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1 - スペアリブとチャタテムシ

 気だるく浮かぶ銅色どういろの飛行船。過去の成果を眺めながら、まだまだ寒い研究室の暖炉に魔法石まほうせきを放り込んで火をつける。冬がもうすぐ終わるだろう頃、朝の空はかすみがかっている。アジルは寒いのが苦手だ。魔法省まほうしょうは山脈の中腹に建てられていることに加え、自身が瘦せ型なのも一因だ。


「今日はいつ頃来られるんでしょうね。はー、寒い寒い」


 これから来るだろうラミア族の客人も、寒さは苦手としているらしい。上半身が人間で下半身がヘビだと、恒温動物こうおんどうぶつ変温動物へんおんどうぶつの中間的な性質を持つのだろうか。寒くなると殊更眠くなる様子だったが、暖かいに越したことはないので好都合だ。


 窓のカギを外し、部屋のドアのカギを二重に閉める。個人に与えられた研究室は、しかしいつまで使えるのだろう。魔法省で研究員を務めて十年余り、段々と成果はあげられなくなっている。最近は監査官かんさかんの反応もよろしくない、追い出されるのも時間の問題だ。


(私はここまでの人間なんでしょう。組織は代謝をしますから、若い研究員が入ってくれば、優秀な研究員だけが居残れる。老廃物ろうはいぶつが生まれるのは、まぁ研究機関も生物ですからねぇ)


「アジルさん、おはようございますー。入っちゃいますよー?」


 若い吊り目の女性が一人、窓を開けて声をかけてくる。ここは魔法省の三階で、別にベランダとか雨どいとかも無いものだから、どうやっていつも登ってきているのか、疑問でしかない。ラミア族の身体能力の賜物たまものなのだろう。


「もうどうぞ勝手にご自由に、ヴィーラさん」


 では、と片手で窓を大きく開けた後、部屋の中に生肉を投げ込まれる。骨付きの塊肉、イノシシか何かっぽい、謎の大きなスペアリブ。腕と体が窓枠を通ると「お部屋暖かいですねー」とアジルに近づいていく。それに続く大きなヘビの下半身、入り終えた後に尻尾の先で窓を閉める。


「この肉は何ですか?」

「えっと、このなたを持ってください。その後は、その肉の上に構えてください」


 言われた通りに構える。鉈は随分と厚く大きく重い。両手で構えるのはかなりしんどい。そこにヴィーラの手が添えられると、鉈の重さはまったく無くなってしまった。


「では……いきます! ……ふたりのはじめての共同作業ですー」


 肉に向かって鉈が勢いよく振り下ろされた。スペアリブは骨ごと真っ二つだ。しかし、アジルの手からは、肉の感触も鉈の遠心力も感じなかった。


「はぁ。人間の婚姻の儀式における入刀、ということですか。まったく、これはまたまた文化の誤認をされています。それに、私にはまったく肉の感触がしなかった。切ったのは実質ヴィーラさん一人ですから、共同作業でもありませんでしたよ」


 二人のタマゴが欲しいだけなのに、と溜息をついた後、ヴィーラは鉈と肉を窓から投げ捨てた。この調子でいつもいつも人間の求愛に関係する儀式を模倣もほうしてくるのだ。


「お姉さまたち、まーたわたしに嘘ついた!」

「そりゃ、からかわれているんですよ。いつもいつも」


 ヴィーラは研究室に用意されたソファに腰掛ける。上半身を起こして、下半身を床に投げ出し、少しとぐろを巻く。ひざ掛けを渡すと、それを掛けてから脇のクッションを抱きしめる。それを見てから、アジルは自身の机の前に、体をヴィーラに向けて座った。


「それでアジルさん。研究どーですか、進みましたー?」


 ああ、と机の上を眺める。整然せいぜんとした机の上に、数枚の紙とメモが置いてある。


「昨日夜に結構まとめられましたよ。この内の一枚……これを、そちらの部族のシャーマン様にお願いします。こっちは戦士のおさ……えっと、しょう、でしたか」

「はい、しょうにお渡ししますね。ところで、これって何が書いてあるんですか?」

「師には、ラミア族のシャーマニズムにおける自然機能しぜんきのうへの干渉手段としての虫の選定基準を。将には、50年前の戦争によるラミア族への文化的影響についてを、それぞれ聞きたい感じですね」

「へー……虫の選定は結構難しいみたいでー。スズメバチを使役されていたシャーマン様は、対価を用意できなくて体中刺されて解約されたって聞きましたぁ」

「スズメバチ……一体何に使ったんですか?」

「狩りですねー。ただ、狩る動物がまったくスズメバチの餌と一致しなかったので破綻はたんしてました」

「試さないとわからない失敗だったんでしょうね」


 そうなんですかねー、と言い、ヴィーラはクッションを空中に投げてはキャッチするを繰り返す。やはりラミア族は運動神経がいい、まったく体躯たいくのバランスが崩れていない。


「とすると。ラミア族のシャーマンは、一定種いっていしゅの虫は安定して使役できている、ということなのでしょうか?」

「はい、いますよー。ハエとかミミズとか。ハエは食料保存とか衛生管理とかやっててー、結果生まれた剰余じょうよの食糧をご利用いただくって感じで安定してましたー。ミミズさんは……農業で大活躍です。美味しい土はそこら中に溢れてるし、対価はあってないようなもんだし。あんなにいい子は他にいないって大評判ですよー」

「……蚊とか、使役できれば疫病えきびょうの面で大助かりなんですが」

「あー、それをしたシャーマンは蚊の産卵期さんらんきに干からびましたぁ」


 ユーモラスに話しているヴィーラに対して、アジルはその光景を具体的に想像しないように努めた。



 *



「ちょっと、ヴィーラさん。ついででお願いがあるのですが、いいですか?」

「はい、わたしにタマゴのもとをくれるのなら」

「それはご勘弁のうえで。本当、ご勘弁を。はい」


 引き出しを開け、試験管とピンセットを取り出す。


「このお部屋にあります、本棚。結構古い本がありますが、開くとそれなりにいらっしゃるんですよ。これを使役できないものかと思いまして」

「えっと……失礼しますね」


 ひざ掛けを畳み、本棚の前に立つ。「うわー、何を書いてるのか全然わかんなーい」と話した後、適当な古めかしい本を一冊取り出して中を見る。半透明で薄い茶色の虫が、きわめて小さい体で紙の上にいたが、光を感じて隅っこに逃げて行ってしまった。アジルはその虫を丁寧にピンセットで掴み、試験管の中に放り込んだ。

 その試験管を渡されたヴィーラは、ガラス越しに臆病な一匹をじっと観察する。


「アジルさん。この子、なんて名前なんですか?」

「チャタテムシと言うんです。本についたカビや微生物を食べる子でして。魔法省は職業柄、本が多いので。それに蔵書の状態管理をしてほしいなと。シャーマンの師のご意見をいただきたいのです」

「そういう話なら……数を集めないといけないですね。何か一冊、この子たちの住処になってそうな古い本をお借りできますか? その方が早そうです」

「ならこれを。珍しい本ではあるのですが全く興味がなく。ヴィーラさんの方が活用できるかもしれません」


 タイトルには、ドラゴン百珍ひゃくちん、と書かれている。ドラゴンから作れる百種類の料理が記された古代の書籍らしい。ドラゴンなんて、数千年前にとっくに絶滅した筈だ。


「あれ……えっと、うん、わぁこれ美味しそう……こっちは……いいなぁ今度作ってみよう……」


 今度、と聞いてアジルは知識を改めた。ドラゴンはまだ生きているらしい。


「捕まえるんですか? ドラゴンを」

「はい。将が、人間の男の狩場かりばを教えてくれれば、ドラゴンの狩場を教えてやる、と言ってたので」

「ああ……ラミア族は女性しか生まれませんからね。雄を捕まえて搾り取るんでしたか」

「人間が一番人気なんですけどね。今の将はなんと100人と仲良くなったんですよ、すごいですよねー」

「……人間と魔物が不可侵ふかしんになってよかったですね」

「50年前の戦争終結後の条約ですよね。守ってないラミア族、結構多いですけどね」

「聞かなかったことにします、まぁ私も同罪なんですが」


 うーん、とヴィーラが唸った後、アジルの首元に吐息といきの熱がかかった。


「それなら、わたしという初めての罪にもっと溺れてみませんか? ヴィーラはいつでもアジルさんとタマゴづくりを……」


 その身に危険を感じた時、ドアをノックする音が聞こえた。ヴィーラの方向を向くと、すでにいなくなっており、窓が開いている。これもいつもの事だ。訪ね人が多いお陰で、アジルは今日まで自分を守り続けられた。ドアを確認しにいくと、大丈夫だ、カギは閉まっている。


 深呼吸を三回してドアを開けると、新人の研究者がいた。探している本があり、その所在しょざいを聞いて回っているとか。「そんな本は200年前の研究者でも読まない、魔術基礎の勘違いから生まれた駄作です、くだらない」と、ヴィーラとの時間を邪魔された事を含め当たり散らした。直後、ヴィーラのことを思い出す。


(あの子は……あの子の思索しさく稚拙ちせつかもしれないが。こんなに頭ごなしに私は否定したことがあったか?)


 ヴィーラは自然の中で自然を観察し思索している。この新人は、研究所の中で魔法を観察し思索している。何も変わらない。そう、何も変わらないのだ。落ち込む背中を呼び止める。


「待ちなさい。聞いた話、知りたいのは熱を発生させる魔術における触媒しょくばいの温度が共振現象きょうしんげんしょうに与える影響だろう。共振現象の基礎研究が見直された後にその影響を記録した書籍がここにある、よければ使いなさい。それと触媒ごとの差異さいであれば私も知りたい。ぜひ結果が出たら教えてほしい」


 ヴィーラと話をしてから、私の研究は活気かっきを取り戻している。無意識に何かを望みながら、今後も彼女が訪ねてくる時間を楽しみにしている。

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