の空間だ。梅雨がもうすぐ近いので、アジルは状態確認を含めて中を整理していたのだ。その時、唐突に背中越しからヴィーラに質問を投げつけられた。
「好きですね」
顔を向けずに答え終え、改めて倉庫の整理を進めていく。ヴィーラは不満げに倉庫を覗き込んだ。
「もっと……もっとお話がしたいですー!」
「すいません、質問の意図を考え込んでいました。何が聞きたかったのか、とか教えて貰えれば、よい答えが渡せます」
ヴィーラは首を傾げて悩みこんだ。蛇の尻尾も立てながら傾いている。
「うーん……なんか、ふわっと、ぼんやり。そんな雰囲気で」
「それは、なるほど。倉庫の整理をしながらでもよろしければ、相談に乗ります」
「これって、相談になるんですかね……えっと……そうなのかも、しれません」
尻尾の先をくるくると回しながら、腕を組み直した。
「人間って、どう生きるのが理想か、って。あるんですか?」
「理想の生き方ですか。もう少し詳しくお願いできます?」
「えっと。例えば、なんでしょう。生まれた頃はこう生きて、大きくなったらこう生きる、老いたらこう生きて、終わりはこう死にたい、みたいな。そんな、理想っていうか」
「理解しました。人間のライフステージ別の理想像、ということですね。もちろん私は専門家ではないので、それっぽくなら話せますが」
「アジルさんのそれっぽく、でいいんですー」
蛇の尻尾を巻いて、倉庫前のドアに座り込んだ。しっかり聞こう態勢になっている。
「先んじて、割と無責任に話す事を前置きします」
「わかりましたー」
「例えばですが……生まれたての人間はとても弱く、自分を護る術を持ちません。なので、つがいの親が子供を育てるという価値観があります。こういう話でよかったですか?」
「はい! そういう話です! そこでわたしは<ラミア族も似たよう感じですけど、親って概念があまりなくて種族全体で育てます>って返したいんです!」
「人間とラミア族の違い、みたいな感じですか。とすると……ヴィーラさんには親っていらっしゃるんですか?」
「いると思うんですけど……誰とかは知らないし、興味もなかったです。ラミア族って、タマゴをお腹に宿したら、大体5カ月で産むんです。そうしたらシャーマン達に預けます。あとはまとめて育てられます。それから5か月経つとタマゴが孵って。わたしくらいに育つまでは、それから16年くらいかかります。このシャーマンを親と呼ぶ訳ではないと思うので……やっぱり人間とは違いますね」
「皆で育てる概念は人間にもありますが、責任はどうしても親に帰結されます。親だけで育てるのではなく、家族とか村とか、そんな単位で子供を育てることもありますし、専業で育てる方というのは確かにいますが」
「親って、いると何かいいことがあるんですか?」
アジルは倉庫を整理する手を止めた。ヴィーラに体を向けて、その辺にあった木箱に座って話を続けた。
「例えば。ヴィーラさんは、ラミア族の中でも尊敬されてる方とかいませんか?」
「いますよー、アディティラさんとかラフマヴィ様とか」
「将と師のお二人ですね。そのお二人を、種族全員にとっての親だと考えてみてください」
「はい、親って考えました」
「そうしたら、その将と師から受ける、教えとか訓練とかを、限られた子供が一身に独り占めできるとしたら。どうなりますか?」
「親みたいな子になれます」
「そこです。一般的な人間は、親が持つ時間を子に独占的に用いるのです」
「それは……羨ましいです」
目を閉じながら、ヴィーラは多分、将と師と過ごした時間を想像しながら答えてくれていることだろう。
「もっと言えば、親は自分が持つリソースを、自分の子供に独占的・集中的に継承します。手をかければかける程、その親は自分の存在を後世にまで残しやすくなります」
「……自分を、残す?」
「はい。自分を残すのです。人間は弱い生き物だからなのでしょうね、死ぬのが極めて怖いのです。だから自分が生きていた痕跡を何らかの形で残したがるのです。その辺り、ラミア族はどうなのでしょうか?」
アジルの問いかけに、ヴィーラは数秒黙り込んで悩んだ後、重い口を開いた。
「ラミア族は、タマゴが産めるようになったら、戦士になります。戦士は死を恐れません。それはいけないことだって教わります。時間が経って、タマゴが産めなくなったら、シャーマンになります。それからは、死を視続けろ、って教わります」
一呼吸置いたのち、なので、とヴィーラは続ける。
「ラミア族は、個人が何かを残そうとする価値観を持ちません。もし何か残されたとしても、それはラミア族の全員のものです。痕跡とかも、そうです。きっと、アディティラさんもラフマヴィ様も、過去の将と師が誰かとか、ご存じないと思います」
「種族として生き、種族として死ぬのであれば、確かに」
「でも……」
ヴィーラはアジルの表情を確認した。言っていいのか迷っている様子だったので、アジルは無言で頷いた。胸を手で押さえながら、俯き気味につぶやいた。
「わたしは、死ぬのは怖いです」
アジルは黙って話を聞いた。
「狩りで動物を殺して、その死体の眼をじっと見るんです。そうしたら、その眼がたまに、自分の眼のように映る時があるんです。膨らんだ眼が萎んでいって、乾いた表面がしわしわになっていって。それを思い出すと、本当はいけないんですけど……やっぱり、怖いって、思っちゃいます」
「……この話は、ラミア族の方々には?」
「していません。きっと、怒られると、思います」
アジルは倉庫から出た後にドアを閉め、ヴィーラをソファに座らせる。その後、ブランケットを一枚渡した。研究机の椅子を持ち上げ、ソファの近くに置き、そこに座った。
「人間のライフステージについて話します。生まれた直後は赤子と呼ばれます。親に対して完全に依存しながら生存能力を獲得していきます。子供という状態になると、親や周囲の人間から、知識や技術や経験などを吸収します。青年という状態では、引き続き学びながらも、この知識や技術や経験を自分のものとして活用して個性を育みます。成人と呼ばれると、この個性を用いて社会に貢献する役割が義務付けられます。そうして壮年を迎えた頃、体が使いにくくなるので、社会から引退します。老年では、その知識や経験を後世に語り継ぎ続けた後、死に至ります」
「……ラミア族は、タマゴを産めない・タマゴを産める・タマゴを産めない、の三つのステージしかありません」
しかないの言葉に感じた違和感を、アジルは大事にしつつ話し続けた。
「ヴィーラさんは、人間でいえば、青年の段階です。教わったことをすぐに活用して社会に貢献する人間もいれば、多くを悩み苦しみながら、活用しない方がいいと成人になって気付く人間もいます。青年の時期は本当に大事です。まだまだ多くを学んでいていい時期なのです。ラミア族ではどうかは知りませんが、タマゴが産めるからこうあるべき、という考え方に囚われすぎては勿体ないです」
空白の笑顔をアジルに向ける。
「……あはは、それはラミア族のためになりませんよぉー」
一瞬だけ、ヴィーラの瞳がうつろになっていた。
適当な事を言いたくなかったので、アジルは話題を誘導的に変えることにした。
「きっと、虫が好きじゃないとシャーマンに向いていない、とかの悩みも含まれるのでしょう。それなら人間の代表として、いい事をお教えします。例えば……私は子供が大の苦手で、そして大嫌いです」
「アジルさんは、そうだと思います!」
「……とにかく、人間の親の中には、子供を持つべきでない親というのが沢山いるのです。それなのに子供を作ってしまうのですから、実に情けないものです」
「子供が欲しくないのに子供を作るんですか?」
「人間の社会は複雑なのです。親に望まれなかった子供は、捨てられたり、育てられなかったり、教わらなかったり。すると、先程のライフステージにそぐわない人間となります」
「それは……ラミア族になれないラミア族、ってことでしょうか?」
「違うのです。そういった人間は別の社会を作ったり、そういった方々の社会に入ります。自ら学び成長し、ライフステージに戻る人間もいます。つまり、それでも人間の一員であり続けるのです。人間はやっぱり人間という種族を<非常に素直でない形でも包括して保護しつづける>のです。全員を包括した社会を持とうとする、国家というのがそこにあるのです」
それに、とアジルは付け加える。
「死ぬのが怖いからといって、何かを残さなくても別に良いのです。自分自身が納得できる答えを導き出せていれば、それを抱いて死ねるのです。魔法省には、そういった老人も何名かおりますが、それほど死を恐れてはいないようでしたから」
ヴィーラの様子を見ると、表情が少し軽くなっていることに気付いた。アジルは会話を畳み始めることとした。
「ここまでで、ヴィーラさんの悩みをほぐせるものは何かありましたか?」
少し難しい話を振り返りながら、ヴィーラは自分に引っかかった部分を素直に述べた。
「<素直でない形でも包括して保護しつづける>でしたっけ。なんか、わたしもラミア族に対しては、そうありたいなって、思いました」
それは逆説的に、ヴィーラがラミア族に不足を感じていることなのだろう。アジルはそれを察しながら、しかしその指摘はヴィーラに悪影響を及ぼすと考え、言葉を飲み込んで消化した。
「その他、相談事はありますか?」
頬に手を当て斜め上を見ながら、何かを考えている。何度も瞬きした後、ヴィーラはゆっくりと答えた。
「……まだ、ありますね」
「なるほど。倉庫の整理が相変わらず残っているので、それを進めながらでよければ」
ヴィーラは縦にはっきりと頷いた。それを確認したアジルは椅子から立ち上がり、倉庫のドアを開けて中に入り、改めて整理を再開した。
魔法石の標本箱をひとつ持ち上げ、ふっと強く息を吸う。歯を食いしばって別の棚まで移動する。慎重に重い箱を置いた後、はぁっと長く息を吐く。膝に手を当て休んだ後、額の汗を拭いとる。それから倉庫の外のヴィーラに声をかけた。
「それで……どういったお悩みなんですか?」
ヴィーラがドアの隙間から、暗い倉庫の中を覗いている。顔の上半分だけを見せて、訴えた気に眼をぱちくりしている。
「ヴィーラは今、とても暇です」
「そうなんですか」
「ヴィーラは今、アジルさんの筋力の無さに驚いています」
「そりゃすいませんね」
「アジルさんをここからジャダン山脈まで投げ飛ばす自信があります。アジルさんよりもずっとずっと力持ちですよ」
「怖いですね」
「ヴィーラは今、アジルさんの時間を奪っちゃったって悩んでいます」
「気にされないで結構です」
「……さて、わたしはどうすればいいですか?」
ヴィーラの視線がどんどん強くなっていく。アジルは観念する準備として、倉庫の周辺を見渡しながら、倉庫整理のタスクを分割した。
「仕方ない。よい解決策があります」
「ほんとですか!?」
ヴィーラが体を乗り出して、アジルに太陽のような微笑みを向けてきた。アジルは胸元が飛び跳ねた気がしたが、急な動きに驚いてしまったのだと、感情を理性で捻じ曲げきった。