睡蓮の刺青
「朝起きたら、明蘭ちゃんが居ないんだもの。どうしたのかと思ったじゃない!」
武官宿舎のお風呂場で、私は香玉に詰め寄られていた。
「皇太子宮でも見かけなくて、片っ端から聞き回っちゃったのよ!? その過程で変な人には遭遇するし……」
香玉は身振り手振りも使って、どれだけ大変だったかを伝えてくる。
会ったばかりの私のことを、こんなに気にかけてくれるだなんて予想外だ。
「心配かけてごめん。色々あって、皇太子宮じゃない場所で仕事してたんだけど」
「無事だったからもういいわよ。それより、明日、登龍会の集まりがあるらしいの。明蘭ちゃんも、もちろん一緒に行くわよね?」
「登龍会って、あの?」
文科挙と武科挙、それぞれの合格者たちが集まる会。行けば、お嬢様の同期の人にも会うことができるかも知れない。
「歓迎の宴会ですって」
「一緒に行こう」
香玉と一緒なら、貴族の官吏に話しかけても、無下にはされないよね。香玉のこと利用するみたいで心苦しいから、お礼に甘味でも用意しよう。
「そう来ないと! あら……明蘭ちゃん、貴女……」
「……? 何か?」
香玉が私の背中を見て、戸惑った声を上げた。
背中に何かあったかな……? 心当たりがない。
「いえ、何でもないの。明日、楽しみね! それから、その珠のようなお肌は、私以外の前では無闇に晒さないように!」
「はい……? まあ、無闇に晒すつもりは、元々無いけど、ここお風呂場……」
珠のような肌? それを言うなら香玉の肌こそ、至宝だと思う。そもそも、私もお風呂場以外では、裸になるつもりないです! 痴女じゃあるまいし。
「それでもよ!」
香玉が念を押してくる。
わけが分からなかったけど、私は曖昧に頷いた。
◆◆◆
炎香玉。飛龍国の五大貴族家(水家が族滅しているため、現在は四大貴族)の一つ、炎家の長姫である。
炎家は飛龍国の北方、炎州を治めているため、北方民族との戦が絶えない。
自ずと、炎家は武勇に優れた人物を、多く輩出する家となった。
香玉も例に漏れず、長槍においては右に出る者がいないほどの腕前を持っている。
炎家の人々は、そんな彼女を武官として、都に行かせるつもりは無かったが、自由奔放な彼女は家族の反対を押し切って、武科挙を受けてしまったのである。
「私より強い結婚相手を見つけて、帰ってきてあげる」と言われた香玉の家族が、渋々承諾したのだ。
彼女が武官になったのには、それなりの理由があった。
彼女は探していた。幼い頃、実家の龍舞祭で見た、剣舞を舞う一人の舞手を。
その人物は、北方民族との戦闘で、一騎当千の活躍をした武人で、その活躍から炎州の人々の間で、武聖と呼ばれるようになった人物だった。
しかし、武聖はその後、行方をくらましてしまった。
だから、香玉は家を出る口実として、武官になる道を選んだのである。記憶の中の剣舞を、もう一度見るために。
武科挙を受けて正解だったわね。だって、明蘭ちゃんという、武聖様の弟子と巡り会うことができたのだから。
宿舎の風呂場で、明蘭と話しながら、香玉は微笑む。
だけど、今日は大変だったわ。皇太子宮にいない明蘭ちゃんを探してたら、若い武官に捕まるんだもの。いきなり勝負を仕掛けてくるなんて、私を誰だと思ってるのかしら。炎州だったらあの武官、首が飛んでるわよ。
香玉が明蘭に愚痴を言うと、彼女はしおらしく謝ってくる。
彼女に対して不機嫌なわけではない香玉は、話題を変えて明蘭を見た。
乳白色の肌を惜しげも無く晒している彼女。その体は無駄なく引き締まっていて美しい。
だが、その肩には美しい肌には似合わない、矢傷があった。
そしてそこには、矢傷のせいで引き攣れていたが、見逃せない物、睡蓮の刺青が刻まれていた。
香玉は明蘭に刺青のことを指摘しようとしたが、刺青を隠す気配もない彼女に、このことを指摘しても埒が明かないのではと、口を閉ざした。
これは、私が深入りしていい問題じゃ無いわね。明蘭ちゃん……貴女は自身の出生のこと、知ってるのかしら……。




